21話 おくりもの
「生きていたのね!?」
ロベリアは仰天した。
つい、甲高くなってしまった声に気付いたのか、山羊は耳を動かし、ゆっくりとした動作で顔を向けてきた。記憶よりも年を取った潤んだ黒い眼差しと目が合うと、山羊は懐かしそうに鳴いた。
その声を聞くだけで、胸が急にいっぱいになってくる。
「その、なんというのでしょうか」
ロベリアは昂った心を抑えるため、心の中で数を数えた。
ひとつ、ふたつ、みっつ……静まっていくにつれ、無我夢中で泣き出したい気持ちが静まり、少し落ち着いて言葉を話せるようになってくる。
自分の胸を抑えながら、安堵の息と共に言葉を口にした。
「ベガが飼っていた動物は、てっきり……」
「鶏はね、数年前に死んでしまったが、この子はまだまだ元気だ。乳も出る、絞ってみるかい?」
「ありがとうございます。ですが、大丈夫です。これから、たくさん機会があるのですから」
まだ微かに声が震えていた。
ああ、生きていた。
良かった。
先ほど、街の人たちに優しく迎え入れてもらったときとは少し異なる温かさが胸の内に広がっていく。
「良かったら、鶏もどうだい? 預かっていた鳥は死んでしまったから」
「ありがとうございます!」
ロベリアは表情が綻ぶのを感じた。
山羊と鶏がいれば、庭の生活が一段と快適になる。
山羊の乳は牛より癖があるが、ベガの魔山羊だ。山羊によく似た魔物で普通の山羊より寿命は長く、乳もやや牛に近く臭みが薄い。何が一番良いかといえば、ミルクティーに丁度良いのだ。
乳があれば、砂糖がなくてもお茶に甘みが生まれる。
砂糖は、ちょっと高い。令嬢だった頃は特に考えなく使っていたが、現在はただのロベリア。節約して使っていかないといけない調味料なのだ。
「早速連れて行くかい?」
もちろん!と答えようとして、すぐに口を閉じた。
「申し訳ありませんが、少しお待ちください。家畜小屋の点検が終わっていないのです」
連れて帰るのは簡単だが、ぼろぼろの小屋に入れるわけにはいかない。
庭に張られた結界?のおかげで、危険な動物が入ってこないと分かったが、雨風までしのげるわけではなく、劣悪な環境では風邪や病気にかかってしまうかもしれない。
それに、ナギは?
ロベリアは大賛成だが、ナギは気に入らないかもしれない。
ナギはペットではない。ロベリアの大切な家族なのだから、嫌なことを無理やり押しつけるのは良くないことだ。
山羊や鶏を飼うことで、ナギが嫌な気持ちになり、庭を出て行ってしまったら……そう考えると、胸が捩れるような気持ちがぶり返して来そうになった。
もしかしたら、それが顔色に出てしまったのかもしれない。
農場主は心配そうに眉を寄せていた。
「大丈夫かい? 一人で点検できないというなら――」
「いえ、ご心配なく。自分で出来ますわ」
ロベリアは首を振ると、日取りを相談する。
自分的には引き取りに来るし、鶏を飼う金も支払うつもりだが、同居人と相談しないといけないこともしっかり伝える。
「万一の時は、申し訳ありませんが……」
「別に構わないさ」
ロベリアは農場主に別れを告げる前、魔山羊の頭を撫でる。
捩じり曲がった角の間の狭い場所を撫でると、幸せそうに鳴いた。魔山羊が心地よさそうに目を閉じる様子を見ると、ロベリアは急にナギが恋しくなって、別れの挨拶もそこそこに、ナギの待つ森のほとりに駆けて行った。
深い森の手前に、赤い点がぽつんと見えてくる。
赤い点が少し大きくなった、と思えば、大きく翼を広げてぐんぐんと近づいてきた。ロベリアが近づくよりも早く、ナギは喜びに溢れた顔で飛び込んできた。
「主、帰ったか!」
「ごめんなさい、遅かった?」
「いや。戻ってきて安心した」
ナギは声を抑えていたが、尻尾をはち切れんばかり振っているので感情が駄々分かりだ。
「帰ろう、主」
「ええ、もちろん」
いつかのように、ロベリアとナギは並んで森から庭へと帰る。
そろそろ、庭に通じる扉を開こうかしら、と思っていると、ナギが思い出したように声を上げた。
「そうだ、主。あの鱗、返してくれないか?」
「え?」
ロベリアは瞬きをした。
「どうして? 大事にしようと思っていたのだけど」
「いいから、返して欲しい」
せっかく、ナギから初めて貰ったものだ。あまり手放したくはない。ロベリアは戸惑ったが、ナギがあまりにも真剣な眼をして訴えてくるのだから、渋々とポケットに手を入れた。
「これで良いの?」
「ああ、それでいい」
ちっぽけな鱗を渡せば、ナギは満足そうに喉を鳴らした。
ずっと、ポケットに感じていた温かみがなくなったので、ロベリアはわずかに空虚な気持ちを抱くのだった。
その気持ちは、家に帰っても続いた。
魔山羊と鶏の相談をすると、ナギは喜んで賛成してくれた。本当ならちょっと踊り子みたいにステップを踏んでしまうほど嬉しいことなのに、手放すほどの喜びを感じなかった。
だけど、きっと……ナギには大事なことだったのだ。
仕方なく、ロベリアは諦めることにする。
夜、ナギと別れ、自分の部屋に戻った。
部屋のランプを灯し、とある作業をする。気持ちを紛らわせることができたし、作業が終わって眠気が押し寄せてくる頃には、心の底に広がっていた寂しさのようなものは薄まっていた。
「……主、主!」
朝、ナギの声で目が覚める。
いつも通り、温かな茶の香りが漂っていた。
「……おはよう、ナギ」
ロベリアは寝ぼけ眼をこすっていると、ナギは普段より半オクターブ高い声で答えてきた。
「主、見てくれ!」
ナギは掌を開いた。
鱗のない柔らかな白い掌に、小さな鎖のペンダントが握られている。先端には、薄紅色の宝石が埋め込まれていた。
いや、違う。
ロベリアは薄く輝く宝石を注視すると、あっと声を上げた。
「昨日の鱗……?」
「あれだと落とすだろうと思ってな」
ナギは得意げに胸を張った。
「この間、地下室で見つけた材料で、こっそり加工したんだ。見様見真似でやったから、工作が荒いが……これで、失くすことはないと思ったんだ!
その、気に入ると良いが……」
最初は得意げに説明していたが、だんだんと声が小さくなり、最後は顔を俯かせながら、風に吹き消されそうなほどの囁き声だった。
「ありがとう! 私、ペンダントを貰ったのは初めてよ!」
ロベリアは慎重に摘まみ上げると、ナギの前で首にかけた。
細い鎖は丁度良い具合の長さで、胸のあたりに赤い鱗が輝いている。先ほどまで作業をしていたのだろうか、鱗を指で触ると仄かな温かさを感じた。
「大丈夫か? 俺は似合っていると思うが……」
「似合ってるに決まってるわ」
ロベリアは自信を持って答える。
優しくペンダントを撫でながら、心が喜びで波打つのを感じ、ナギに活き活きとした笑顔を向けた。
「ナギが作ってくれたものよ? 似合わないはずがないわ」
「そ、そうか……」
ナギは尻尾を揺らしながら、照れくさそうに鼻を鳴らす。
「私もね、ナギに渡すものがあるの」
ロベリアが言えば、ナギはきょとんと瞬きをした。
まさか、自分も何か貰えるとは思っていなかったのだろう。ロベリアはくすりと微笑むと、夜、こっそり作業していたものを取り出した。
「ジャケットよ。昨日、買ってきた生地で作ったの」
型紙自体は、とっくに完成してた。
シャツとズボンも問題ない。既に試着はして貰っている。だが、上着だけは別だった。
「シャツとズボンの生地はあったのだけど、上着の生地はなかったの」
そもそも、この家にある布は基本的に色素が抜けている。
最も新しい布でも数年前に購入したものだ。いくら質が良くても、どこか古びているのは否めなかった。なんとか、シャツとズボンに相応しいものは見つかったが、ナギの綺麗な赤髪に合う生地は家中どこを探しても見つからなかった。
「昨日、買ってきたのよ」
声が弾むのを感じながら、深い藍色のジャケットを広げてみせる。
色はもちろん、布の触り心地や断面のほつれ具合、一つ一つ丁寧に確認し、ようやく見つけた布は軽く外食する以上の値段だったが、ナギの髪に良く似合うと思えば、全く痛くない出費だった。
「上着、か。夕焼けと夜の間のような色をしている……」
ナギは鼻を近づけると、穴が空くほどジャケットを見入った。
真顔で見ているので、表情が読み取れず、ロベリアは少しだけ不安がよぎった。つい肩を狭め、自分らしからぬおずおずとした声で尋ねてしまう。
「大丈夫……?」
「ありがとう、主。その、いま、着ても良いか?」
「……! もちろん!」
ロベリアが頷けば、ナギは背を丸めながら変化する。白いシャツ姿の彼は、ジャケットの袖を長い腕に通すと、恥ずかしそうに襟を整える。整った眉を恥ずかしそうに寄せ、鏡を確認している様子を見ると、ロベリアは言葉を零してしまった。
「……かわいい」
「か、可愛い!?」
「ううん、違うの。仕草が可愛いって」
ロベリアの私見では、大変似合っている。
デザイン的には、全部非常にシンプルだ。普通の街の人と変わらない。それなのに、何故だろう。彼が着ると、一流デザイナーが拵えた逸品のように見えてしまった。
これは、自分の腕だけでなく、ナギ本人の容姿が強く影響している。
そのことを正直に伝えれば、ナギは耳の先から蒸気を出せそうなほど顔じゅうを真っ赤に染めると、ぷいっと背を向けられてしまう。
ナギが後ろを向けば、長い赤髪が背中に流れた。
「せ、世辞は良い! 俺は気に入ったが、そこまで言わないでくれ!」
「本当のことよ? 私、世辞なんて仕事以外で言わないわ」
けれど一点だけ。
長い髪を結ぶ紐が、今にも切れそうなほど伸びているのを見てしまった。
確か、地下室に糸車があった。今度は髪紐を紡いでみようかしら、と考えていると、ナギは本当に少しだけ振り返った。
「…………その、ありがとう。嬉しい」
歓喜の色を必死に押し殺すような声だった。
「お茶、冷めるから飲んだらどうだ? 今日は美味く淹れた気がする」
「今日もでしょ?」
ロベリアが言葉を返せば、ぷいっと再度背を向けられてしまった。
恥ずかしければ、元の姿に戻れば良いのに、珍しく人間の姿のままだった。
もしかして、服を気に入ってくれているのかしら?
ジャケットを着た余韻を味わっているのかしら?
しかし、そんなことを口に出してしまえば、本当に変身を解いてしまう。
なんだか、それは少し惜しい気がした。
「それでは、いただくわね」
ロベリアは素知らぬ振りをすると、湯気の立つカップに手を伸ばした。
心が安らぐような渋みを舌の上で転がし、じっくり堪能すると、
「美味しい。また腕を上げたわね」
心からの感想を口にする。微笑まずにはいられない美味しさだった。
ナギは背を向けたまま、
「そうか。ならいい。じっくり味わえ」
ちょっと空回った声で答えてくれた。
のんびりとした時間が過ぎていく。
春の木漏れ日を温かさを肌で感じながら、ロベリアも胸に光るペンダントの喜びの余韻を味わう。
お世辞ではなく、今日のお茶が一番美味しかった。
次回、更新予定は3月19日の午後5時です。
誤字の報告、いつもありがとうございます。
これからも楽しく執筆していきたいです。




