49話 海辺の町とドラゴン
※投稿後、重大なミスを発見したので訂正しました。本当に申し訳ありませんでした(8月11日)
海辺の街に着く頃、太陽は天上に差しかかろうとしていた。
早馬でも一晩はかかかる距離だと考えれば、ドラゴンの飛行速度には目を見張る。
「人は見えない。このまま降下するぞ、主」
ロベリアたちは事前に目星をつけていた森に着陸する。街道から外れた森であり、彼の言い分が正しければ本当に人はいないのだろう。
だが、ナギが今の巨体のままでは、森の木々を広範囲に押しつぶしてしまうのではないか? そんな考えが、ロベリアの脳裏をかすめたが、心配は無用だったらしい。
「主、心配しなくて平気だ」
ナギが身体を前に傾け、急速に森が近づいてくる。緑の塊のように見えていた木々の葉一枚一枚が見えるほどまで近づいたとき、ナギの身体が変化し始めた。ロベリアが抱き着いていたナギの背の突起も見る見る間に縮まっていく。
「な、ナギ、これ、本当に大丈夫!?」
「問題ない」
ナギは平然と言っている間にも、突起や赤い鱗が消え、すべすべとした肌と服へと変わっていく。
気がつけば、ロベリアはナギの首元に両腕を回していた。
「ご、ごめんなさい」
「手を離さないでくれ、なるべく……じっとしてろ」
ナギは耳元で囁くと、ロベリアの身体を前へ回した。
彼はロベリアを宝より大切な姫のように抱きながら、木々の隙間を縫うように地表を目指し始める。
言われなくても、ロベリアは首に手を回し、身体を固くすることしかできない。
いつも以上に身体が密着し、心臓が高鳴っている。もっと恥ずかしいのは、否応なしに聞こえてしまう自身の音だ。自分の胸から心臓が飛び出すほどの激しい鼓動がナギに伝わっていないかと考えるだけで顔に熱が集まってしまった。
「こうでいいのかしら?」
どうしても意識してしまう感情を紛らわせようと、ロベリアは顔を背けた。
「いいぞ、主」
ナギは、こっちの気持ちに気づいていないらしい。いつもの調子で言葉を続けると、両翼を大きく広げながら、まるで周囲の空気を操っているかのような滑らかに降下する。木枝に髪をひっかけることもなく、服が乱れることもなく、羽毛のように軽やかな着地をした。
「よし、無事に到着したな」
ナギは安堵したように肩を落とした。
「主は平気か?」
ナギが顔を覗き込んでくる。
抱きかかえられていることにより、普段より顔が近い。拳一つ分ほどの目と鼻の先に、彼の端整な顔がある。顔に未だ癒えぬ大きな傷が奔っているが、心の底から安心したような微笑みは破壊力抜群だ。
「平気よ。ナギは飛ぶのが本当に上手ね」
「練習したからな」
ナギは自慢げに鼻を鳴らすと、ロベリアを降ろした。
なんだか、姫に仕える騎士のような所作である。そんなことを思っていれば、ナギはきょとんっとした顔になった。
「どうした? なにか変なことでも?」
「いえ、自然に流れるような振る舞いだと思って」
「む? 俺にとって、主は命よりも大切な人だ。大事に接するのは当然だと思うが……」
ナギは首を傾げながら答えると、両手を前に出した。そのまま、彼はドラゴンへの変身を遂げ、突き出された両手が地面に着く頃には、いつもの小竜姿になっていた。
「ここから、一時間。歩けるか?」
「私、これでも体力が着いたのよ」
もともと体力には自信があったが、春からの庭仕事のおかげで、ちょっとのことで息切れをすることはなくなった。
それから、森をしばらく歩いた。
真夏ということもあり、木々の隙間から入ってくる日差しは肌を焼くように暑い。だが、森特有の湿った静かな空気のおかげで、必要以上に汗をかいたり喉が干からびたりすることもなく、快適な時間が過ぎていった。
そのうち、南の方から嗅ぎなれない匂いが風に乗って漂ってくるようになった。
「ん……?」
ナギは歩みを止め、すんすんっと鼻を動かした。
「錆のような匂いがする」
「錆……? ええ、そうね。錆みたいな匂い」
ロベリアは口をほころばせた。
「ナギは海が初めてなのよね。これは、錆じゃなくて、潮の香りよ」
「潮風? これが?」
ナギは不思議そうに眼を瞬かせ、匂いを嗅ぎいっていた。ロベリアが歩き出すと、彼も思い出したように後に続いたが、心なしか先ほどよりも歩調が速い。森の木々が少なくなり、太陽の日差しが周囲を熱し始めた頃には、ロベリアはナギに追い越されてしまっていた。
「主! 凄いぞ、凄い!」
ナギはこちらを振り返ると、たんたんっと飛び跳ねていた。
「待って、ナギ……うわぁ……!!」
ロベリアも歩みを速め、ナギに追いついたとき、感動の声をあげた。
森を抜けると、白い街並みが広がっていた。
陶磁器よりも白い家々が崖沿いを埋め尽くすように建ち並び、その眼下に目が覚めるような青い海が広がっていた。
「眩しい……!」
街に足を踏み入れた途端、ロベリアは鞄から帽子を取り出した。
陽光が白い街の壁に反射し、目を開けるのも辛いほど眩しい。あまりの白さに、絵画のなかへ迷い込んでしまったかのような錯覚を受けた。
「主! 海が見えるぞ、海!」
ナギは眩しさよりも、三日月形の港が気になるらしい。
いくつもの船が停まり、白い帆がちらちらと風に揺れている。市が立っているらしく、白い世界の中に鮮やかな赤や橙、黄色の布製の屋根が旗のように見えた。
「海……か」
ナギに先導されながら、ロベリアは白い街を歩きだした。
ナギの先ほどまでのカッコよさはどこへやら。切れそうなほど尻尾を揺らし、子どものようにはしゃぐ姿は、微笑ましいくらい可愛らしい。
眺めていると、こちらまでふわふわとした明るい気持ちになってくる。
『……ロベリア、はしゃぎすぎですわ』
ナギの背を追っていると、耳の奥に言葉が蘇ってきた。
「え……?」
懐かしい、誰かの声。
潮風の中に、聞こえてくる。
たとえば、夢の中であったことのような……
「主―! 早く来い!」
ロベリアが声を辿ろうとしたとき、ナギの明るい声がかき消した。
「……気のせい、かしら」
「どうした? なにかあったか?」
「いえ、なんでもないわ。まずは、港に降りましょう。目的のものを探したいわ」
ロベリアは何でもないと微笑むと、フェルトの街を歩みだした。
※
ロベリアたちが海へ向かった、数時間後のことだ。
ロックベリーの街では、ジェイドとフローライトの兄妹が街の裏手に広がるブドウ畑を眺めていた。緑の葉が海のように広がり、ところどころ白い袋が被さっている。
「もうすぐ、食べごろだね」
フローライトはブドウ棚の石垣に腰を降ろすと、うっとりとした声を上げた。
「フローが王都の学園に入学する前には、収穫できそうだね」
ジェイドも剣を磨きながら、妹の言葉に同意した。
「ブドウ……ロベリアさんも好きかな?」
「きっと好きだよ。ナギ君だって好きだと思うよ」
「ナギ君、甘い物が好きだからね」
「収穫したら、おすそわけしに行こうか」
ジェイドが提案すれば、妹の顔がますます華やいだ。
「お兄ちゃんもたまには良いことを言うね!」
「たまにはって……ん?」
ジェイドは空を見上げ、ため息をついた――そのときだった。
青空のかなたに、白い点が見えた気がした。
雲の白さでもなく、鳥よりもはるかに高い高度を飛んでいる。ジェイドは胸騒ぎがした。近くに置かれた自身の剣を手に取り、真剣な目で飛行物体を睨みつける。
「お兄ちゃん……?」
「フロー、なにかいる」
そうしている間にも、白い点は徐々に大きくなっていく。
鳥にしては大きい翼を広げ、回転しながら落下してくる。きっと、魔物に違いない。フローライトも気づいたのか、顔を引きつらせながら杖を構えていた。
「フロー、街の人に連絡を……いや、あれは……!」
ジェイドは唖然とした。
落下してきたのは、ただの魔物ではなかった。
「お、お兄ちゃん!」
フローライトがぎゅっと杖を握りしめ、自身の背に隠れたのが分かった。
ジェイドは妹を守るように構えながら、ブドウ畑をかろうじて避けた草原に落ちた飛翔生物を愕然と眺める。
落下してきたのは、白銀のドラゴン。
ロベリアのナギとは比べ物にならないほどの巨体のドラゴンは、掠れたような息を繰り返している。
「ドラゴン……?」
「ロベリアさんのナギくんの仲間、なのかな?」
「……まて、ロベリア、といったか?」
ドラゴンの死にそうな目がジェイドたちを映した。
「頼む……ロベリアのいるところまで、連れて行ってくれ……」
「でも……」
フローライトが渋るように呟いていた。
ロベリアたちが静かに暮らす場所は、魔法で隠された不思議な場所。おおまかな場所を案内することはできるが、彼女からの招きがなければ入ることができない。
「ロベリアさんじゃないと駄目なの?」
「だめ……だ」
ドラゴンは苦しそうに言葉を吐き出した。
「ロベリアでないと……ベガの血を引く者でないと……ルージュの魔を払うことが……できないのだ」




