59話 この国の王となる者
「これは、一体どういうことかしら?」
ロベリアが不思議そうに呟けば、アーロンが杖で床をとんとんと叩いた。
「おそらく、セレスティーナ様のおかげですね。つまり、ドラゴンの力だと思います。ロベリアさんもナギ君と交わしていませんか? 血の契約を」
「血の契約?」
ロベリアは聞き覚えのない言葉を繰り返す。
血の契約なんて、おぞましい単語のように思える。そのような言葉、ナギから一度も聞いたことがない。ドラゴンに関する専門知識なのだろうか、と考え込んでいると、アーロンがほほう!と興味深げに目を光らせた。
「なんと! ご存じない? 人が特別なドラゴンを使役する際に行う血の契約のことですよ。これを行うことで、ドラゴンと人間との間には親子の縁よりも深い絆で結ばれることになります」
「エリックが私に触れたことで、私の魅了に抵抗する力がエリックに流れ込んだのデス」
「なにが起きたのか分からないが……私はセレスティーナに助けられた、ということなのか?」
エリックはいまいち理解できていないらしいが、ありがとうと繰り返しながらセレスティーナをなでる。セレスティーナは嬉しそうに喉を鳴らし、もっと撫でてとせがむ。セレスティーナがぐいぐいと鼻先をエリックの胸元に押しつけ、じゃれつく姿は、王に仕えるドラゴンのイメージとは程遠いいが、とても微笑ましく、ふいに懐かしさが込み上げてきた。
「……ナギ」
いま、庭は昼間。
ナギは小窓から見える青い空を見上げ、ロベリアの帰りを待っているのだろうか。
それとも、あの空を一目散に飛翔し、こちらに向かっているのだろうか。
「……」
ロベリアは無性にナギに会いたくなった。
ドラゴンの姿でも人の姿でも、どちらでもよいから、彼を思いっきり抱きしめ、優しい温かさを感じたかった。
「しかし、驚きですね」
ロベリアがナギのことを思い出していれば、アーロンが話しかけてきた。
「ロベリアさんがドラゴン君と契約を交わしていないとは」
「そのような話自体、初耳だもの」
ロベリアは眉を寄せた。
「たとえ、知っていたとしても、契約などする必要がなくってよ」
「契約をしない? なぜ?」
アーロンはずいっとこちらに顔を近づけると、再び好機に目を輝かせる。
ロベリアは、アーロンのなにもかも探ろうとする目が好きになれなかった。けれど、ここで指摘したことにより、関係がこじれて、ルージュの味方に反転してしまっては元も子もないので、ロベリアは素直に答えることにした。
「家族だもの。契約なんかしなくても、私とナギは絆で結ばれていると思うわ」
「血のつながらない家族だからこそ、繋がりを深めたいとは思わないのですか?」
「話を聞く限り、それって主従の契約に近いものでしょ?私、ナギとは対等の関係を築きたいの。――さて、私の事情はさておき、そろそろ本題に入りません?」
時間は刻一刻と過ぎていく。ここで、アーロンと余計な問答をしている時間などない。そのことを主張すれば、アーロンはようやく我に返ったようだった。
「失礼。知りたいことがあれば、聞いてしまうのが、僕の悪い癖でして」
「御託は結構。エリック様が正気に戻ったとはいえ、またいつルージュに魅了されてしまうか分からないもの」
ロベリアはエリックを一瞥した。
「エリック様に頼みたいことがありますの」
エリックはセレスティーナの首元を撫でながら、困惑した表情を浮かべている。いまでこそ普通の感性に戻ってくれたのだろうが、セレスティーナから離れたら最後、再び魅了されるのが目に見えている。セレスティーナに触れるだけで元に戻るのであれば、とっくにルージュの魅了を退け、妊娠させるような真似はしなかった……はずである。
「私、黄金の鐘を鳴らさなければなりません。鍵を開けてくださる?」
「鐘を? しかし、平時にあれを鳴らすのは掟で禁じられている。鳴らした理由について、民になんと説明すれば……」
「ルージュに国を滅ぼされそうになったので、鐘を鳴らすことで退治したと説明すればよいでしょう? それ以外、なにがありまして?」
「駄目だ! 国が乗っ取られる寸前まで追い詰められていたことを公表するわけにはいかない! 国家の威信にかかわってくる!」
「事実でしょう!」
エリックが不満そうな顔をしたので、ロベリアは一喝した。
「私が鐘を鳴らさなければ、この国はルージュの好き放題にされてしまいます。貴方は、この国がルージュの思いのままにされてもよいのですか?」
「私がルージュと話す。話せば分か――」
「不可能です。貴方が会いに行った段階で、再び魅了にかかることでしょう」
ロベリアは腰に手をあて、はぁと息を吐いた。
やっとまともに戻ったかと思えば、なに生温いことを言っているのだろうか。
そのようなことができるのであれば、エリック自身が何度も彼女を説得していたに違いない。それができず、言いなりになっていた時点で、話せば分かる理論は通じないことが分からないのだろうか?
「いいですか? 貴方がルージュの呪縛から解き放たれたのは、セレスティーナ様に触れているからです。これからも、セレスティーナ様に触れたまま行動をすることができるというのでしたら話は変わってきますが……」
「……残念ながら、難しいですね」
エリックが口を開く前に、アーロンがため息交じりに答えた。
「その鎖を外すことは、いまの僕にはできません。最高峰の魔法使いたちが集ったとしても、解呪には三日三晩ほどかかるでしょう」
「そこまでの時間を割くことはできません。本日中に解決しなければならないのです」
「れべっか、きけん! たすけたい!」
ロベリアが言うと、ティモシーも同意の声を上げた。
いつもはおっとりとした眠そうな声をしているのに、今回ばかりはひしひしと緊張感の漂う声色だった。
「……だが、しかし……」
エリックはティモシーを一瞥したが、まだ踏み切れないのか口ごもった。
「他に方法はないのか?」
「現状ありません。いい加減、腹をくくられたらいかがです? あなたは、この国の王になるのでしょう?」
ロベリアはエリックに詰め寄った。
ロベリアとエリックの顔は、拳二つ分ほどしか離れていない。これがナギだったら、気恥ずかしさで目をそらしてしまいそうになるのだが、相手はエリック。恥ずかしさなどまったく感じず、こんな者が王になるのかという情けなさと怒りしかこみあげてこなかった。
「姉の婚約者を寝取り、国の財源を湯水のように使い、民に過度な税を課す。そのようなことがまかり通る国の王として君臨するおつもりですの?」
「それは……絶対に嫌だ」
エリックは喉を詰まらせたような潰れた声を出した。
「そのような事態が横行してしまったら、この国は滅んでしまう。……そのようなこと、父上や歴代の王に申し訳ない」
「ならば、鍵を開けてくださいますね?」
エリックは一瞬、迷うように目を逸らした後、疲れたように肩を落とした。
「……それ以外の方法がないのであれば」
「分かればいいのです」
最後まで煮え切らない渋々とした返事だったが、少なくとも切迫した状況を理解してくれたらしい。
「では、移動することにしましょう。エリック様、アーロン。案内してくださいな」
「心得ました」
アーロンは短く告げると、ローブの袖から城の見取り図を取り出した。
ロベリアは地図にざっと目を通すと、鐘のある最も高い塔のある場所を指で軽くたたいた。
「黄金の鐘がある塔は東側。ですが、ここは……」
「西です。つまり、いまから反対側の塔へ移動しなければなりません」
アーロンの言葉を聞き、ロベリアは唸った。
理解していたことだとはいえ、かなりの移動距離だ。ロベリアが先ほどの変装をして向かったところで、見つかる危険性は高く、エリックが内緒で行動できる可能性はさらに低い。
「……隠れ道がある」
ロベリアは悩んでいると、エリックが地図を睨みながら告げた。
「歴代の王にのみ伝わる道だ。やや危険な道だが……」
「ルージュに教えていませんね?」
「教えるわけがないだろう! 王にのみ伝わる道だ。なぜ、ルージュに教える必要がある?」
エリックは口を尖らせた。彼はルージュに露見しない確固たる自信があるようだったが、ロベリアは半信半疑だった。
「嘘ではない! 君にだって、教えていないだろ?」
「……まあ、そうですわね」
自身とルージュは婚約者という立場だけは同じだが、彼から与えられる愛情の度合いは絶対に違う。ルージュとの会話において、何かの拍子にぽろっと漏らしてしまうことだって、ありえたのではないだろうか。
とはいえ、他に良い方法がないのであれば、エリックを信じて進むしかない。
「分かりました。それで行くとしましょう。……ですが、その前に一つ、提案がありまして」
ロベリアは、事前に考えていた策を口にすることにした。
「実は、いざというときは大臣に頼ろうと思っていましたの」
「大臣とは……ロベリアが仕えていた?」
エリックの不満顔がさらに歪んだ。
「それはやめておいた方がいい。あれは権力のことしか考えていない無能だぞ?」
「無能かもしれませんが、鼻は効く男ですのよ」
あの男は無能で、派閥と年功序列で大臣にまでのし上った人物とはいえ、彼と同じように権力欲の強い人物は少なくないし、自身が大臣になろうと虎視眈々と狙い続けている。同じ目的の敵が多いなかで、数年間も地位を維持し続けている点では、それなりに優秀であるともいえる。ある意味、ロベリアよりずっと世渡り上手だ。
「あの男に踊ってもらえば、ルージュの目を誤魔化すことができます」
ロベリアが働いていた頃とスケジュールが同じであれば、この時間は執務室にいるはずだ。幸いにも、執務室までの距離は短い。
「ティモシー君、お願いできますか?」
「もちろん」
ティモシーは、了解とばかりに尻尾をピンっと立てる。
ロベリアはティモシーの頭を軽くなでると、レベッカに一筆してもらった書状が入った袋を取り出せば、ティモシーの首元にくくりつけた。
「私の予想が正しければ、大臣は貴方のために動いてくださるはず。こちらの塔で一騒動を起こしてもらう隙に、私とエリック様で鐘のある塔へ。アーロンは抜け道の入り口まで護衛してくださる?」
「心得ました」
「ありがとうございます。……それでは、エリック様。道案内を」
ロベリアがエリックに話を振れば、彼は渋い表情のまま頷いた。
「……ロベリアさん、いまなら出られます」
アーロンがこっそり扉を開き、外の様子を確認している。ロベリアはローブのフードを被りなおし、彼に続いて外に出た。
廊下はひっそりと静まり返り、人っ子一人見当たらない。
「エリック様」
ロベリアが呼びかけると、エリックはセレスティーナを名残惜しそうに触っていた。彼女の耳元に小声で何かを呟いたあと、厳しい顔色でこちらに向かって来る。
「……こっちだ」
エリックが歩き出す。ロベリアとアーロンは、その半歩後ろに続いた。ちらりと振り返り、ティモシーの方に視線を向けた。ティモシーは一匹、空の匂いを嗅ぐように進んでいる。彼の後ろ姿からは、絶対にレベッカの力になるという確固たる意志を感じた。
「……っ」
頑張れ、と声援を呟こうとした口を閉じる。
ティモシーはすでに頑張っている。これ以上、彼に語りかける言葉はない。ただ、胸の内で成功を祈るだけである。
「こっちだ、急げ」
エリックの切羽詰まった声が聞こえる。
ロベリアはティモシーに背を向け、彼らの後ろを追いかけるのだった。




