20話 お買いもの(2回目)
投稿が遅くなってしまい、すみません!
深い森を抜けると、静かな草原が広がっていた。
太陽の日差しを遮るものはなく、風にそよがれて一斉に仰け反り葉裏が白く輝く。草が波打つ様子を眺めていると、なんだか若緑色の大海が広がっているようにも見えてくる。
草の海の向こうに、ぽつんと街が見えた。
「主、あそこか?」
ナギが足元で声を上げる。
ロベリアはまっすぐ前だけを見て、深く頷いた。手押し車を握る手を強め、ごくりと唾を飲む。
これから、あの街に行く。
街に出向き、自分の調合した薬を売りに行く。収入を確認し、今後の方針を決めながら、とりあえず一週間分の買い物をする。
やることは簡単。
たった三つだけだ。売る、確認、買う。変なことはしないし、する予定もない。だが、気持ちが僅か後ろに半歩ほど下がっている。
何しろ、あの街に入るのは10年ぶり。
自分で薬を売るのは初めてだ。
「主、しっかりしろ。
これまで、大臣とやらの秘書官をしてきたのだろう? 薬問屋より厄介な奴と渡り合ってきたのだろう?」
ナギが鼓舞する声が聞こえてくる。
その通り、なのだ。彼の言うことは、何も間違ってはいない。片田舎の薬問屋の親父などよりも腹黒く、自分ばかりが良い蜜を吸おうとする者たちと話し合い、言葉や資料を使って戦ってきた。一、二回ほど海外へ渡り、遊び歩こうとする大臣の首根っこをつかんで、相手国に特産物の輸入を率先するように手練手管を使って丸め込み、実現を果たしたことだってあった。
それに比べれば、ずっと簡単なこと。
それなのに――、
「どうしよう、ナギ。私、上手くできる自信がないわ」
仕事ではない、となると、どうにも心が前に進まない。
失敗したらという思いばかりが根を張り、なんとか一歩、また一歩と進むごとに、お腹に石が一個ずつ放り込まれていくような感じがする。
それに、今回はナギを連れて行けない。
ドラゴン連れは目立つから、やはり様子を見たい。
きっと、あの兄妹たちは喜んで迎え入れてくれると思うが、他の街の人たちは分からない。ナギがいくら心優しくて、ところかまわず牙を剥いたり炎を吐いたりしないと説明しても、大多数の人たちが忌避感を抱いたが最後、少数派の意見など聞き入れてもらえない。
「ドラゴンを連れた魔女」だと噂され、薬を売るどころではなくなる。
それどころか、「危険な魔女を殺せ」と森に火を放たれるかもしれない。今まで大丈夫だったからといって、今回も何もなく済むとは限らないのだ。
ようやく手に入れた、平穏な暮らしが崩れてしまう。
ナギと一緒に、末永くのんびり暮らそうと思っていたのに。
気のせいか、掌に汗が滲み始めていた。
「主……」
ナギの声が遠い。
ナギと離れるのが、とても怖い。
数週間しか経っていないのに、ナギと別れることを不安に思う情けない自分がいた。
「主……、主!」
「ひゃっ!?」
急に、ナギに太腿を触られ、ロベリアは飛び退いた。びっくりして目を丸くしていると、ナギは後ろ足で勢いよく立ち上がる。尖った口元が、一瞬、白く光った。なんだろうか、と手を伸ばそうとすれば、ナギが勢いよくそれを握らせてきた。
「これ……鱗?」
手を開くと、爪の半分ほどの鱗があった。
ナギの身体についていた時よりも、薄紅色で透き通っている。今まで見てきた如何なる宝石よりも儚げで美しかった。
「いざとなったときは、心の中で俺を呼べ」
つい見惚れていると、ナギは真摯な声で訴えかけてきた。
「俺が駆けつける。何があっても」
「……きっと? 周りが敵だらけでも?」
つい、子供っぽいことを尋ねてしまう。
しかし、ナギは笑うことなく、まっすぐ曇りのない深緑色の瞳を向け続けてくれた。
「ああ、きっと。だから、行け。
主が呼ぶまで、俺はここで待っている」
もう、連れて行ってくれとは言わない。
そんなこと言わなくても、ロベリアが戻ってきてくれると全幅の信頼を置いているような声色だった。
「大丈夫だ。万が一のことがあっても、あの庭は安全だ。
森を焼く程度の火でどうにかできるものじゃない」
「……そうね」
ロベリアは鱗を強く握った。
「行ってくるわ、私」
鱗をポケットに大切にしまうと、街に向かって歩き始める。
背中に、ナギの視線を感じた。
温かな声援のような、視線だった。
薬問屋は、街のはずれにある。
しかし、それは不幸にも逆方向のはずれだ。
森側の入り口から商店街がまっすぐ延びており、それを通り越えた先に薬問屋がある。ロベリアは出来る限り自然な表情で、手押し車を押しながら歩いていると、突然、真横から声をかけられた。
「まさか……ロベリアちゃん!?」
「……はい、そうですけど……」
勇気をもって振り向けば、パン屋の女将さんがいた。
女将さんと目が合うと、彼女は記憶より皺の増えた顔に更に皺をよせ、
「やっぱり! 似ているな、と思ったのよ!」
幸せそうな声で笑った。
「八百屋の倅を助けたって聞いてから、いつ来るのかなって思ってたのよ!」
「ご存知だったのですか?」
「ご存知も何も、有名よ! 何年も姿を見せなかったと思えば、ひょっこり街の子を助けてくれたんだから!
ほら、待ってな。久しぶりだから、サービスしてあげるよ!」
女将さんはそういうや早い、風のように店に駆け戻ったかと思えば、こんがり焼き立てのパンを持って帰ってきた。
「遠慮しないで! 持っていきな!」
「え、ですが、お金は……」
「良いってことよ!」
パン屋の女将はからっと笑った。
通りの真ん中で、そんなやり取りをしていたからだろう。なんやなんやと、あっという間にロベリアたちの周りに人が集まってきた。
「なに!? ロベリアちゃんが来たと!?」
「良かった、生きていたのね!」
「背は伸びたけど、痩せてるのう……肉屋の旦那! サービスしてやれ!」
「うるせぇ! 今やろうと思ってたところなんだ!」
「けちけちすんなって。ほれ、胡桃の甘煮。昔、好きだったろう?」
ロベリアが目を丸くしている間に、どんどん手押し車の上に積み重なっていく。
「ロベリアさん!」
「私たち、覚えている?」
人波を押し分け、顔を見せに来たのは、この間の兄妹だった。頬を真っ赤に染め、きらきらした目で見上げてくる。
「ジェイド君とフローライトさん、でしたか?」
「良かった!」
「名前、憶えてくれてた!!」
二人はぴょんぴょんと兎のように跳ねた。
「あれ、ドラゴンちゃんは?」
「ナギは、皆さんを驚かせるといけませんので、留守番を――」
「えー!? そんなことで驚く人はいないよ!?」
フローライトが言えば、周りの人たちも真面目な顔で頷いている。
「この街に、助けてくれた人を悪く言う者はいない」
「それが、ロベリアちゃんのドラゴンなら尚更だ」
「あ、ありがとう、ございます……」
ナギ以外からは向けられない信頼と優しさを受け、頬に熱がこもるのを感じた。
「その、私、これから薬問屋に行きますので……」
ロベリアが小さく言えば、皆は道を開けてくれた。
だが、その前に一人だけ。
「そうだ、ベガさんから言伝があるんだ」
食事処の旦那が肩を叩いてきた。
「ベガから、ですか?」
「なんでも、ロベリアちゃんが戻って来たら、村はずれの農場に行くように伝えて欲しいって」
「農場……?」
ロベリアは首を傾げる。
ベガと農場に行ったことは、一度もなかった。農場の主とも会ったこともない。
それなのに、行けとは一体どういうことなのだろう?
ロベリアは用事を済ませると、すっかり重くなった車を押し、村はずれの農場へ向かった。
白い柵に囲われた広大な農地には、牛や羊が春の陽気に微睡んでいる隣で、角が多く生えた魔牛が黙々と草を食べている。
「誰だ、そこにいるのは?」
優雅に暮らす家畜たちを横目で眺めながら歩いていると、大きな畜舎が見えてきた。扉は開け放たれ、恰幅の良い男が牛に藁をやっている。おそらく、彼が農場の主だろう。
「すみません、ロベリアと申します。ここに来るように、言われたのですが……」
「なんだ、今は仕事中……ん、んん?」
声をかけると、男は不機嫌な顔で出てきた。
だが、ロベリアの顔を見ると、途端に表情を崩した。
「ああ、君がロベリアか! ベガさんから聞いているよ」
男はついて来るように手招きをする。
別の畜舎の中に入るように言われたので、少し不安に思ったが、ナギの鱗を思い出すと前に進むことができた。
「ここだ」
男は、とあるケージに案内する。
ケージの中では、白い山羊がすやすやと眠っていた。山羊の足には黒い模様が点々と入っており、薄らと記憶が刺激される。その記憶を思い出す前に、農場主は答えを口にした。
「ベガさんに頼まれたんだ。君が来るまで、預かってくれとね」




