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45話 時を超えた手紙


 へその緒。

 それは、母親と子がお腹の中で繋がっていた証。


「この世に生まれてきた証として、保存する文化もあるそうよ」


 ロベリアはへその緒が入った箱をテーブルの上に置いた。

 少なくとも、この国の文化ではない。王国では、出産後に処分されてしまう。本に記載されていた絵で見たことはあったが、こうして本物を目の当たりにすると肝を抜かれる。


「ベガさんのものか?」

「たぶん、そうだと思うけど」


 ロベリアはもごもごと答える。

 たぶん、ベガのへその緒だ。もしくは、ベガより以前の庭の主のものだろう。だが、問題はそこではない。分からないのは、なぜ本棚の奥に隠すように置いてあった理由だ。


「これほど綺麗な箱に入っているというのに、どうして……?」


 箱に刻まれた花の模様を指でなぞりながら、ロベリアは物思いに耽る。

 幸せを祈る花の文様。

 きっと、へその緒とつながっていた赤ん坊の幸せを祈るために彫られたものだ。生れてきた赤ん坊を大切に想う母の気持ちが伝わってくるが、これほど大事なものを本棚の奥に押し込むだろうか。普通に考えれば、机の奥や戸棚に大切に飾るなり保管するなりするはずだ。


「隠す理由があったのだろう」


 ナギはそう言いながら、ミルクティーを差し出した。


「ありがとう」


 ロベリアは指先でカップに触れると心安らぐような温かさがじんわりと伝わってきた。ここで初めて、手が冷え切っていたことに気づいた。雨が降っているとはいえ、もうすっかり夏だというのに、ひどく肌寒い。自分が思っていたよりも血の気が失せていたらしい。一口飲むと、氷が解けていくように身体が緩むのを感じた。


「おいしい」


 ミルク特有の甘さと喉の奥に残る渋みを感じながら、ほっと言葉をこぼした。

 ナギは良かった、と目じりを緩める。


「へその緒、だったか? これを見つけてから、険しい顔をしていたからな。少し落ち着いたみたいで良かった」

「心配かけた?」

「気にするな」


 ナギは前の席に腰を下ろすと、自分の分のお茶を飲み始める。

 しばらく、静かな時間だった。

 ロベリアもナギも何も話さない。窓の向こうで、雨が庭の木々や地面に当たって弾ける音に耳を傾けながら、ミルクティーを飲んでいた。


「……なあ、主。一つだけ、気になったことがあるんだ」


 半分ほど飲み終えた頃、ナギがゆっくり口を開いた。


「この箱なんだが、どの本の後ろにあった?」

「どの本って……童話集よ」


 ロベリアはきょとんとした。


「子どもの頃、ベガが読み聞かせをしてくれた本なの」

「そうか……」


 ロベリアの答えを聞くと、ナギは短く呟いた。そのまま、彼は何か考え込むような難しい面持ちで、へその緒が収められた箱を見下ろしていた。


「ナギ?」

「……主、気分を害したら悪い。もしかすると、わざと箱はそこに置いてあったのではないか?」

「え?」

「主が幼い頃に読んでいた本の後ろにあったのだろう? ベガさんは、主に箱を見つけてもらいたくて隠したとか考えられないか?」

「そんなわけ……」


 ナギの問いかけに、ロベリアははっきり否と答えることができなかった。

 子どものころ、懐かしかった本を見つけたら手を取ってしまうのは自然なことのような気もする。


「仮に、ナギの言うとおりだとしても……だけど、いったい何のために? ベガはどうしてへその緒を見つけて欲しかったのかしら?」


 ロベリアはカップをことんと置き、口元に指を添えて考え込む。

 ベガ自身のへその緒を見つけたところで、申し訳ないが特に深い意味はなさそうな気がする。ひとつだけ、思いついた予感があったが、それは違うと口に出さずに否定する。


「なにか書き置きのようなものがあれば、話は変わってきたのだけど」


 へその緒が入った箱を改めてるが、文字はどこにも見当たらない。


「主が嫌でなければ、もう一度、書庫を改めてみないか?」

「……そうね。もし、これを見つけてもらいたくて隠したなら……なにか理由があるはずだもの」


 ロベリアは頷いた。

 ミルクティーの余韻を身体の奥で感じながら立ち上がり、再び書庫へと歩みをむけた。不思議と嫌な予感がしたが、ナギが気遣うように半歩後ろをついてきてくれる。それだけで、なんだか心強く感じた。


 書庫の扉を開けると、うっすらと湿った空気がただよってきた。


「どの本の後ろだったか?」

「えっと……これね」


 例の童話集はすぐに見つかった。

 一度、取り出して読んだためだろう。被っていた埃が落ちて、その本だけ背表紙が輝いて見えた。ロベリアは少し背伸びをすると、人差し指で本を取り出した。


「この本の奥にあったの」


 ロベリアが言うと、ナギは本棚の奥を覗き見た。


「何もないな」

「手がかりになるものがあればいいのだけど……」


 他にも隠された本がないかと、童話があった場所周辺の本も十冊から二十冊程度、ナギと手分けして取り出してみる。だが、特に何も見つからなかった。本棚の奥には蜂蜜色の壁が広がっているだけ。ロベリアは、他に知っている本はないかと眼を動かしたが心当たりはない。ベガと暮らしていた時期に、なにか暗号のようなものでも教えられたかしら?と記憶をたどってみるが、心当たりにつながるようなものは思い出せなかった。

 仕方なく、取り出した本を戻すことにする。


 そして、もともと置いてあった順番を思い出しながら本をしまっていくときだった。


「あれ?」


 一冊の本を戻そうとしたとき、ページの隙間から栞のような紙が飛び出していることに気がついた。これまで何か挟んであった本は一冊もなく、ロベリアは不思議に思って、表紙を確認してみる。それは魔物の図鑑だった。たしか、童話集の隣に置いてあった一冊である。


「なにか見つけたのか?」


 ロベリアの動きが止まったことに気づいたのか、ナギが近づいてきた。


「これだけ、紙が挟まっていたの」


 ロベリアはナギに答えながら、本を開いた。

 意図しなくても、ちょうど紙が挟まっていたページが開く。魔物の図鑑らしく、ページには魔物の絵と説明文が記載されていた。その中心に紙が折りたたまれて挟まっている。

 それは、二通の手紙だった。

 筆跡は違ったが宛名を見ると、どちらもベガに宛てたものらしい。


「あれ……この字は……?」


 一通目は、どこか見覚えのある几帳面な硬い字だった。


「知っているのか?」

「お父様の字、だと思うわ」


 ロベリアは急く気持ちを抑え、まずは自身の父が書いたであろう手紙に目を落とした。


『手紙は受け取ったよ。

 ロベリアが元気そうでなによりだ。ロベリアが山羊とたわむれる姿、この目で見たかったよ。君の手紙からも情景が伝わってきたが、やっぱり会いたいよ。最愛の我が子を思う存分抱きしめたい……。それだけで、日々の公務の疲れがとれるというものだ。もちろん、妻から産まれた我が子も可愛い。ルージュは、まるで我が家に天使が来たようだ。だが、やはり、ロベリアは聖女だ! にこっと笑って「お父様、大好き」と抱き着いてくる姿は世界中の誰よりも愛おしい。淑女として真綿に包んで大切に育てたいと思うが、君の意見を尊重して自然に囲んで育つ姿も捨てがたい。ロベリアが二人になればいいのに! とさえ思えてくる。もしくは、私の執務室と屋敷を空間を移動して、会いに来てくれたら——』


 ここまで読んで、ロベリアは顔が真っ赤になった。

 好奇心で読み始めてみたが、物凄く恥ずかしい。手紙の節々から「我が娘、ロベリア大好き! 早く会いたい!」という感情が滲み出ている。

 こんな調子の言葉が紙一面にずらっと細かい字で書き記されているのだ。過去の父が幼き頃の自分に宛てた手紙だと分かっているが、恥ずかしいことには変わりない。ロベリアは読むのを辞めようかとも考えたが、恥ずかしさのあまり倒れそうになる気持ちを振り絞って読み続けた。


『半日だけでも行けるように調整したいが、妻の産後の体調が悪くてね……。さすがに、ルージュ一人を残して、そちらへ行くことは難しい。

 それにしても、気になることがある。

 出産後、妻がロベリアについて一言も話していないのだ。体調がすぐれないこともあるだろうし、やっと生まれた我が子を可愛く思うのは分かるが……どうも釈然としない。

「ロベリアに手紙を書くか?」

 と聞いても、何も答えないのだ。聞き返そうとすると、頭に靄がかかったような感じになる。

 ベガ、君の意見を聞きたい。返事を待っているよ』


 最後に、父の名前が記されていた。

 手紙の大多数は山羊に食べさせたいほど恥ずかしい内容だったが、最後の数行を読んで思いとどまった。ロベリアは数度、深呼吸をして火照った顔の熱が引いていくのを待つ。


「……お母様は、ルージュを産んでから変わったということかしら?」

「反対ということも考えられるぞ」


 ナギの声が上から降ってきた。


「ルージュが産まれたから、母胎に影響が出たとか」

「母胎って……」


 ロベリアは苦笑いをすると、ナギは少し罰の悪そうに顔をしかめた。


「でも、ナギの言う通りかもしれないわ。ルージュが産まれる前のお母様は、とても優しい人だったから……」

「父親もだろ?」

「…………そうね」


 ロベリアは父の几帳面な字をなでた。

 こんな硬い文字だというのに、読んでいるこちらが熱を出して死んでしまいそうなほど娘を溺愛する気持ちが伝わってくる。

 父に愛されていたのか、思い出せなかった。

 ロベリアの記憶を占めるのは、厳格な父だった。ルージュにばかり甘く、自分には徹底した貴族の淑女教育を強き、なに一つも褒めてくれなかった。


 だけど、ロベリアは父に愛されていた。

 その確かな証拠が、自分の手の中にある。



 そう思うと、ロベリアは恥ずかしさとは別の熱で心がいっぱいになった。






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― 新着の感想 ―
[一言] えー!お父様だだ甘やん! やっぱりなんか背後を感じますね… 流石に生まれたばかりのルージュには何も出来なかっただろうし…
[一言] ん……?『妻から生まれた』……? ……これからの展開をめちゃくちゃ期待して待ってます!!
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