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幕間 ナギの夢

幕間です


 東の空に、薄く赤い雲が伸びる。

 そろそろ、夜が明ける頃、ちいさなドラゴンの叫び声が「秘密の庭」を震わせた。


「っ、主ー!」


 ナギは飛び起きた。

 はぁ、はぁと荒い息を繰り返し、背中の翼を羽ばたかせる。急いで周囲に目を走らせ、自身が家の廊下に寝そべっていることを理解すると、へなへなとドラゴンの長い首を垂らした。


「なんだ……夢、か」


 悪寒のせいで、びっしょりと汗をかいてしまっている。ひんやりと冷たい床に寝そべり、少しずつ熱を冷ましながら、ナギは荒い呼吸を落ち着かせることに専念した。


「嫌な夢だったな」


 ロベリアが自分を置いて、一人王都へ向かってしまう夢を見た。

 夢の中のロベリアは無理やり笑っていたが、いまにも泣き出しそうな震え声で別れを告げると、家から出て行ってしまったのである。

 ナギがいくら走っても追いつかず、止めることができない。

 せめて、声だけでも届けたいと叫んだところ、現実のナギ自身も叫んでしまったらしく、その声に驚いて起きてしまったというのが真相のようだ。


 ひとしきり呼吸が落ち着いてくると、どうして自分が廊下で寝ているのか疑問が芽生えてきた。


「……そうだ、俺は確か……見張っていたんだ」


 くるりと後ろを振り返る。

 昨夜、ロベリアが寝静まった後、一人でこっそり起き上がり、クレアの眠る客室の前で見張りをしていたのだ。

 ナギは、クレアの事情をあまり知らない。

 けれど、もし自分の主ロベリアが悪い奴に捕らわれたことを想定すると、いてもたってもいられない。クレアが負っている程度の傷であれば、颯爽と治療院を抜け出し、主のもとへ飛び立っていただろう。


 しかし、勝手に抜けだされても困る。

 ナギが寝ている間に、『ロベリアが鐘を鳴らせばすべては解決する』と強硬な姿勢をとり、ロベリアを拉致されては、たまったものではない。


「……お茶、淹れるか」


 大きなあくびをしながら、身体を少しずつ伸ばす。ナギは人の姿へ変身しながら、リビングへと移動した。日課のお茶を淹れている間に、クレアが唐突に起床し、風のようにロベリアを浚うなどという展開はないだろう。


「……ロベリア……」


 ナギの口から、大好きな彼女の名がこぼれる。聖女の末裔だとか詳しく知らないが、彼女には幸せになってもらいたかった。


 いつも通り、お茶を淹れる練習をしながら思いを馳せる。


 ここに来た最初の日、ロベリアは茶を振舞ってくれた。

 あのときの一杯で、茶など誰が淹れても変わらないという固定観念が一気に打ち砕かれた。鱗一枚一枚にじんわりと優しいお茶の味が染み入っていくような美味さは格別で、くたびれた身体にはしった衝撃は忘れられない。あの素晴らしい一杯の再現を目指して、練習を始めて数か月が経過しようとしているが、いまだにあの一杯を超えるものは未だに淹れることができなかった。


「俺は、あのときの感動を……味わってもらいたいのに……」


 ロベリアは「美味しい」と評してくれるが、自分の目指すものとは程遠い。

 一体、何が足りないのだろうか? 

 茶葉の選定も、お湯の温度も、蒸らす時間も、茶器の準備もすべて覚え、完璧だと思うのに、あと一歩、なにか足りない。


 ナギはため息をついて、首を横に振る。

 このままでは、雑念がお茶に伝わり、風味に影響してしまいそうだ。


「俺は、まだまだだな……ん?」


 ここで、ふと、テーブルの上にメモがあることに気づいた。

 ロベリアが好んで使うメモ用紙には几帳面な文字が並んでいる。ナギはメモに指を伸ばした。


「なんだ、これは?」


 そこに書かれた文字を読み、ナギは愕然とする。


「『王都へ行ってきます。すぐに戻るので、留守番をお願いしますね』……だと」


 ナギは鈍器で頭を殴られたような思いだった。

 クレアに連れ浚われることは想定していたが、ロベリアが自ら、それも単身で王都に乗り込むとは思ってもみなかったのである。


「主!」


 急いで火を止め、ロベリアの部屋へ駆け込むが、すっかりもぬけの殻だった。ベッドに手を置いてみるが、まったく熱を感じない。すっかり冷え切ってしまっていた。


「俺が寝入った後、出かけて行ったのか」


 ナギは赤髪を掻き、唇を強く噛んだ。

 うかつであった。廊下で眠っていなければ、ロベリアの蛮行を止めることができたというのに……せめて、一緒に連れて行ってもらえたかもしれないのに。


『ナギ、ごめんなさいね』


 夢で見た、ロベリアのいまにも泣き出しそうな笑顔を思い出す。


「……あんな顔、見たくない」


 ロベリアの笑っている顔が見たい。

 ロベリアには、お茶を飲んでいるときのように、ふわっと花が咲くような笑顔が似合うのだ。


「っ、クレア!」


 ナギは扉を蹴り飛ばす勢いで客間に入った。

 クレアの返事も待たず、ナギは小竜の姿へと戻り、彼女の顔の付近まで飛び込む。クレアは唐突な侵入者の存在に気づいたのか、辛そうに寝ぼけ眼を開いた。


「……む、ロベリア殿のドラゴンか」


 クレアは眠たそうに目をこする。


「すまない、もう少し寝かせて……」

「王都への行き方、教えてくれ」

「王都だと?」


 ナギが詰め寄ると、クレアは眠たそうに言葉を繰り返したが、ナギの必死さに気づいたのか、すぐに一気に目が覚めたようだった。


「なにが起きた?」


 クレアは、きりっと顔を凛々しく引き締め、真面目な態度で問いかけてくる。

 ナギは置き手紙を見せ、事の次第を説明した。


「ロベリア殿、一人で? こんな夜に森を抜けたと?」

「鍵を使ったんだ」

「鍵?」

「自分の行きたいところに通じる扉を呼び出す鍵だ。あれを使えば、一瞬で王都へ行くことができる」

「なるほど、魔法道具の類か」


 クレアは納得がいったように頷いているが、いまはそれどころではない。

 とにかく、早急に王都へ向かわなければならない。


「待て、お前も王都へ行くのか?」


 ナギが窓を開け放ち、一目散に外へ飛び出すと、クレアの声が追ってくる。


「お前程度のドラゴンが行っても、足手まといになるだけだ!」


 振り返れば、クレアは憮然とした様子で腕組みをしていた。


「ロベリア殿が心配なことは分かる。私が王都へ行き、様子を確かめて戻る。それまで、ただのドラゴンは――」

「黙ってここにいるわけにはいかない!」


 ナギは吼えるように言い返し、すぐさま人の姿をとった。ナギはクレアの唖然とする顔を睨みつけると、自身の胸に手をあてる。手のひらから、とくん、とくんと心臓が鼓動を打つ音が伝わってきた。


「主は……ロベリアは、俺に名を与え、生きる意味を与えてくれた。俺が決めた生涯の相棒(パートナー)だ」


 ナギはそう言いながら、手のひらを額へと移動する。


「俺は一度、守れなかった」


 脳裏に浮かぶのは、アーロンが庭を襲来したときのこと。

 自身が必死に戦ったが、結局のところ、ロベリアに守られてしまった。あのときのように、彼女の顔が泣き出しそうになるところを見たくない。彼女を絶対に泣かせないと誓ったはずなのだ。


「俺が主を守る。今度こそ、絶対に……!」


 たとえ、この命が尽きたとしても。


 自身の顔に奔る傷に触れ、覚悟を確かめるように拳を握りしめる。


「お前……」


 クレアの顔は驚きで固まっていたが、ナギの決意を聞くにつれて表情が引きしまっていく。クレアは最後まで聞き終えると、なにかに感じ入るように目を閉じた。


「……止める方が無理だな」


 クレアは掠れるような小さい声で呟くと、意志の強そうな瞳を力強く開いた。


「分かった。一緒に飛ぶとしよう」


 クレアは白銀の髪を右手でかきあげると、首を大きく振りながら窓から身体を乗り出し、庭へと跳躍する。白銀の髪が夜明けの風に触れた途端、髪は肌と同化し、鱗へと姿を変えていく。庭にクレアの両足がつく頃には、優美な白銀のドラゴンへとすっかり戻っていた。


「一日も飛べば到着する。もっとも、私の翼の話だが」

「ついていけるに決まっている!」


 ナギが噛みつくように答えれば、クレアはにやりと笑った。


「ならば、飛ぶぞ。しかしだな、私が言えたものでもないが、無策で突撃しても……」

「……策と呼べるのかは、分からないが……」


 ナギは目を細めた。


「助けを求めるあてはある。俺は正直、そこまで頭はよくないが……主曰く、『困ったときは、一人で悩むよりも誰かに相談する』だ」


 いつの日か、ロベリアが話した言葉を思い出す。

 あのとき、ロベリアが導き出した答えは、いまでも理解をすることが難しい。けれど、あのときみたいに、ロベリアが謎を解決したときの絡まっていた糸が解けるような、柔らかい表情は好きだった。


「相談相手は?」

「一人、心当たりがいる。問題は、無事に王都へ潜入できるのかだ」

「……ふむ」


 クレアは考え込むように空を見上げる。

 空に瞬く星の数は確実に少なくなり、東の空は眩しさを増している。あまり悩んでいる時間はない。


「ロベリア殿のように、誰にも知られることなく王都入りをすることは難しい。空から侵入したくとも、王都周辺の空は、ドラグーンが守護しているからな」

「ドラグーンの守備が弱まるのは難しいか?」

「難しい。私が戻ってくるのを待っている。騎乗する人間が魅了されている以上、私を拘束することを止めようとしないだろう」


 だが、とクレアは話を続けた。


「奴らが待っているのは、私の帰還だ。つまり、お前ではない」

「どういうことだ?」

「私が囮になるということだ」


 クレアは宣言すると、思いっきり翼を羽ばたかせた。庭中の草花が突風で一気に傾き、家畜小屋では魔山羊たちが何事かと鳴き始める。


「私が囮になる。その隙に、お前は戦線を離脱。眼下に広がる城下へ潜入しろ。なに、ドラゴンたちは見逃してくれるさ」

「……そんな楽観的な憶測で大丈夫なのか?」

「楽観的だろうがなんだろうが、他に作戦はあるのか?」

 ナギは答えることができなかった。これが上策だとは思えないが、他に自分の頭で考えつくものはない。

「分かった」


 ナギは翼を広げると、思いっきり飛び上がった。いつしか、ロベリアを助けたときのように巨大なドラゴンへと変化しながら、クレアの隣に滞空した。


「他に良い案がないか、飛びながら考えよう」

「もちろん」


 クレアは吼えると、雲の上まで飛び上がった。

 ナギも彼女を追いかけるように、力強く翼を動かす。前から吹き付ける風は強く、身体を上から押しつぶそうとしてくるみたいだ。ナギは風に負けるものかと奥歯を噛みしめ、クレアの足元まで上昇する。


「ほう、本当について来れるとは」

「試さなくていい。俺は主を助けるんだ」

「愚問だな。私も同じ気持ちだ。王を助ける。そのために、ロベリア殿の助力を請いに来たのだ」


 クレアは南の空へと舵を取る。ナギも負けじと追いつきながら、喰らいつくように叫んだ。


「クレア、本当に黄金の鐘とやらを鳴らせばいいんだな?」

「たぶんな」

「たぶんでは困る!」


 すでに太陽は完全に顔を出し、空が眩い青色に染まっている。最初こそ東の空の雲はこんがり焼けたパンのように漂っていたが、いつのまにか、すっかり白い綿雲へと変わってしまっていた。

 刻一刻時間が過ぎていることが目に見えて分かり、ナギの内には急く気持ちばかりが込み上げてくる。


「主は王都にいる。もしかしたら、もう行動を起こしているかもしれない」


 ナギたちが王都に着いたとき、すべてが終わっている可能性もあるのだ。


「なに、ロベリア殿はそう簡単に殺されないさ」


 クレアは何でもないように言った。


「ルージュは人を弄ぶのが好きな女だ。ロベリア殿の不幸を喜ぶ女でもある。あっさりと殺しては、なにも面白みがなかろうが」

「それは……そうだが」


 ナギは苦悶の声を上げてしまう。

 それでも、ロベリアが辛い思いをするのは嫌なのだ。たとえ、一時的であったとしても、ルージュによってさらなる不幸に陥れられるところを見たくはなく、味わってほしくない。ナギが言い淀んでいれば、クレアが少しだけ笑ったような気がした。


「……ロベリア殿は、良き相棒と巡り会えたものだ」


 クレアは小さく呟いた。


「ところで、お前はロベリア殿との契約はしたのか?」

「契約?」


 ナギは彼女の横を飛びながら尋ね返すと、初歩的なことも知らないのだなと笑われる。

 ナギは憮然とした態度で、彼女の隣を飛翔していた。

 正直、クレアのことは苦手だ。国王のドラゴンという肩書があるためなのかもしれないが、どこか他人を見下すような態度は好きになれなかった。悪いドラゴンではないことは分かるが、打ち解けるのには時間がかかりそうである。ナギはどのように反応すればいいか、やや迷ったあと、どこか怒ったような口調で言葉を返していた。


「俺は正規の教育を受けていないからな。初歩的なことも知らない。契約とは、どういうことなのか教えてくれ」


 ナギは「国王のドラゴンに対し、その口の利き方は不敬である!」と怒られるかとも思ったが、よく考えれば今更である。そう割り切って聞き返せば、クレアはすまないと笑っていた。


「人間と相棒になるとき、魔力の契約を結ぶ。具体的には、自身の血を相手に飲ませる」

「血を飲ませる? 何故だ?」


 ナギが眉を寄せて悩んでいると、クレアは真摯な声色で応えてくれた。


「私たちと人間は寿命が違う。私たちは二百、三百と年を重ねることができるが、人間は百までしか生きられない。相棒の契約をすれば、どちらか一方が死ねば、己も眠るように死ぬ」

「同じ時間を生きるということか」


 ナギの口から言葉が零れ落ちる。

 そういえば、深く考えたことがなかった。

 ロベリアも自身と同じ時間の流れのなかを生きていると、これまでもなんとなく思っていた。しかしながら、このまま共に歩めば、ロベリアの方が先に死ぬ。たとえ、この窮地を乗り越えることができたとしても、いつか別れが訪れるのだ。


「彼女がいない世界を生きていくのは……辛いな」


 心のうちに、ぽっかりと穴が開いたような空虚な気持ちが過る。

 昔の乱暴な飼い主から救い出し、生きる意味を与えてくれた。彼女と同じ存在が、彼女のいない世界にいるとは思えない。


「まあ、おいおい考えていけばいい」


 ナギが身体の奥から冷えていくような肌寒い感覚に恐ろしさを感じていれば、クレアはなんでもないように言った。


「ロベリア殿を救い出せ。すべては、それからだ」


 日は昇り、空は鮮やかな青色に染まっている。あれだけ瞬いていた星はすっかり姿を消し、夜の名残りは一切ない。


「……主、必ず助ける」


 だから、一人で無理をするな。

 ナギは祈るように力を籠め、赤い両翼を羽ばたかせた。






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