33話 取り引き
遅くなってしまい、すみませんでした!
「取引だ、アーロン。
この精霊を解放する代わりに、そこの少女とロベリアから手を引け」
ナギが宣言すると、アーロンは悔しそうに唇を噛む。
精霊が気絶し、魔法の効果が切れたのだろう。フローライトの身体が地面に落ちる。本当はすぐに駆けつけたかったが、気絶した妖精を手放すわけにはいかない。
幸いにも、彼女の身体は柔らかい下草の上に落下した。遠目から見ても、呼吸を繰り返しているのが見える。魔法の効果が切れたなら、じきに目を覚ますだろう。
「どうする、魔法使い?」
いくら魔法を使いたくても、精霊がいなければ使うことができない。再度契約すればよいのかもしれないが、この状況だ。再契約できる精霊がいるはずもなく、生身の人間がドラゴンに敵うはずもない。
「わ、私を脅すつもりか? 私を殺すつもりか!?
言っておくが、私を脅しても無駄だぞ? 私が行方不明になったと知れば、他の魔法使いたちが黙っていない。すぐにでも調査隊を派遣される。ロベリアはもちろん、君程度のドラゴンなど瞬殺されるぞ?」
「それはないな」
ナギは断言した。
「あんたは誰にも話していない。1人で行動している」
ロベリアの話や少年の態度を見る限り、ルージュの信奉者は何故かたくさん存在する。彼女の寵愛を一身に受けたいと願望し、一体どうやって出し抜こうかと常日頃考えているのだろう。そんな奴が恰好の獲物を見つけたところで、誰かと協力しようと思考するはずがない。現に、この周囲に人の気配は感じなかった。
「大方、手柄を独り占めするつもりだったのだろう?」
ナギが指摘すると、アーロンは図星だったのだろう。うぐっと喉を詰まらせるような声を出し、悔し気に目を逸らす。
「どうする? 返答次第では、この精霊がどうなるか」
できる限り、尊大な声色で問いかける。
慣れないことをしているので、身体が全身がかゆくなる。誰かを威圧するのは嫌いで、自分が誰かを脅すことなど絶対にしたくないと思っていた。
だが、いまは違う。
あの人を守るためなら、どんなことだってできる気がした。
心の奥底が燃え上がり、実際には身体のサイズを変えていないのに内側から膨れ上がる。牙を剥きながら喉の奥を鳴らすように低く唸ると、アーロンは舌打ちをした。
「分かった、分かった」
彼は降参だと左手を挙げた。
「この子は解放する。約束しよう。
ドラゴン君には分からないかもしれないが、魔法使いには制約文章というものがある。破れない制約を交わす魔法だ。絶対に破れない制約魔法だから冗談では使えない」
「……それは、本当か?」
「本当だとも。私は嘘をつかない」
「……先ほどついたばかりではないか?」
「はったりと嘘は違うさ」
アーロンはしれっと言い放つと、さらに戦う意思がないことを示すためだろう。身体を屈め、ゆっくりと杖を地面に置く。
杖がなければ、本当に魔法は使えないだろう。
ナギは内心安堵した。
自分の想った方向に事態が動き始めている。これなら、ロベリアが勘付く前にすべてを終わらせることができるかもしれない。
と、思っていた。
「『地の精霊』、殺れ」
アーロンが短い詠唱と呟く。
ナギが警戒する前に、杖の先端が地面をこする。ナギめがけて地面が押し寄せるように盛り上がる。ナギは避けようとしたが、足が動かない。動物の罠みたいな土の輪が足を拘束していたのだ。ナギは避けることができず、凄まじい勢いで隆起した地面に押し潰されてしまった。
「う、ぐ……」
ナギの身体はほとんど埋まっていた。手足に力を込めて立ち上がろうとするが、その前に頭に足が乗る。ナギは退けようとしたが、少年のかかとが抉るように押され、痛みに呻いた。
「この娘は解放しよう。交渉の材料には使わないさ。代わりに、君を使うとしよう。君は悪女を知っているのだろう? さあ、吐け」
「誰が、話すか」
すっかり血に濡れた目を開け、精一杯睨みつけてやる。
「それなら、簡単だ。力尽くで話させるしかない」
「やれるものなら――」
「ナギ!」
ナギが悪態をつこうとする前に、大好きな人の悲鳴が聞こえてきてしまった。
何もない所から、真っ青な顔をした少女が駆けてくる。
ああ、守れなかった。
痛みよりも自己嫌悪と悲しみが溢れ、目が潤んでしまう。
ロベリアがそれを見て、顔が悲痛に歪むのが、悔しい気持ちを加速させるのだった……。
※
「ナギ!」
ロベリアは震えあがった。
あまりにも戻りが遅いので様子を見に来たら、ナギが地面に埋まっていた。滝のように血を流し、右目を覆っている。あまりにも痛いのか、左目は涙をいっぱいに浮かべている。
「ああ、ようやく会えましたね!! 私はルージュ様の命を受け、貴方を連れ戻しに来たのです!」
一方、少年魔法使いは晴れやかな笑顔を浮かべていた。
ナギを傷つけたことに対する罪悪感は一切ないらしい。恍惚とした顔を向けると、この場には不自然なほど優雅にお辞儀をする。
「アーロン・スコーピウスです。王国立魔法学校の最終学年で――」
「私を捕らえるために、彼らを傷つけたのね」
「傷つけるとは酷い言い方だ。私は彼らに『あなたの居場所を教えてもらいたい』とお願いしただけです。結果として、彼らが襲ってきたのでやり返した。それまでのこと。
正当防衛ですよ、ご存じありませんか?」
ロベリアは、石のように硬い表情になる。
苦しさと悔しさと怒りで叫びたい衝動を奥歯で押し殺した。ここで怒っても何も解決にはならない。そもそもの原因は自分にある。最初から自分が来ていれば、少なくともナギが傷つくことはなかった。自分が関わっていなければ、フローライトも巻き込まれなかった。
すべて、自分の責任だ。
「……まず、そこのドラゴンを解放してください」
「貴方が来ると約束してくれるのなら」
「……だめ、だ、主……」
「ドラゴン、うるさい。お前は黙ってろ」
杖の先端がナギの頭を突く。相当意地が悪いのだろう。傷のある部分を重点的に突き、ナギが曇った悲鳴をあげた。
「さあ、うるさいですから、もう一発……」
「やめなさい!
貴方の話を聞きます! だから、もうその子には……!」
ロベリアが叫ぶと、ナギの顔が絶望に染まった。
ずきんと心が痛んだが、こうするしか方法はない。寂しげな青い瞳から目を逸らすと、アーロンの赤い瞳を見据えた。
「立ち話は大変ですから、私の家に招待します。ここまで来るのに疲れたでしょう?
代わりに、その子を家まで運んでくださいます?」
「もちろん! ああ、今日は素晴らしき日だ」
アーロンは杖を軽く振ると、ナギを地面から解放した。そのまま小躍りしそうな様子でフローライトを抱え上げる。ロベリアはナギにかけよると、彼の小さな身体を抱え上げた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
ナギの身体は傷だらけだった。
ロベリアはエプロンを持ち上げると、身体の傷を刺激しないように、泥と血にまみれた身体を拭いた。白いエプロンはあっという間に赤く染まる。鱗とは別の赤色を見ると、極寒の雪山にいるみたいに身体が凍えた。
「ロベリア・クロックフォード! 早く案内するんだな! お前の言った通り、私は長旅で疲れているんだ」
「……はい」
「だめだ……」
「ナギ、なにも話さないで。傷に響くわ」
とにかく、ナギを早く治療しなければならない。
家に帰れば、血止めの薬草や体力回復の眠り薬などが揃っている。
ロベリアはナギを抱えると、迷いのない足取りで帰路についた。庭に踏み入れると、アーロンが耳障りな感嘆の声を上げる。ロベリアはナギとお茶するはずだった空間に案内すると、自身の椅子を引いた。
「お茶が冷めているので、新しい物をお持ちします」
「すまないな。こんな素晴らしい庭を隠し持っていたなんて……!!」
ロベリアは返事をせず、ナギを近くのソファーに寝かせる。反対側の椅子にフローライトを横たわらせる。呼吸と脈拍と図ったが、異常は見当たらない。ただ眠っているだけのようだ。
少しだけ安心すると、ロベリアは黙々とテーブルの上を片付けた。ナギがもいできた桑の実をぱくぱく食べているのを見ていられず、茶器のセットと一緒に花瓶も台所に下げた。
「……すみません、お客様用の茶葉を用意してなかったので……」
ことん、とコップを置いた。
ミントの葉がちょこんと乗った水。アーロンは喉が渇いていたのか、すぐに水に口をつけた。
「ミント水か。なかなか気を効くものを出すな」
「お褒め頂きありがとうございます。あの、すみません。まずは、あのドラゴンの治療をさせていただけないでしょうか? あのままでは死んでしまいます。貴方と話しながらで構いません。どうか、慈悲を」
「うむ、許す。
だが、不思議なところだ。実に素晴らしく居心地の良い空間だな。貴方をルージュ様の元に連れて行った後、ぜひ彼女に紹介したい。きっと、ルージュ様も気に入ってくださるだろう」
アーロンが調子よい言葉を話しているのを片耳で聞きながら、ナギの身体を水で軽く洗い、薬を塗り込んでいく。
「アーロン様は魔法使いなのですよね? では、魔法の誓約もできるのですか?」
「もちろんだ! そこのドラゴンや娘の今後が気になるのだろう?
ここまで来て裏切らないとも限らない。私も貴方と誓約を結ぼうと考えていたのだ」
「……そうですか。文面は私が考えてもよろしいですか?」
「何を馬鹿なことを」
アーロンはミント水を飲みながら下種な笑みを浮かべた。
「私はお前を連れてくるように命じられた。お前が主導権を握るなど笑止千万だ」
「私はルージュの姉。ルージュも私のことを姉だと慕うからこそ、婚約記念のパーティーに誘うのでしょう。ルージュが愛する姉の言葉を蔑ろにしたと知ったら……」
ロベリアは傷口に包帯を巻きながら目を細める。
「……分かった。文面はお前が考えていい。だが、私が納得しない限り、署名はしない」
「もちろんです」
アーロンは胸ポケットから紙とペンを取り出した。
「魔道具のペンだ。これで誓約の内容を書くと良い。最後に互いの名を署名することで、誓約が成立する」
「ありがとうございます」
ロベリアは包帯を巻き終えると立ち上がり、対面の席に着いた。ナギの悲しそうな視線を背中で感じながら、さらさらと文面を書き始める。
「これでいかがです?」
時折、ふむと悩みつつ、20分ほどで書き上げる。
その間、アーロンは暇だったのだろう。皿に山盛りになっていた実は完全になくなり、コップの水も空になっていた。まだまだ喉が渇いたのか、さらに水を求めたので、ロベリアが飲まずじまいだった水をあげた。
「どれどれ……は、はぁ!? なんだ、これ!?」
アーロンは勢いよく立ち上がった。
「『アーロン・スコーピウスは、今後、ロベリア・クロックフォードのドラゴン及び友人たちに危害を加えてはいけない』!?」
「『ルージュ・クロックフォードとその関係者、信奉者、そのすべてにロベリアと友人たちの居場所を話すのも禁ずる』。最低限、これも守っていただかねば困ります」
「こんなこと、許せるわけないだろ!? こんな制約は無効、ッ――!?」
アーロンは突然、叫ぶのをやめた。
くらりと揺れ、喉を押さえる。目を白黒させながら、何が起きたのか混乱しているのが目に見えてわかる。
「ミント水の味はいかがでしたか?」
ロベリアは先ほどまでの悲しみに沈んだような表情をやめ、平然と苦しむ少年を見下した。
「ただ今回、時間が惜しかったので、井戸の水ではなく、花瓶に入っていた水を使いました」
ナギが活けてくれた花を抜き、水だけを再利用した。
そして、いまさっき気づいたように目を丸くし、両手で口元を覆ってみせる。
「あ、申し訳ありませんわ! 花瓶に差された花、紫陽花でした。まあ、大変! 紫陽花には毒があるというのに!」
「なん、だ、と……この、小娘!」
「貴方に小娘と言われたくありませんわ」
アーロンが杖に手を伸ばすが、その前に杖を取り上げてみせた。からんっと台所の奥へ放り投げる。アーロンは取りに行こうとしたが、足がもつれて倒れてしまった。
「大丈夫です。私、ナギが間違って飲んでしまったときのために解毒薬を用意してあります」
「は、はや、く、それを……」
「では、その前にサインを。サインをしてくれたら、すぐにでも解毒薬を飲ませてあげますわ」
「この、薄汚い、女狐が……!!」
「何とでも言いなさいませ」
すんっと鼻を鳴らして見せる。
これでも汚職塗れの大臣を罷免させないため、手練手管を使ってきたのだ。見くびってもらっては困る。この程度の危機、乗り越えられないはずがない。
「わ、わかった。サインを……」
アーロンがペンを求めたので、差し出した。彼は震える字で自分の名を記したので、ロベリアも自分の名を署名する。すると、瞬間、紙が金色に輝いた。誓約が認められたのだろう。とろりとした液体が頭から身体に染み渡っていくような感じがした。
「では、解毒薬を渡しますわ」
エプロンのポケットから瓶を取り出すと、アーロンがひったくった。
そのまま一気に飲み干すと、にたりと笑う。
「解毒薬、ありがとう」
「……アーロン?」
「先の誓約、お前が一つ見落としていることに気付いた」
彼はローブに手を入れると、きらりと光る何かを取り出そうとする。
「私が危害を加えてはいけない対象に、お前の名前が入っていないことさ!
予定は変わったが、お前の死体を連れて帰ることにする! それで、あの御方も満足してくれるはずだ!!」
ナイフが光った。
おそらく、最後の力を振り絞ったのだろう。地面を勢い良く蹴り、ロベリアの心臓をまっすぐ狙ってくる。あまりにも近い距離だったので、ロベリアは避けることができない。
だが、その切っ先が届くことはなかった。
「な、おまえ、なんで……?」
金属音がした。
ナイフが宙を舞い、からんと床に落ちる。ロベリアへの一撃は届くことなく、代わりに温かな感覚が包み込んだ。ドラゴンの翼に包まれているのだと理解する前に、人間姿のナギのため息が耳元で聞こえた。
「主、ひやひやしたぞ」
「ドラゴン、が、人間に……うそ、だろ」
アーロンが痺れる舌で話し続ける。
ナギは少年を一瞥すると、ナイフを飛ばした尻尾を揺らした。そのまま長い尻尾を操ると、少年の腹を軽く叩く。
「これ以上、俺の主に手を出すな」
「ぐはっ……」
今度こそ、少年は倒れた。
最後の一撃が効いたのだろう。白い泡を吹いている。
「……まずいな、やりすぎたか?」
「大丈夫。気を失っただけよ」
ロベリアは息を吐くと、へなへなと座り込んだ。
「ごめんなさい、ナギ。本当に、私のせいで貴方を巻き込んでしまって……」
「主、気にするな」
とんとん、と頭をなでられる。
ナギの手だった。ロベリアを傷つけないように、金の髪を優しくなでてくれていた。自分がナギの頭をなでることは日常的だが、逆は皆無だ。もしかしたら、ベガ以来かもしれない。
こんなときなのに、恥ずかしさで身体が熱せられたように赤くなっていく。だが、不思議と「嫌」という気持ちは出てこない。むしろ、もう少しなでて欲しいなんて思ってしまう自分もいた。
初めての感情に戸惑っていると、ナギがぽつりと呟いた。
「俺が貴方を守りたかった。俺が傷ついたのは、俺が弱かったからなんだ」
「そんなことないわ! 私がもっとうまく立ち回っていれば……」
「そこだ! 本当にひやひやしたぞ。主が本当にルージュのところに帰ると思った」
ナギが再び長い長い息を吐く。
「俺も努力する。もっと貴方を守れるように」
「ナギ、それは駄目よ」
ロベリアは顔を上げる。
すぐ目と鼻の先に、ナギの端正な顔があった。青い瞳に自責の念が強く滲むのを見て、ロベリアは頬を緩めた。
「これまで、貴方は私なんかよりずっとずっと辛い目にあってきたのだもの。もう、傷つくことなんてないのよ?」
「主、俺は自由を得た。地獄から解放してもらえた」
だから、俺は――、
ナギが言葉を続けようとした、その時だ。
「う、うう……」
アーロンが呻いたのだ。
ロベリアが気を引き締めるより早く、ナギの身体が強張った。ロベリアを逃がすまいと翼を閉じ、すっぽりとナギの腕の中に身体が収まる。ナギの心音が早鐘を打つのを間近で感じ、頭の片隅で「恥ずかしい」と悲鳴が上がる……が、そんなことはいま気にしている場合ではない。
「あれ……ぼく、は……?」
アーロンがぼんやりと起き上がった。
「ここは……? 僕は……一体、なにを……?」
少年魔法使いは夢現な表情で、不安そうな言葉を零した。
シリアスパート終了!
長かった……。
次回、4月8日更新予定です。今度こそもう少し早い時間に更新します!




