15話 いちごの時間
※すみません、投稿し直しました
※一部展開を変えました
「遅かったな、主」
テラスに着くと、人間のナギが万全に準備を整えていた。
木のテーブルは既に拭かれており、木目がくっきりと浮き出ている。その上に、湯気が昇るポットとカップが置かれていた。その隣には、きちんと皿が二つ用意されている。おそらく、一方が苺を乗せる皿で、もう一方がへたを入れる皿に違いない。
「すごいわ。皿まで用意しているなんて」
ロベリアは少しばかり目を見開いてしまった。
「準備が速いのね、ナギ。びっくりしたわ」
「主が遅いんだ。いや、否定したわけじゃない。その……だな……」
ナギは言葉を探すように宙を見ると、困ったように頬を掻いた。
「苺、食べたかったのよね。遅れてごめんなさい。道すがら、ハーブを採っていたものだから」
ロベリアは苺とは別の籠を下ろした。
ハーブや薬草の類がいっぺんに詰まった籠は、苺の匂いを消してしまうほど自己主張をしている。もちろん、この香りは嫌いではない。嗅いだ途端、鼻から抜けて目の裏まで一気に爽やかな風が吹くような匂いは眠気覚ましに丁度良く、真剣に考えをまとめるときに有効だ。
「月見草の葉があったから、かゆみ止めの薬でも調合しようと思うの。
お昼の庭仕事を終えた、夕食の前あたりで」
「薬のことは、俺には分からない。主の好きにすればいい。
だが……」
ナギは腕を組むと、苺が詰まった籠を覗き込んでくる。
切れ長の目を更に鋭く細め、どこか怒ったような口調で問いただしてきた。
「主。量が少し減ってないか?」
「それはそうよ。半分はジャムにするのだから」
ロベリアは残った苺を皿に乗せ始める。
嘘ではない。
不思議なことに、数個ほどお腹に消えてしまったのは事実だが、ジャムにするのは本当である。テラスに行く前へ裏口に寄り、ジャムにする分は置いてきた。
「薬問屋のおじさまは、苺ジャムが大好物なの。挨拶代わりに持っていこうかと思って」
「そうか……ならいい。だが、主。食べたのは本当だろう?」
彼はロベリアに少し近づくと、すんすんっと嗅いでくる。
「甘い香りがする。一、二個、つまみ食いしたな?」
「……おっしゃる通りです。怒ってる?」
「いや、俺も食べたから気にしない」
ナギはそう言うと、茶を注ぎ始めた。
ナギはお茶を淹れるのが上手い。ロベリアは椅子に腰かけると、控えめな渋みと薄らとした甘みを口の中で楽しむ。最初の一口を楽しみ終えると、対面に座ったナギに笑いかけた。
「美味しいわ。さすが、ナギね!」
「……褒めても何もでないぞ。主には敵わない」
ナギはすました顔で答えると、彼は静かに茶を飲み始めた。
「主には敵わない」
「そう? とても美味しいわ」
ロベリアが言うと、ナギは不服そうに口を尖らせた。
カップをテーブルに置き、節のある武骨な指で苺を器用に摘まみ上げる。
「主は自信を持った方が良い。俺なんかより、ずっと上手いのだから」
「そんなことないわよ」
「そんなことはある」
ナギは苺を食べ始める。
よっぽど、苺が好きなのだろう。顔は渋い表情のままなのだが、一個、また一個と放り込むたびに、大きな尻尾がゆらゆらと嬉しそうに揺れている。
ロベリアは柑橘系な爽やかな香りを楽しみながら、ちょっと面白いことを考えついた。
「ねぇ、ナギ。ナイフはある?」
「あるが、どうした?」
「せっかく苺があるから、フレーバーティーにしようと思って」
「ふれーばーてぃー?」
ナギは眉根を寄せる。
ロベリアはナギからナイフを受け取ると、苺をてっぺんから下に向かって切った。苺はぱっくり割れると、上品な白さが露になった。内側に一本、そして周りを縁取るように、ナギの鱗のような赤色で飾られている。
「これをね、お茶に入れるの」
ポットを開けると、ロベリアは苺を投入する。
ちゃぷんっと淡い薄色の水面に苺が沈み、波紋がポット全体に広がった。
「あとは、味が出てくるまで少し待てば完成ね」
「苺はお茶にも入れることができるのか……!?」
ナギは考え深そうに呟いた。
「酒に入れるのは知っていたが」
「え!? お酒に入れるの?」
今度はロベリアが驚く番だった。
正直、お酒と苺は合わない気がする。ちょっと上品なカクテルのグラスの縁に檸檬を差し、絞りながら味の変化を楽しんだことはあるが、さすがに苺はないだろうと思い込んでいた。
「炭酸?というのか? 泡が出る薄黄色の酒に苺を入れる。
前の主が連れ込んだ女性が『こうすれば、ちょっと素敵なカクテルになるのよ』と」
「確かに、素敵かもね」
ロベリアは頷いた。
スパークリングワインに大粒の苺を入れる。きっと、とても贅沢な見た目をしているのだろう。
「そろそろかしら……?」
空になったカップに、お茶を注ぐ。
湯気からは先ほどと同じ香りの中に、苺の甘酸っぱい匂いが良い感じに漂ってくる。ナギはおっかなびっくり茶を嗅いでいる。
「本当に合うのか?」
「私は好きよ。……あ、でも、苦手ならごめんなさい。責任をもって、私が飲むから」
少し先走ってしまったか、と後悔する。
ナギは実際、半信半疑な様子だった。ロベリアは彼を安心させるため、そして自分が楽しむため、まずは一口、苺のフレーバーティーを嗜んだ。
茶を口の中で転がしていくと、薄らとした淡い渋みを背景に、苺の甘酸っぱい香りが広がっていく。ぽかぽかとした日差しと少し冬の余韻が残る風もあるからだろう、ああ、春が来たんだな……と、ぼんやり思った。
一方のナギは、眼をぎゅっとつぶった。そして、意を決したようにお茶を飲む。すると、次の瞬間、いきなり両翼が開いた。驚いたように目を見開けば、しげしげとカップを見下して、
「……美味しい」
と、ぽつりと言葉を零した。
「主は凄いな……俺が淹れたお茶を、ここまで美味しくするとは……」
「あら? ナギのおかげよ?」
ロベリアが言えば、ナギは弾かれたように顔を上げた。
「俺のおかげ?」
「ナギの選んだ茶葉が、渋みが薄かったからできたのよ」
茶を選び間違えれば、苺の味が渋みによって相殺されてしまう。
苺を食べることを前提に、渋みの薄いお茶を選んでくれたからこそ、フレーバーティーを作ることができたのだ。
「ナギが良い具合でお茶を淹れてくれた、というのも大きな要因よ。
お湯の量と温度。それから、茶葉の量も味に大きく関わって来るのだから」
「そ、そうか……」
ナギは小さく答えると、お茶を飲み始める。
赤髪から覗く尖った耳の先が、ほんのり髪と同じ色に染まっていた。ロベリアはその様子を眺めると、ほっと一息ついた。カップを両手で抱えたまま、ナギのこれからを想う。
これまで、彼は絶対に良い思いをしてこなかった。
これから少しずつ、自分に出来る範囲で彼に幸せな驚きと至福の時をあげたいなと。
お昼休憩を終え、午後からの仕事に取りかかる。
植えた部分に水を撒き、雑草取りにかかった。
今日は、小川のほとりの手入れ。
ラッパスイセンの周りを侵食し、覆いつくそうとしている香草の数々を抜いて行く。香草なので、このまま捨てず、料理などに使うつもりなので、ざっと仕分けをしながら籠に入れていく。
「葉っぱだけは駄目よ。根元の辺りまでお願い」
「……難しいな」
ナギは力加減が難しいらしく、顔をしかめながら作業をしている。
そんな様子を微笑ましく眺めているときだった。
「き、きゃあああああ!」
のどかな春の陽気を貫くような悲鳴が聞こえてきた。
ロベリアは手を止めると、すぐに悲鳴の方へ目を向ける。幼い子どもの叫び声だった。唐突な叫び声に驚いたのか、樫の森から鳥が空へ飛び始めるのが見える。
「ナギ、行くわよ!」
「ああ!」
ロベリアは籠を置くと、急いで走り出した。
あわてて後ろから、ナギが追って来る。
このあたりに、今まで人なんて来なかった。
ロベリアは走りながら不安な気持ちにかられる。落ち葉を踏みしめる乾いた音が妙に耳障りで、嫌な気持ちを掻き立てていった。
「た、たすけて!」
声が近づいてきた。
ナギの木の辺りを越た頃、小さな影が二つ見えてきた。
一人は15歳ほどの少年で、もう一人は10歳前後な女の子。
それから、ロベリアの背丈よりずっと高い熊がいた。
少年の方が肩のあたりから血を流し、ぐったりと倒れている。
女の子が少年を庇うように立っていたが、たぶん勝ち目はない。
女の子は真っ黒なローブを身に纏い、魔法使いの長い杖を持っているのだが、杖は半分に折れてしまっていた。
「ここは任せろ、主!」
ナギが鋭く叫ぶと、すぐ脇を通り過ぎて行った。
いつの間にか、ドラゴンの姿になっていた。
彼は熊の前に飛び出すと、威嚇するように口を開ける。熊はナギに一瞬、怯んだようだったが、すぐに両手を掲げるとナギに襲いかかってきた。だが、その爪はナギに届かない。
ナギは器用に翼を操り、熊の一撃を避けると、その背中に向かって爪を突き立てた。
「――—ッ!」
熊は空を貫くような咆哮を上げる。
背中に大きな傷を作ったが、まだ戦意は失っていないらしい。薄ら赤い血を流しながら、ナギに反撃しようと爪を剥く。だが、爪がナギにかかる前に、ナギは喉を反らせると、一気に炎を軽く吐いた。
炎弾が熊の顔のすぐ脇を横切る。すれすれだったらしく、頬の辺りの毛先が一瞬焦げたのが分かった。
さすがに熊も驚いたのと熱いので、ナギと戦う気が失せたのだろう。
あっという間に、こちらに背を向けると森の奥へ逃げ去って行った。
「どうだ、主」
「ナギ、ありがとう!
貴方たちは大丈夫!?」
ロベリアは女の子に駆け寄った。
女の子はロベリアを見ると、大きな目をいっぱい潤ませながら、
「た、たすかった……」
と呟いた。
そのまま、こてんと倒れ込んでしまった。糸の切れた人形のように、とはまさにこのこと。あまりにも唐突だったので、ロベリアは焦った。
「し、しっかりしてください!?」
ロベリアは女の子を抱きかけた。
どうやら、気を失ってしまったらしい。少し揺すってみたが目覚める様子はなく、どこか安心したように薄い呼吸をしていた。
「どうする、主?」
「とにかく、放っておくわけにはいかないわ」
男の子の方は怪我をしているし、すぐに手当てしなければならない。
熊は逃げて行ったが、また考えを変えて襲ってくるとも限らない。
「ナギ、男の子を家に運んでくれる?」
ロベリアは女の子の腕を肩に廻すと、よいしょと立ち上がる。
少し重いが、この程度なら造作もない。
ロベリアは家に向かい、できるだけ速足で歩き始めるのだった。




