35話 魅了の魔法
「魅了?」
ロベリアは繰り返した。
もっと目を剝くような衝撃な事実が明らかになるかと予想しただけに、少しばかり拍子抜けする。
「『ルージュの美貌に魅了された』とか『言葉に魅了された』とか、そういう意味のこと?
いえ、違う。そんな単純な話ではないわ」
ロベリア自身、口に出してみて違和感を覚えた。
美貌に惹かれたなら理解できる。同性かつ家族として見慣れているにもかかわらず、ちょっとした仕草に息を飲むことがあるほどまでに、ルージュ・クロックフォードは美しすぎる。
それでも、ロベリアは女神にも負けず劣らずの美貌に屈したことはない。このことが、アーロンの言う例外なのかもしれないが、それだけでは納得できない。
婚約者を寝取られた程度の悲しみと怒りが、美しさ程度で誤魔化し魅了できるはずがない!
「言葉巧みに魅了した、ということも考えましたけど、どのような詭弁を用いれば婚約者を奪われた事実に納得し、あまつさえ信奉者になってしまうのか……」
「そこで登場するのが、魅了の魔法です」
アーロンが真剣な表情で答えた。
「相手を誘惑し、自分の配下とする技です。この魔法にかかると自分の意識自体が深層心理に封じ込められ、術者の意のままに操られてしまう魔法なのです」
「でも、それはおかしいですわ」
ロベリアはすぐに否定する。
「ルージュは魔法を習ったことなどないはず。少なくとも聞いたことがありません」
ロベリアの知る限り、ルージュは大の勉強嫌いだ。
家庭教師が少しでも難しい単元に入ろうとすれば、泣いて拒否した。家庭教師自身もルージュのことを猫可愛がっていたので、難しいことを教えない。家庭教師との授業時間は30分の遊び時間が6時間。同じ6時間30分の時間に勉学の他、楽器やマナー、時にはダンスレッスンも駒刻みでやらされていた身としては「なんたる差別!」と怒りたい。
もちろん、怒ったところでどうにもならない。
「遊び時間に魔法を嗜んだとも考えられるけど、遊び感覚で身に着けられるものではないのでしょう?」
「当たり前ではありませんか! その程度で魔法を身に付けることができるのであれば、世界中に魔法使いが溢れていますよ!
貴族から庶民にいたるまで恩恵にあずかり、日常的に魔法を扱う世界になっているはずです!」
アーロンは顔を火照らせると、ちょっと怒ったように力説した。
「魔力を精霊に与え、精霊が奇跡を発現する。
それが僕たちの使う魔法ですけど、精霊に何して欲しいのか頼む術式や命令式を頭の中で構築しないといけません。
奇跡を発現させるための手順を計算し、精霊へ正確に伝わるように彼らの言葉に置き換える。過去をさかのぼれば、精霊に愛された魔法使いや伝説の聖女は計算の手順を省略し、いきなり精霊に命令を下せた例外の存在はありますが……」
「ルージュは違う、ということだな」
アーロンが口を閉ざしたので、ナギが言葉を続ける。
「俺から見ても、あの女が計算に長けてるようにも、精霊に愛される類の人間ではない」
「ドラゴン君もルージュと会ったことがあるのかい!?」
アーロンは目を輝かせた。ナギは居心地悪そうに前足で頬を掻くと、仏頂面で話し出した。
「一瞬だけだ。あの女は俺のことを侮蔑し、軽蔑した。
見てくれは良いかもしれないが、人間性は主の足元にも及ばない。話を聞けば聞くほど、虫唾が奔る」
「なるほど、ドラゴン君も魅了を弾いた。実に興味深い……!!」
彼は身を乗り出すと、ナギに対して研究者のような観察する眼差しを向けてくる。
ロベリアは咳払いをすると、三本の指を立てた。
「ひとつ、ルージュは魅了の魔法を使う。
ふたつ、けれど、ルージュは魔法を使うための技量がない。
みっつ、そのうえ、彼女は精霊にも好かれていない」
「主の話だと、三歳時には既に魅了の魔法を使っていた。これは、ありえることなのか?」
「本来でしたら、ありえないことです」
アーロンは断定する。
「魅了の魔法は、精神支配系最高難易度。
仮に支配できたとしても、100人単位で操ることなど困難です。しかも、支配は月日が経過するごとに薄れていく。
たとえば、僕は二年間。ずっと目覚めることができなかった。
つまり、これは人間の魅了ではない」
「ルージュは人間ではないということ?」
「魅了系の魔法を使う魔物そのもの、もしくは、魔物とのハーフ、あるいは魔物に好かれているか」
今度は、アーロンが順番に指をたてながら説明する。
ロベリアは三本の指を眺めながら、不快な気持ちを抑えずに言い返した。
「二番目はありえません。私、普通の人間ですもの」
両親は紛れもなく人間である。
クロックフォード伯爵家は建国当初から王に仕えた名家であり、母も古くからある貴族の家柄だ。万が一にも魔物が途中から入れ替わり、子孫を繋いでいたのだとすれば、ロベリアだって魔物の血を引く者になってしまう。そう考えただけで、ぞわりと背筋が凍った。
「三歳になるまでの間に、どこかで本物の妹と入れ替わったのでしょう。
ルージュの周りに魔物らしき影がうろつくのを見たことがありません」
「ですが、貴方は魅了にかからないとは不思議です。家族として傍近くにいながら、断片的にも通じていないとは尋常ではありません! 本当に奇妙で不思議でありえない! 失礼かとおもいますが、貴方の両親は本当に人間でしたか? これまでの人生において、傍近くに魔物の影も形も見ていないと断言できますか?」
アーロンの口調に熱がこもり、興奮するように早口になる。
それを諫めたのは、ナギだった。軽快にテーブルの上に飛び乗ると、威嚇するように低く唸った。
「いい加減にしろ。それ以上、主を侮辱するようなら喉元噛み切ってやる」
「ナギ!」
「……いえ、失敬。なぜ、貴方だけ魅了にかからなかったのかは解明できていません。申し訳ありません、これから研究していくことにします」
アーロンはすまなそうに声を落とした。
ロベリアはお茶を飲みながら、アーロンに冷たい視線を向けていた。
ルージュに操られていたから無駄にテンションが高いのかと思ったが、今みたいな一面が強く出ていただけなのかもしれない。
魅了にかけられていたときのような偉そうで高圧的な感じはしないが、研究者として熱心というべきなのだろうか。
おそらく、この悪癖を本人は気づいていないだろうし、指摘されても治らないに違いない。
ロベリアは呆れたように息を吐いた。
「それで、貴方が魅了を解けたわけは?」
「それでしたら、二つまで絞り込めました」
ロベリアが言葉を向けると、アーロンは上向きな気持ちで語り出した。
「一つは気を失ったから。精神が強引に落ちた結果、精神支配系の魔法も解けた。
もう一つは、解毒薬です。魅了は状態異常の一つ。心を支配する毒なのですよ」
「……なるほどね」
たしかに、彼に使った解毒薬は自分に作れる最高ランクのもの。
ヒュドラの毒さえ緩和できると謳われた一級品だ。大量生産はできないが、魅了を解除できるだけの力はあったようだ。否、それだけ強力な解毒薬でないと、ルージュの魅了を解くことができなかったのかもしれない。
「それで、貴方はこれからどうするつもりですか?」
「もちろん、研究です」
アーロンはきっぱり言い放った。
「最高学年は魔法に関する論文を書くため、学校での授業が少ないんですよ。僕自身、座学の単位は昨年のうちにすべて取得しましたから、思う存分魔法研究に時間が割けるのです。
今度こそ、ルージュの魅了を解明してみせます」
「それは研究者として?」
「幼馴染のためですよ」
彼はそう言うと、小匙一杯分だけ寂しそうに目元を緩ませる。しかし、そんな顔をしたのは本当に一瞬で、ロベリアが瞬きすると少し明るめな表情に変わっていた。
「それでは、今日はこれで。
この子を街まで連れて行かないといけませんから」
アーロンはフローライトを抱えた。彼女は未だ目を覚まさず、安らかな寝息を立てていた。
「彼女、大丈夫なのですか?」
「一日だけ眠る魔法をかけました。あと数時間もすれば眠りから覚めるでしょう」
彼は断言すると小さな身体を抱えたまま庭を去ろうとする。ロベリアはすっと立ち上がると、魔法使いの背中に待ったをかけた。
「その子、どこで誘拐したのですか?」
「……ああ、そうか」
アーロンは申し訳なさそうに肩をすくめると、自虐気味に微笑んだ。
「王都の魔法学校の入試です。彼女、貴方を侮辱した人に怒ったんですよ」
「私を?」
「すごい啖呵でした。いま思い返せば、惚れ惚れするくらい気持ちの良い啖呵。
おそらく入試には落ちてしまっているでしょうが……僕から先生方に口添えしておきます。きっと、彼女の元に合格通知が来るはずですよ」
アーロンは朗らかに微笑んだ。ロベリアは彼の顔を見据えると、もうひとつのお願いを口にする。
「それから、ナギの傷を癒してくれませんか?」
「ドラゴン君の傷? ドラゴンには自然治癒の力があるので、そうですね……この傷なら三日のうちに治っていると思います」
「主、その通りだ」
ナギは尻尾を問題なさそうに揺らした。
「ほら、あの男から負わされた傷もすぐに治っただろう?」
「それはそうですけど……」
「だから、問題ない。それより、彼を送らなくて良いのか?」
「でも、ナギ……」
「大丈夫だ! ほら、行くぞ」
ナギは軽快な足取りで、アーロンの前に躍り出る。
「ま、待ちなさい、ナギ!」
ロベリアは彼らの後を急いで追いかけた。
その後、いくら言っても、ナギは首を縦に振らない。
そのまま樫の森を歩き、庭が完全に見えなくなったところで、アーロンたちと別れる。
彼とは誓約を結んで入るが、その穴を縫ってこないとも限らない。アーロンが目印になるようなものを残していないか確認して、ようやく庭に帰ることができた。
「……疲れた……」
ロベリアは倒れ込むように椅子に腰かける。
アーロンと誓約を結ばせ、そこから何故かルージュの不可思議な力の話になった。
久しぶりに頭をフル回転させた戦闘態勢だっただけに、いつも以上に反動が大きい。ナギが見ている前だというのに、ぐったりと身体が鉛のように重い。
「主、ちょっと休め。ベッドで休んだ方がいい」
「駄目よ、すぐに片づけないと」
あと少し、と疲れたと訴える心を押して、頑張って立ち上がろうとする。
ところが、ナギがとんっと膝の上に乗っかった。
「主、休もう。俺も疲れた」
ナギは大きくあくびをすると、くるりと身体を丸めた。すぐにどかそうと思ったが、赤い身体に巻かれた白い包帯が痛々しいくて触れることができない。しかも、膝にかかる重みとナギの仄かな体温が伝わり、なんだか心地よくなってきた。
「そうね、私も……少し、だけ」
ロベリアは瞼を閉じる。
一度閉じると、重くて持ち上げることはできない。肩の荷が下りたように緩んだ心は、すぐに睡魔に身を委ねることになった。
分からないことや謎が増えたが、とりあえずは安らかに眠る。
初夏の風を爽やかな感じながら。
「……眠ったな」
ナギは瞼を開ける。
ロベリアはずっと険しかった眉を解き、安らかな表情を浮かべていた。彼女の寝顔を見ていると、ナギは心が痛んだ。
いつもは朗らかで明るくて優しいのに、ナギが傷ついてからアーロンを送り出すまで、ずっと緊張で張り裂けそうな顔をしていた。表面上は繕っていたが、ナギの目は誤魔化せなかった。
「俺が守ることができていれば……いや、後悔しても仕方ない。
さてと、見回りに出るか」
アーロンとは誓約とやらを結んだらしいが、万が一と言うこともある。
ロベリアの膝の上は名残惜しかったが、いまは自分にできることをしたい。
ナギは音を立てないように降りる。
手足が痛んだが、たいした怪我ではない。ただ、顔のあたりの傷は思った以上に深く切られている。もしかしたら、残ってしまうかもしれない。
そのときは、きっと……彼女は悲しい顔をする。
傷ついたナギを見つけたときのように、泣き出すのを堪える歪んだ顔を思い出し、苦い気持ちが膨らんだ。
「あれは、もう見たくないな」
ナギは小さく呟くと、頭を振る。
そうして、太陽を浴びて輝く緑の庭の向こうへ消えていった。
次回は4月12日に更新します。




