56話 入城!
王都の朝はいつも通り。
王城で起きたクーデターのことなど、一般人が知る由もない。
王城もまた、いつも通りの日常が始まっていた。
すでに九割をルージュに掌握されていたため、王がいなくなったことに対する混乱はさほど起きていない。騎士たちは宿舎から城へ出仕し、政務官や魔法使いたちも仕事をはじめる。
国王陛下がいない穴を埋めるのは、エリックだった。
「この書類に判を押せばいいのだな?」
エリックは、意気揚々と政務に励もうとしていた。
幼き頃より憧れていた王座に腰を降ろし、政務官が運んでくる書類に目を通す。次々と判を押していたが、五枚目辺りでぴたりと止まってしまった。
「……ん、まて。これ、おかしくないか?」
エリックは一度、自分が寝ぼけているのかと疑うかのように指で目元をこすった。
「やっぱり、おかしい。税が高すぎる。この半分で良いはずではないか?」
「しかしですね、これくらいとらないとやっていけないのですよ」
「どういうことだ?」
エリックは首を傾げる。
エリックの記憶が正しければ、数年前の税は半分以下だったはずだ。それがいきなり倍額にまで膨れ上がるほど、凶作だったわけでも戦争があったわけでもない。エリックが説明を求めると、政務官がはぁっと退屈そうに言った。
「最近、出費が多いものでして。ですが、仕方ありません」
「仕方ないとはどういうことだ? 出費の内容によっては、削減しなければならない」
「ルージュ様です」
政務官は高らかに答えた。ルージュの名を口にしたときの顔は、この世の春を満喫しているような恍惚とした顔になる。
「ルージュ様が宝石や新しいドレスをご購入されるための費用がどうしてもかかってしまい、このように税をあげるしかないのです」
「そうか、ルージュが…………それならしかたない、のか。いや、まて。それにしても、この出費は多すぎはしないか。いくらなんでも……」
「なんと! 王子様は、ルージュ様が美しく着飾る姿を見たくないと?」
「そ、そんなわけない!」
エリックは慌てて承認の判を押した。
「彼女が望むのであれば、税を上げるのはいたしかたなし」
エリックは言い訳のように口にしながらも、頭の片隅では「本当にそれでいいのか?」と疑問が芽生えていた。ルージュには十分以上のドレスがある。装飾品も数限りなく持参している。
ドレスも装飾品も、季節や流行があると聞くが、いくらなんでも作りすぎではないか? 少なくとも、税という形で庶民に無理をさせるほど買う必要はないのではない……気がした。
「エリック様は女心が分かっていませんね」
政務官は次の書類を用意しながら、どこか馬鹿にするように呟いた。
「どうでしょう? 仕事は一旦、ここまでとして、ルージュ様に会いに行かれては? お悩みのようですし、気分が晴れるかと」
「む! それは良い考えだ!」
エリックは晴れ晴れとした顔で立ち上がり、はたと我に返る。
「いやいや、仕事を始めたばかりではないか」
エリックは首を振ると、再び腰を据えて仕事に励む。
政務官は、そんな王子の姿を見て、内心、舌打ちをした。
彼は愛しのルージュから「エリック王子が、私のことを悪く思うようなことがあったら、私のところまで連れて来て」とお願いされていたのだ。エリックへの魅了のかけ直しをするためなのだが、政務官はそこまで知らない。ただ、愛しのルージュがエリックの愛を確かめたいがために言っているのだと思っている。
「ルージュ様から伴侶に選ばれるだけ愛されているのに……羨ましい」
「何か言ったか?」
「いえ、なにも」
政務官はエリックの問いに答えることなく、次の仕事に取り組むように促す。
そんな時だった。
「た、大変です!」
別の政務官が王の執務室に転がり込んできたのだ。
「なにがあったか?」
「ろ、ロベリア様が、お戻りになられたのです……!」
「な、なんだって?」
エリックは目がこぼれ落ちそうなほど驚いた。あまりに驚いて立ち上がったものだから、足の裾を踏んでしまい、転んでしまいそうになる。転倒寸前で机につかまり、事なきをえたが、何が起きたのか理解できなかった。
「どういうことだ?」
「は、はぁ。私も分からないのですが……」
政務官は目を白黒させていた。
王の執務室でも動揺が広がっていたが、実際の城門では更なる激震が奔っていた。
「あ、貴方様は……」
城門を守護する騎士たちは、動揺のあまり震える声で問いただす。
ここ数か月行方知らずのクロックフォード伯爵家の令嬢と名乗る者が、いきなり現れたのである。
「ロベリア・クロックフォードです。そこの城門を開けてくださいませ」
凛とした金髪の女性は、腰の曲がった従者を連れ、堂々とたたずんでいた。
「失礼ですが、本当にロベリア様でお間違いないでしょうか……?」
「ええ、そうよ」
ロベリアを名乗る女性は、凛とした声で言い放った。
金髪を風になびかせ、橙色の瞳をぱっちりとあけた女性は、取り囲まれた騎士たちに臆することなく背筋を伸ばしていた。優雅に扇子を広げ、口元を貞淑に隠していたが、彼女が余裕たっぷりに微笑んでいることは、誰の目から見ても明らかである。
「噂によれば、ルージュがエリック王子と結婚するとか。お祝いをしに来たのよ。通してくださる?」
「き、貴様……っ」
騎士はルージュ様に敬称をつけないとは、と続けようとしたが、女性は「何か文句でも?」と言わんばかりに目を細める。視線を向けられ、騎士は黙り込んで後ずさりをしてしまった。彼女には有無を言わさぬ威厳があった。
「では、通してくださいな。誰か、妹のところまで案内してちょうだい」
「は、はい」
一人の騎士が挙手をすると、おずおずと案内を始めた。ロベリアは周囲の戸惑いや嫌悪の視線が一気に集中していることに動じることなく、まるで女王のように城を歩き出した。廊下を歩く者たちは彼女のために道を開け、「ロベリアに会ったら罵倒の言葉でもかけてやるか」と思っていた者も、いまはただ小さくも威厳ある後ろ姿を見ることしかできない。
「……へぇ、お姉さま。自分から来たんだ」
ロベリアが中庭まで進んだとき、二階のベランダから声をかける者がいた。
「ごきげんよう、また会えて嬉しいわ」
「……」
ロベリアは、ルージュを黙って見上げた。
「お姉さまから会いに来てくれるだなんて……うふふ、でもね、私、悲しかったのよ。お姉さまが消えちゃったから……寂しくて、寂しくて……」
ルージュは、いかにもわざとらしく目元に涙を浮かべてみせる。それだけで、どこかロベリアに圧倒され、支配されていた空気が、がらりと一変する。ロベリアに対する感情が畏怖めいていたものから憎悪へと急激に方向転換され、中庭全体が肌を刺すような怒りへと包み込まれた。
「おい、女! ルージュ様を泣かすなんて……!」
「女、ですって?」
ロベリアは扇子で口元を隠したまま、自身を蔑もうとした男を一瞥した。
「口を慎みなさい。私はクロックフォード伯爵の娘ですのよ」
ロベリアが凄むと、その男は「貴族だからと言って威張るのは……」と、もごもごとした言葉を呟くことしかできなかった。ロベリアは橙色の瞳ではっきりと言い返せない男を見据えたまま、呆れたように息を吐いた。
「この国の爵位も地に落ちたモノですわね。まがりなりにも伯爵家の娘に、罵声を浴びせようとするなんて。エリックは貴族教育をしているのかしら?」
「エリックは関係ないわよ。もう、お姉さまのくせに生意気言っちゃって」
ルージュの表情はコロっと変わった。涙は跡形もなく消え、すぐに頬を怒ったように膨らませる。
「それは失礼しましたわ。ところで、お腹の赤子は元気かしら?」
ロベリアはルージュの腹部を一瞥した。
「そろそろ安定期かしら?」
「おかげさまで」
ルージュは膨れたお腹を優しくなでた。相変わらず、フリルをたっぷりあしらったピンク色のドレスで可愛く着飾っている。こちら《ロベリア》の記憶と違う点は、お腹が膨らんでいることだけだった。
「なら、よくってよ。……ところで、ルージュ。私はこれから王様に拝謁を願おうと思っているの。せっかく王城に来たのだから、婚約破棄されるような娘で申し訳ありませんでしたと直接謝りたいと思いまして」
「それはだめよ」
ルージュはころころと笑った。
「あら、どうして?」
「王様はねぇ、病気なの」
「まあ、それは大変! お見舞いをしないといけませんわ」
「え、えっとね、お見舞いは禁止されてるの。病気が伝染したら大変でしょう?」
「そんな……!」
ロベリアは、わざとらしく大きく目を見開いた。
「お見舞いも禁止されてしまうほどの病だなんて……この数か月で何があったのかしら?」
「……知らないの?」
「私、王都を離れていましたから」
ルージュは探るような眼でロベリアを見下ろした。ロベリアもルージュを推し量るように見上げる。しばらく睨みあいが続いた後、さきに逸らしたのは、ルージュだった。
「それもそうね。それじゃあ、せっかくだもの。お姉さまを特別な部屋に招待してあげる」
「いえ、このまま帰るからお気になさらず」
「私が気にするのよ」
ルージュは紅を差した唇で弧を描いた。
「お姉さまにはね、泊っていってほしいの。しばらくの間、ね」
「しばらくとは?」
「んー、結婚式までかな。だって、またいなくなったら困るもの」
ルージュは無邪気っぽく笑うと、ロベリアを取り囲む騎士たちに上から指示を飛ばそうとした。
「おかしいですわね」
しかし、ロベリアが待ったをかける。
「結婚式は、いつ執り行うつもり?」
「それはねぇ、一週間後!」
「あらまあ。それは、お早いことで」
ロベリアがくすりとすれば、ルージュは笑みを引っ込めた。
「なにが変なところでも?」
「いえ。国王陛下が重たい病に苦しんでいるというのに、自身は結婚式をあげるだなんて……為政者として、どうかしらと思っただけですの」
ルージュは黙り込んだ。ロベリアを取り囲む騎士たちも「確かにそうだ」と頷き始めている。
「だ、だって、決まっていたことだから、仕方ないじゃない! 文句があるなら――」
「文句などありませんわ」
「え?」
あっさりと返されてしまい、ルージュはたじろいた。
「私は、ただの伯爵家の娘。婚約も破棄され、王家とは関係ない身。しいていうのでしたら、王子の婚約者の姉でしかありません。国の運営に口を出せる身分ではありませんのよ」
ロベリアは相変わらず、口元は隠したまま言った。
「でも、良かったですわ。一週間で終わるなら。特別な部屋なんて、のびのびと過ごしにくそうな場所に長居したくありませんから。――さあ、連れて行きなさい」
ロベリアは最後まで言い終えてから、ぱちんと扇子を閉じた。
「むぅ、お姉さまのくせに生意気ー」
ルージュは文句を投げかけるが、ロベリアは不敵に微笑んだまま答えなかった。
そのまま、ロベリアは特別な部屋……もとい、地下の牢獄へ連行される。されど、その歩き姿立ち振る舞いは大変凛々しく、周囲の者たちからの目を集めた。
「……なぁ、本当にあの人を地下牢に入れるのか?」
「なんだか、悪いことをしてる気が……いや、ルージュ様のためなんだ」
「そうだそうだ、ルージュ様の命令だ! きっと、地下牢に入れられるようなことをしていたに違いない!」
「ルージュ様に逆らう女だ!」
「地下牢がお似合いだ!」
「でもさ、本当にいいのか……?」
彼女に集まるのは、多大なる非難と少しばかりの同情の声。周りの目は皆一心に彼女へと引きつけられ、このときばかりは、ルージュの美貌に目を向け惚ける者もいない。
ルージュですら、ロベリアの連行される姿に目を向けていた。
ロベリア・クロックフォードの従者が消えていたことには、誰も気がつかなかった。




