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43 レミーナとカスパル先生

 



「おはよーございまーす」


 レミーナは足取りも重く離塔の一階にある天井の高い書庫兼仕事場へ入っていくと、カスパル先生がふぉっふぉっ、覇気のない声じゃのう、と面白そうな顔で迎えてくれた。


「殿下が屋敷に送ってくれたと聞いたぞい? 順調にラブラブしとるのではないのかの」

「先生、ちょっとプライベートに突っ込みすぎです。あとラブラブしていませんっ」

「おやおや、そうかのー」


 大きな眼を糸のように細めて肩をゆらすカスパル先生に、ちょっとだけ顔をしかめて口をとがらしながら荷物を置きに給湯室にいく。


 今日のキッチンはまだ火が入っていないのか、しんとしていた。レミーナは銅製のやかんを手にとり、並々と水を入れて湯を沸かし始める。


 あーあ、復活しなかったなぁ……。


 レミーナはキッチンの作業台の上に紅茶が入った缶を取り出すと、はぁ、とため息をついた。


 気分転換にお菓子を作ろう、と思ってもぼんやりしてて火加減まちがえちゃうし、なにやってても殿下の事が気になっちゃうし。


「恋したいなんて、思ったことなかったのにな」

「ふぉっふぉっ、恋はいつのまにかおちるものじゃからのー」

「ひあっ、カスパル先生っ! びっくりさせないでくださいっ」

「ふぉっふぉっふぉっ」


 いつもは給湯室に来ることなんてないカスパル先生が、入り口から顔だけを出してこちらを見ていた。


「迷える助手に愛の手を、じゃのぉ。紅茶を持って机に集合じゃ。お菓子も持ってきてもいいぞよ?」

「午前中の仕事はいいんですかー。あと今日のお菓子は無いです」

「なぬ?!」


 カスパル先生の大きな眼がこぼれ落ちそうなぐらい見開いた。レミーナはしゅんとなりながら、作ってみたけれど焦がしたから持ってこなかったと伝える。


「むぅ、これはゆゆしき問題じゃな、すぐに解決が必要じゃ! どんな仕事よりこちらが優先じゃわいっ」

「先生ってば、大げさですよ」


 レミーナが軽く笑いながら首を横にふると、カスパル先生はいやいやそうでもない、緊急案件じゃ、と顔をひっこめてスタスタと窓辺のテーブルの方へ行ってしまった。


「お菓子、そんなに食べたかったのかな」


 毎日食べているものが急になくなると口さびしいとか、そんな感じ?


 レミーナは首を傾げながらカタカタと湧き出したヤカンのお湯を茶葉の入った陶器に移し、カップを用意して先生の後を追った。




 ****




 離塔の中では一番大きな南の窓にあるテーブルの側にいくと、昨日、机の上には何もない状態にして出ていったにもかかわらず今は紅茶のポットの置き場もないぐらい本が積まれていた。


「先生、せめて紅茶を飲む広さは確保してくださいっていつもいってるのに」

「いま空けておるのじゃ、その間に茶葉も開いで飲みごろになるじゃろ。丁度いいあんばいというものじゃー」

「その間、私はトレイを持ちっぱなしで重いのですが!」

「むぅ、言うようになったのー」


 ちゅーと口をとがらしたってかわいくないですっ、と憎まれ口を叩いていると先生は本の上に本を積み重ねて小さなスペースを作ってくれる。


「そんなに積み上げてー。くずれても知らないですよ?」

「絶妙なバランスで積んでいるのじゃ、どこかのおっちょこちょいが触らない限りくずれはせぬぞい、ふぉっふぉっふぉっ」

「そんなこというなら紅茶、置きません」

「おやおや、じょーだんも通じないとは! ますます困ったことになっておるなー。まぁ座りなさい」


 いつもなら軽口をたたきながらカスパル先生とも渡りあうのだけれど、今日はとてもそんな気分になれない。

 カスパル先生もそんなレミーナの気持ちに気づいてくれて、座ったレミーナの頭をぽんぽんと叩いてくれた。


「先生、子供あつかいして」


 レミーナはほんのりとあたたかい気持ちになりながらも、つい気持ちとは反対の言葉をいってしまう。でもカスパル先生は眉をハの字にしながら、大きな眼を細めてふんっと鼻をならした。


「わしから見ればお前さんは子を通り越して孫かひ孫じゃわい。年老いた者からすれば、助手兼孫のような若いもんが悩んでおったら話ぐらいは聞こうというもの。さぁ、何があったのじゃ?」


 めずらしく柔らかな物言いの先生の言葉に、レミーナの気持ちもほぐれてくる。それでも気持ちを吐くという事に慣れていないレミーナは、もじもじと動く自分の手の指を見ながらうつむき加減で昨日のてん末を話し出した。


 ドン室長と話している時に自分の気持ちに気付いた事、謎を解いたらもうお役ごめんで殿下に会えなくなるかもと思って哀しくなった事、クレトさんに殿下と話し合った方がいいと言われて執務室に行ったら、殿下に自分は来なくていいと言われてショックを受けた。けれどそれは誤解で、でも殿下から前の殿下には戻れないからいやなら謎解きもやめてもいいと言われて思わず告白してしまった事まで。


 いつのまにかレミーナはとつとつと喋ってしまっていた。

 ここまで一息に話したので、ふぅ、と大きく息をつく。するとカスパル先生は目と比べてとても小さい鼻をふむーとならして一言。


「まー、なんというかー、すれ違いもいいとこじゃ」

「せんせぇー」


 そんな身もふたもない事いわないでくださいよぉ、とレミーナはぶわぶわとまた涙が出そうになる。


「ふぉー、これだから恋する乙女は。泣くなと言うても涙は出るものじゃしのー。泣いてもいいが話は聞くのじゃぞ?」

「うう、先生、鬼畜……」

「まー、わしは干からびてもおのこじゃからのー、恋するおのこの気持ちは分からんでもないが、恋する乙女の気持ちはうといしの。ましてやお前さんの師じゃ。甘えさせはせんよ」


 そう言いながらもにっこりと笑ってレミーナを見てくれる師匠の姿に、不思議と涙もおさまってくる。


 なんていったらいいんだろう……ゆるがない姿勢? 私が泣いていても変わらずあるがままで居てくれる先生が眩しい。


 レミーナはぐいっと自分の手で涙を拭った。


「先生、わたし、どうしたら……いいですか? 恋をしたことがないから、何もかも、本当になにもかも……わからないのです」


 レミーナは心の底から本当の気持ちを吐露した。


 カスパル先生は真剣にわからないと伝えてくる愛弟子に静かに応える。


「殿下と会いなさい。なるべく会う時間を自分で見つけていくしかない。お互いを知るにはそれが一番、近道じゃ」

「でもこわくて殿下のところになんて行けませんっ! もう拒否されるの……いやなんです」


 一昨日の事を思い出すだけで胸がとすりと苦しくなる。

 今のレミーナには、殿下が自分に鋭い視線を向けただけで息ができなくなりそうになるのだ。


「前は平気だったのに、どんなに冷たい目でみられても気にならなかったのに、今は耐えられないんです。あの方に否定されただけで心臓が止まりそう。自分でも……しんじられない」


 くしゃりと胸元にある制服のリボンをつかむレミーナ。

 そんな愛弟子をみて、カスパル先生は、では、と静かにいった。


「その想いを胸に殿下と避けて暮らしていくかの」

「……やです」

「なぜじゃ? 謎解きもやめてこの離塔と屋敷を往復すればよい。今までと変わりない生活じゃ、不自由なかろ?」

「いやです、いやっ! 殿下と会えなくなくのはいやですっ! ……っあ……」


 胸元を押さえたまま思わず立ち上がったレミーナに、カスパル先生は大きな眼を細めてにっこりと頷いた。


「そうじゃ、答えは既にお前さんの中にある」


 すとん、と心に落ちてきた本音に、レミーナは呆然としながら座る。


「殿下が私の事をどう思っていても、私の心は変わらない、ということ……ですか?」

「お前さんがそう思うのならばそうなのじゃろう」

「うう、先生、はっきりおっしゃって下さい」


 確信がほしくてまたしても涙目になる弟子に先生はふぉっふぉっ、と笑う。


「人の心は移ろい変わるもの、その中でも強く残る想いが、一番大切なものじゃ。どのような事が起こったとしても、その想いがあれば自然と行動も決まってこよう? そうは思わんかのー?」

「うう、結局どう思われていたとしても会ってこいってことですよね、やだぁ」

「いやでも会いたいならばしかたなかろー」

「うえぇ、殿下のバカーっ 先生のきちくーっ」

「ま、完全なる八つ当たりじゃが、めぐりめぐって結局の所それにつきるの」


 ふぉっふぉっふぉっ、とカスパル先生の高らかな笑い声と、レミーナのふえぇんという半泣きの声で響く離塔の朝はその後つつがなく始まり、今日も午前で助手の仕事を切り上げたレミーナはカスパル先生に背中を押されて謎解きの手がかりを見つけに食堂へいくのだった。
















こんばんは、こんな時間に失礼します。

いつもは朝ゆっくり上げるのが常なのですが、明日も仕事なのですみません(汗


謎解きに向かいたかったのですが、レミーナの気持ちが落ち着かず、カスパル先生にご登場いただきました^_^

レミーナ、がんばって、と私も応援しています。

次回は食堂で初めてのランチ! どんな様子なのか私も今から楽しみです。


連休中に更新したいと祈りながら(なむなむ)また近いうちにお会いしましょう。


なん


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― 新着の感想 ―
[良い点] 会いたいー! でも冷たくされたらつらいから会いたくないー! でも会いたいー! エンドレスですね♡ あーー、カルパス先生が最高すぎます! おじーちゃんだからこそのミリキw 若かりし日のカル…
[一言] 殿下の方もまだ複雑そうですからねぇ… レミーナ頑張れ!
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