6話 ちょっとしたお茶会
家に戻ると、すぐに薬作りを始めた。
石鉢に採ったばかりの薬草を入れ、すり棒で潰し始める。
すり棒も石なので振り下ろすたびに重くて腕が怠くなるが、叩いたり磨り潰しているうちに苦みのある草の臭いが漂ってきた。
「よし、これを水を入れた大鍋に入れてっと」
ロベリアは火をかけた鍋を混ぜ始める。
ふつふつ沸騰して来たところで、昨日のうちに採っておいた木の実を放り込み、今度は反対方向へ棒を廻す。
スミレ色の液体を攪拌していると、ロベリアの頭の中で乳母の声が蘇った。
『特別な呪文はいらないわ』
ベガは鍋を混ぜながら、良く口にしていた。
『適切な材料を適量用意して、正しく調合するのよ。でも、一歩間違えたら毒にもなりかねないから、作るときは慎重にね』
ベガは鍋から目を逸らさず、柔らかい口調で言った。
あの人は、自分の薬で自分を治さなかったのかしら。それとも、治すことができない病だったのかしら……ロベリアがそんなことを思いながら攪拌していると、足元から声が聞こえてきた。
「やはり魔女なのか?」
「違います」
紫の深みが増してきた鍋のなかに、スプーン一杯の蜜を一振り落としながら答える。
「これは乳母に教えてもらったのよ」
「なら、その人が魔女?」
「どうなのかしら?」
ベガは秘密の庭、薬作り、他にも様々な不思議なことを知っていた。
しかし、彼女はクロックフォード伯爵家に仕えていた乳母であることに違いはなく、どうして魔女が自分の乳母になったのか、いまいち理解できない。
「ま、考えても埒がないか」
「主?」
「なんでもありませんわ。あとは置くだけですから、お茶にしましょう」
「お茶!」
ナギの尻尾がぴんっと立つ。
瞬間、深緑の瞳が光ったが、すぐに普段の表情に戻る。
「俺が淹れるから、主は向こうで待っていてくれないか?」
「私が淹れますよ? 朝は貴方が淹れてくれたので、お返しです」
「うぅ……」
ナギは躊躇うように唸っていたが、
「なら、淹れるところを見せて欲しい」
「もちろん! 構いませんわ」
ロベリアは微笑むと、大鍋の火を消し、お茶の準備を始める。
元々、お茶が好きで、勉強の合間や仕事の合間に茶葉を買い集めていた。旅行鞄の半分は茶缶で埋まっていたと表現しても過言ではない。
「でも、新茶は好きだから、どこかで買いに出かけないと」
ポットを温めながら、自分のやりたいことの多さに苦笑いをした。
「何をしてる?」
ロベリアが茶葉を入れずに湯を捨てるところを見て、ナギが疑問を口にする。
「え? ポットは一度温めておいた方が、美味しく飲めると聞いたことがありまして」
忙しい時はやらないけど、と付け足せば、ナギは神妙な顔で頷いた。
そのまま黙って、ロベリアの手元を覗き込んでいる。茶葉を入れる量や湯の注ぎ方を観察するようにじっと見てくるので、なんだか気恥しくて手元が狂ってしまいそうになった。
「……ふふ」
ロベリアは笑った。
ロベリア自身もお茶が好きだが、ナギもお茶が好きだ。
彼は言わないけど、ロベリアが淹れたお茶をこの上なく好いてくれている。
遡ること二日。
二人で「秘密の庭」に来た初日、一通りの掃除を終えた後、初めてのお茶会をした。
お茶会といっても、貴族の社交で行った茶会の足元にも及ばない質素で素っ気ない茶会だ。
自分で淹れた茶と焼き菓子をテーブルに並べて、のんびり一緒に嗜んだだけ。菓子やスコーンを載せた三段のティーセットもなければ、黙々と茶を注いでくれる侍従もいない。
だけど、空気を読んで興味のない話を笑ったり、事前に最新のドレスや宝飾品の話を仕入れて披露したり、菓子のつまみ方や微笑み方など一挙一動に気を配ったりしなくてすむのは心地が良い。
かといって、一人で茶を飲むのは静かでよいが、でも寂しくて。
なので、ナギが一緒にいてくれて、普段の倍以上、心安らかにお茶を楽しむことができた。
なにより嬉しかったのは、ナギの反応だ。
『なんだ、これは』
ナギがロベリアが淹れたお茶を一口、飲んだ瞬間、瞳をこれでもかというくらい見開き、カップを覗き込んでいた。
『今まで飲んだ中で、一番美味しい』
その声は風にかき消されそうなくらい小さくて、ナギ自身、口から零れ落ちたことに気付いていないような囁きだった。
ロベリアは胸がいっぱいになった。
自分の淹れたお茶を誰かに飲んでもらうのは初めてで、しかも喜んでもらえた。
思えば、褒めてもらえたのは、いつ以来だろうか。
幼少期、ベガが褒めてくれた。
それ以降、一度もない。
母はルージュしか目に入れず、父もロベリアを政略結婚の道具としか見てくれなかった。父の教育の甲斐があり、ロベリアがエリック王子の婚約者に決まり、次期王妃と内定した時でさえ、
『エリック王子に恥をかかせるな。お前が何かしでかしたが最後、クロックフォード家が没落する。分かるか? ルージュにも迷惑がかかるのだぞ?』
と、妹のことばかり気にしていた。
大臣の秘書官として働いていたときも、誰からも期待されなかった。
他の秘書官たちの倍以上働いていたのに、大臣は文句しか言わなかった。むしろ、お前のせいで余計な仕事が増えたと愚痴られた。ロベリアに言わせれば、その仕事をやらなかったら後で皺寄せが来るし、国のためを思えば仕方のない仕事だったのに。
挙句の果てに、エリックはルージュを選んだ。
つまり、15年ぶり。
本人が無意識に発した言葉は、15年間ぶりに捧げられた言葉だった。
そう思えば、余計に喉元から熱が込み上げてくる。それこそ、彼の独り言は魔法のように温かく心に染みこんできて、冷たい感覚が頬を伝った。
『ま、主!? どうした、主!?』
ナギがカップを置き、あたふたと身を乗り出す姿を見て、ロベリアは目元を拭った。
『なんでもありませんわ。ただ、目にゴミが入ってしまって』
まさか、貴方が喜んでくれたのが表現できないくらい嬉しい……なんて言えなくて。
今も思い出せば、目元が潤んでしまう。
「主?」
ロベリアが記憶に浸っていれば、ナギが不安そうにのぞき込んできた。
「何でもありませんわ。さ、テラスへ行きましょうか」
お茶と焼き菓子を板に置き、外へと運ぶ。
軒先に深く屋根がかかっているので、雨でもお茶ができるので嬉しい空間だ。さすがに、冬の雪が積もった日は寒くてお茶はできないかもしれないが、それはそれで風情があるかもしれない。
「ナギの分よ」
ロベリアは口の広いカップに、今日のお茶を注いでいく。ナギは軽快にテーブルに飛び乗ると、コンソメスープのように薄く透き通った色の茶に顔を映し、不思議そうに呟いた。
「これがお茶? 色が薄すぎないか?」
「セーロン国の山で採れた茶は、こんな色をしているのよ」
ロベリアは自分の分を口に含んだ。
砂糖を入れていないのに、甘く上品な蜜を思わせる味が広がっていく。雑草取りと薬作りをしただけなのに疲れた身体が安堵しているのが分かる。
「主。午後は何をする?」
「そろそろ畑や花壇を耕そうかと思っているの。苗や球根を買う前に、土を柔らかくしないといけないから」
別に後から耕しても良いのだが、買い物後に一から耕すのは骨が折れる。
最低限必要なものは持ってきたが、実際に暮らしてみるとあれも足りない、これも足りないと分かってきた。たくさんのものを買い込まないといけないし、薬も売らないといけないので意外と疲れると思う。
「買い物、俺もついて行っていいか?」
「そうね……やっぱり留守番は嫌?」
「主がしろと言えばする」
とは言っているが、ナギの顔には「寂しい」と訴えている。
ロベリアは手を伸ばし、触れて良いかと尋ねる。ナギは静々と頭を差し出してきたので、短い角と角の間に掌を乗せた。
「本当は連れて行きたいけど、ドラゴン連れは目立つから。まず、私一人で様子を見ようと思うの。
私が留守の間、家をお願いできないかしら?」
「その間、誰が主を守る?」
ロベリアは虚を突かれた。
ナギの言ったことを理解するのに、瞬き二度ほどかかった。
最初は冗談を言っているのかと思ったが、ナギはロベリアを真摯に見つめてくる。ロベリアはくすっと笑った。
「ありがとう、小さな騎士様。でも、一人で大丈夫ですから」
「小さくない! 俺は……っ!」
「畑を耕すときは、ナギも土を掘り返してくれる? もちろん、できる範囲で良いけど」
「あ、ああ、分かった。俺に任せろ!」
ナギはばさりと翼を広げた。
「だがな、主。もし、問題ないとわかったら買い物に連れて行ってくれ」
「そうね。そのときは、一緒にお買い物をしましょう」
ナギは満足そうに喉を鳴らした。
ロベリアは少し渋みが滲み出始めたお茶を置くと、焼き菓子を半分に割る。残りの半分をナギの口元に近づければ、彼は喜んで口にする。
はむはむと食べている姿に、ちょっと可愛いな……なんて思っていると、ナギは思い出したように顔を上げた。彼は、何か言いたそうに口を開けたり閉めたりしている。
「その、お願いがあるのだが」
どうしたのだろうか?と待っていると、ナギは少し顔を背ける。
頬の辺りの鱗を更に赤らめながら、ロベリアの小さな騎士は虫のような声で呟いた。
「主さえよければだが、その、少しでいいから、肉を買ってきてもらえると嬉しい」
「あ、うん……」
ロベリアは神妙に頷いた。
基本肉食のドラゴンには深刻な問題だ。用意しておいた食糧の中に肉はなく、この二日間は肉なし草食生活。
せめて、燻製肉も用意しておけばよかった……と申し訳なさが込み上げてくる。
「ごめんね。お肉、買ってくるから」
ナギ、本当にごめんなさい。
そこまで頭が回らなかった……と、ロベリアは、がっくし頭を落とした。




