50話 時の流れ
フェルトの街は不思議な雰囲気に包まれていた。
日差しが強く、あまりにも青すぎる空が頭上一杯に広がっている。真夏の陽光は白で統一された家々に照り返し、より一層、空の青さと海の鮮やかさ、街並みの白さが際立って感じた。
こんなにも明るく眩しいのに、のんびりした温かさを覚えるのは何故だろう?
白い石畳の道を歩けば、いたるところに、犬や猫がいた。
大きな犬が地面に寝そべり、塀の上で猫が尻尾を揺らしている。手が届く距離にいるというのに、逃げだす様子はなく、すやすやと寝入っていた。たまに、片目を開け、ナギを不思議そうに見る犬猫もいたが、気にしていないと目を閉じる。
のんびりとした時が過ぎる街だな、と思う一方、港の方へ降りていけば、人の賑わいが昇ってきた。
ただ、王都のような賑わいとは雰囲気がやや違う気がした。
声を張り上げているのだが、わいわいと騒がしいわけではなく、全体的にゆったりとした空気で覆われている。
王都ともロックベリーとも違う。
不思議な空気が流れていた。
「ナギ、ナギ」
それでも、人が多いことには変わりない。
ロベリアは、ナギが遠くまで行かないようにと声をかけようとした。
「あまり、遠くへ――」
「む、主」
ロベリアが問いかける前に、ナギは振り返った。
そして、ぴょんぴょんと跳ねるように駆けてくると、ロベリアの肩に軽快に飛び乗った。
「こうすれば、離れないだろ」
「それは……そうだけど」
ナギの体重操作のおかげで、ほとんど重みは感じないが、普段はしないことなので気恥ずかしい。
「まあ、たまにはいいかもしれないわね」
ロベリアはナギの頭に指を近づけ、優しくなでてみる。ナギはくすぐったそうに笑い、やりかえすようにずいずいと鼻先を押し付けてきた。実に可愛らしい。ロベリアは噴き出すように笑いながら、賑わいの道を歩み始める。
「とりあえず、薬問屋を探そうかしら」
まずは、目的を達成するのが先決だ。
ロベリアたちは往来の隅で船乗りたちが輪になって談笑しながら、長い煙管を吸ったり、陽気に顔なじみの地元の人とあいさつを交わしたりする姿を横目で見ながら、薬問屋を探した。
しばらく歩くと、薬をかたどった表札が見えた。やや錆びた表札は、潮風に揺れている。
「ごめんください」
軋む扉を開けると、ひんやりとした空気が足元から漂ってきた。やや乾燥した空気の中に、草の匂いが混じっている気がする。
扉が開けたというのに、人の気配がない。
「あの、ごめんください」
ロベリアは扉を閉じると、周囲を見渡した。
店というよりも、洞窟に入ったような静けさに包まれている。黒々とした岩肌むきだしの壁が三方を覆い、カウンターの向こうに古びた木の扉が一つ。
「留守なのか?」
ナギは肩から軽快に降り、怪訝そうに周囲を見渡した。
「だけど、店の扉を開けたまま外出する?」
「……よほど、うっかりしてるのか?」
「それとも、すぐに戻るつもりなのかも」
二人、顔を見合わせる。
しばらく、待ってみようとしてみるも、五分、十分、三十分経っても、誰か戻ってくる気配はなし。奥の木扉の向こうにいるのではないかと声を張り上げてみるが、音沙汰はない。
「扉を叩いてみる」
ナギは飛び上がると、カウンターを軽々と超えて、木扉の前に降り立った。そして、鋭くとがった爪で扉を気を付けないように加減しながら、とんとんと叩いてみる。
しかし、返事はない。
思い切って、ナギが前足を使って取っ手を回してみる。だが、鍵がかかっているのか、まったく動かなかった。
「どこへ行ったんだ、ここの店主は?」
ナギは呆れ果てた口調で呟くと、ロベリアの足元に戻ってきた。
「出直した方がいいかもしれないわね」
そのあたりで喫茶をして、時間をつぶしてくることにしよう。
ロベリアはがっくし肩を落とすと、入口の方へ足を戻した――そのときだった。
「ふはー、暑かった……んにゃ、お客さんさね?」
扉が開き、眩しい光と共に二つ結びの女性が転がり込んできたのだ。
あちらこちらが跳ね返った茶髪の彼女は、幾つも積み重なった荷を抱えている。
「ごめんなさい、船着き場へ行っていたからさ……おっと、と」
ふらりふらりと歩きながら一礼をしようとするものだから、荷が崩れ落ちそうになる。ロベリアは慌てて駆け寄ると、手を貸そうとした。
「手伝います」
「いいの、いいの。商品は自分で運びたい派なのさ」
彼女はあっけらかんと笑いながら、鍵を器用に扱い始めた。ぐらぐらと揺れて今にも頭から降ってきそうな荷を崩すことなく、カウンターの向こうへと渡り切った。
まさに、奇跡だ。
「どれだけ待ったさね?」
「いえ、そこまで待っていません」
三十分も待った、なんて伝えにくい。
ロベリアが言い淀んでいれば、店主はにゃははと笑った。
「二時間くらい待った? 途中で、一杯ひっかけてきたからさ」
「二時間も留守にしていたのですか!?」
ロベリアは呆気にとられてしまった。
それまでの間に、強盗に入られるとは思っていなかったのだろうか。
「ん? 大丈夫、大丈夫。うちの扉は特別製。うちとお客さんしか通さないようにできてるのさ。
さてと、お客さんは何を所望だい? 一時的に頭が冴える『一角獣の毛』から愛の媚薬に使う『ラミア―の液』まで、きっちり取り揃えてあるさ」
「『銀の蜜』はありますか?」
「銀の蜜? もちろん! 昨日入荷したばかりさ」
ちょっと待ってて、と言い残すと、扉の向こうへ風のように消えていった。今度は何十分も待つことなく、お湯が沸きあがる程度の時間で姿を見せてくれた。
「ベルジュラックの奥地にしか生えぬ銀百合からとれた蜜さ。これを逃せば、次の入荷は一年後さね」
透明な瓶一杯に、ねっとりとした白銀の液が揺れている。
「しかし、お客さんは物好きさ。銀の蜜なんさ、できものを治すくらいにしか使えんのに」
「解毒薬を調合するので」
ロベリアは控えめに笑って答えると、店主は目をぱちぱちと瞬かせた。
「解毒薬? いま、そう言ったさ?」
「ええ」
「解毒薬……解毒薬…………っは!? もしや、ベガさんの娘さんさね!?」
店主は叫ぶや否や、ポケットから眼鏡をとりだした。カウンターから身を乗り出し、ずいっとロベリアに顔を近づけた。
「橙色の瞳……うん、目の感じがそっくりさね!」
「い、いえ。ベガは知っていますが、私の乳母です。母親ではありません」
ロベリアは誤解をとこうとしたが、店主はとんでもない!と首を横に振る。
「んにゃ、ベガの娘さんに違いないさ! じゃなきゃ、銀の蜜で解毒薬が作れるわけねぇさ!」
「ですが……」
「ふむ……納得できないと? 分かった、ゆっくり話すとするさね。上がりなさい」
店主は納得するように頷くと、カウンターを開き、ロベリアの手をつかんだ。そのまま、有無言わさぬ勢いで店の奥へと連れ込まれてしまう。
ロベリアとナギがそこに落ち着くと、店主が香りの高いお茶を用意した。湯気が渦のようにくるくると円を描き、深い緑色をしている。
「渋みのなかに混じる薄っすらとした甘い香り……テマ茶でしょうか?」
「さすがは、ベガさんの娘さん。お目が高いさね!」
店主は陽気に答えると、ナギにはボウル一杯にミルクを注いだ。
「あの……何度も申し上げますが、私はベガの娘ではありません」
「あなたの言い分は分かったさ。だが、うちにも話させてくれさね。そうそう、言い忘れたけど、うちの名前はメイさ。メイ・サッキーナ‐フォーテスキュー。――って、あなたの自己紹介は待ってくれさ。うちの予想が正しけりゃ、あなたはロベリアさね?」
「はい。私はロベリア。こちらは、ナギです」
ロベリアはほんのわずかに驚いた。
メイのくりくりとした目の奥には、確信の色が強く滲んでいる。彼女は根拠に基づいて、ロベリアの名前を言い当てたのだ。
「ベガさんから聞いた通りさ」
ロベリアが驚いてると、メイはにかっと八重歯を見せるように笑った。
「そうさね……銀の蜜の話をする前に、扉の話をするさ」
「扉の話?」
「うちとお客さんしか開けられない扉のことさ。さっき、うちらが入ってきた木扉は、うちとうちが招き入れた者しか入れぬ仕組みになってるさ」
メイは先ほど入ってきた扉に目を向けた。
「魔具の一種ですか?」
「じゃあ、魔具はどうやって作られるか知ってるさ?」
「それは……魔法のような道具だということは知っていますが」
詳しい製造方法は知らない。素直に答えると、メイは深々と頷いた。
「どうやって、魔法を起こすのかは知っとるさね?」
「精霊を使うのですよね?」
ロベリアは魔法使い見習のフローライトを思い出した。
彼女の呼びかけに答え、風と水の精霊が躍るように部屋を掃除していたのだった。
「魔具は、魔法を道具に込めた物さ。要領は魔法と同じで、精霊を呼び出して魔力を明け渡す代わりに、道具に魔法を込める。魔法を込めた道具だから、魔具」
どう、単純でしょ? と、メイは言葉を続けた。
「だけど、魔具ってのは、時間が経つにつれて効果が薄れていくさ。あの扉なんさ、普通なら半月ごとに新しい魔法をかけなければ維持できないさね」
「つまり、ただの魔法をかけられているわけではないと?」
「特別な魔法さ」
メイはこくりとお茶を飲む。
ロベリアもつられて、一口含んだ。テマ茶特有の甘い香りが鼻を通り抜け、頭がすっきりしたような気がする。
「魔具は、どんなに長くても5年もてば良い方さ。けれど、特別な魔法をこめれば、魔具は半永久的に持つのさ。……詠唱で呼びかけなくても、魔法を使える……聖女の魔法ならば」
「聖女って、伝説の?」
いつか、フローライトとジェイドに話した昔話を思い出す。
言葉を紡ぐだけで魔法を顕現させる不思議な女性。不運に見舞われるも各地を旅し、魔法で人を助けたり祝福したりして暮らしたとされる女性の伝承だ。
「あの扉は、聖女の魔具なのですか?」
「そういうことさ」
メイは胸を張った。
「聖女様は、一時期囚われの身になっていたという話は聞いてるさ? うちの先祖様は、聖女様を助けようとした神官の息子なんさ。けど、神官は殺され、聖女様は自由になると生き残った息子をなにかと助けてくれたそうさ。あの扉は、その時に作ってもらった魔具さに」
「……それが本当ですと、何百年も保持しているということですね」
「そうさ! しかも、聖女様の凄いところは、『誰が』『どのような目的で』まで魔具にこめることができるってことさ! 魔法というのは、複雑になればなるほど、難易度が上がるものさ!」
「『誰が』『どのような目的で』……」
ロベリアは言葉を繰り返した。
ちらりと脳裏をよぎったのは、秘密の庭のことだ。
メイが自慢げに『扉』を語る。自分と自分の認めた人間しか入ることを許されないというのは、秘密の庭の仕組みと似ていないだろうか?
もしかすると、『秘密の庭』自体もそこに通じる『鍵』も聖女による産物なのではないか?
フローライトたちもロベリアが住まう森のことを『聖女の終の棲家とされる聖域の森』と呼んでいたこともあり、話がつながるような気がした。
ロベリアが思案していれば、メイは楽しそうに話を続ける。
「後年、聖女様は従者の青年と共に森へ引きこもり、静かに暮らしたさ。けど、うちの店を贔屓にしてくれてさ、子どもたちを連れて来てくれたんさ。それから、代々、聖女様の子孫が訪れてくれるようになったんさよ」
「聖女の子孫が、ベガということですね」
「そうさ。だから、あなたもベガの娘さんさ」
「跳躍しすぎでは?」
ベガは一介の乳母でしかなかったはずなのに、聖女の末裔だった。
驚きはあったが、すとんっと胸に落ちるような気もする。これまであった不思議な出来事、世界から隔絶されたような秘密の庭の存在自体が、聖女の力によるものとすれば納得がいった。
だからといって、庭を継いだ者まで聖女の末裔とは限らないのでは?
ロベリアが同意を求めるように、ナギに目線を向ける。
しかしながら、彼は目線を合わせてくれない。メイに視線を向けているように見えたが、その向こうにいる誰かを見ているような遠い目をしている。
「うちと懇意にしていたと聞いたね? 聖女様秘蔵の薬調合レシピってのがあるのさ。銀の蜜を使った解毒薬なんさ、その最たるものなんさね」
「レシピなんて、見れば誰でもできるのでは?」
「薬調合ってのは、そう簡単にいかないものさ」
メイはムキになったように言い放つ。
「精霊が見えるからといって、魔法は一朝一夕で身につくものではないさね? どうして、薬調合だけ、すぐにできると思うさ? 薬なんて、人の命を左右する。素人が手を出していいはずがないのさ」
「……」
ロベリアは反論できなくなってしまった。
いつのまにか震えだした手を握りしめ、メイを凝視することしかできない。
「聖女ならできる。薬の調合も特別なことをしなくてよいのさ。レシピ通りに作れば、難易度最高ランクの解毒薬でも作り出せるのさ」
「……わたしが、聖女の……ベガの、娘……?」
ぽつり、と呟く。
ずっと目を逸らし続けてきた真実が、背中を撫でるような感覚に襲われた。
「でも、私……そんなことは、一度も……」
「まあ、気持ちは分かるさ。いきなり言われても信じにくいさね」
さあ、お茶を飲んで、と勧めてくる。
ロベリアは波打ち始めた心を落ち着けるように、少しぬるくなったテマ茶を飲んだ。湯気を吐き出すように、すぅっと長く息を吐く。
「……それが本当であれば、私の両親は嘘をついていたのですね」
考えてみれば、乳母なんてそんなものだ。
貴族の娘が直接、自身の乳で子を育てることは稀。ロベリアの母だって例外ではなく、ベガという乳母を雇って、ロベリアを育て上げた。
ルージュは自身の乳で育てたらしいが……。
「そのあたりは、うちも詳しく知らないさ」
メイはわずかにすまなそうな顔をする。
「ただね、あなたの母にも会ったことがあるさ」
「私の、母にも?」
「彼女は、子どもが産めなくて困ってたさ。ベガを通して、うちに何度も相談してきたさ。けれど、どうしても無理だった。……だから、その分の愛情をあなたに注いでいるように見えたさね」
その声は、慈愛に満ちた優しい言葉だった。
「そうだと、いいんですけどね」
嘘を言っているように、見えなかった。
ロベリアが庭の秘密を継げた理由は納得できるし、薬の調合についても理解できる。古い記憶にある母や父は自身に愛情を注いでくれた。
動揺する心とは別のところで、すとんっと胸に落ちていく。
しかしながら、にわかに信じがたい。
この人が本当のことを言っているのであれば……。
なぜ、ルージュは産まれたのだろう?




