39 レミーナ
奥の部屋の手前にある歓談室のローテーブルにトレイを置いたクレトは、胸がくるしくて動けなくなってしまったレミーナの手を取ってくれた。
「いやー、殿下にはきっとレミーナさまはまだお仕事の最中ですよって言ったんですけれどね?」
レミーナの様子を知ってかしらずか、クレトはくすくすとおかしそうに笑いながらソファへと導いてくれる。
「殿下はレミーナさまがこの時間まで離塔に戻られないのはおかしいと心配されてましてね。ご自身の仕事が終わっていないので私で申し訳ないのですが、お迎えに上がりました。でもその前に休憩しませんか? お疲れになったでしょう?」
そういって自らポットを手に取ると、目の前に湯気のたつ紅茶を入れてくれた。
「す、すみません、私が入れなきゃなのに」
本来なら上司の側近に当たる方なので、立場的にレミーナがお茶を入れなければならないはずだ。でも、いいえ、私で正解ですよ、とクレトは笑う。
「私の中でレミーナさまは、どのような格好をされていても殿下の大事な方です。いついかなる時でも私が入れさせて頂きますよ」
図書室でみた陽気な感じとは違い、クレトはすみれ色の瞳を思慮深く伏せながら微笑んだ。
「クレトさん?」
「おっと、紅茶が冷めてしまいます。はい、レミーナさまのお作りになるクッキーより甘いかもしれませんが疲れた時には効きますよ」
一瞬にしてからりと笑うと、レミーナのカップのそばに小皿を置き、あれもこれもと一つづつお菓子を取ってくれた。
レミーナも気をとりなおして、真ん中に葡萄のジャムがのっているクッキーを一つつまむ。バターがたくさん入ったクッキーはしっとりと口の中でとけ、葡萄のとろりとした上質な甘さが最後に舌の上に残った。
「ん、おいしい……! ジャム、今日作られたものですね、ぶどうの皮がちゃんとこされてる……王宮のクッキーはとても上品です」
「作られる方はやはり違いがわかるのですね。パティシエが喜びます、伝えておきましょう」
「はい、ぜひ!」
お菓子とお茶でほっこりとやすらぐ。やっぱりお茶の時間ってだいじ、と思いながら食べていると、クレトさんが謎が一つ解けたようですね、とレミーナの背後の部屋をみながらにっこりと笑った。
「やりますね、レミーナさま。カーテンで隠された装置を見つけられましたか」
「いいえ、私が見つけたんじゃなくて、たまたま掃除の方がみえて」
「えっ⁈」
メリルと出会ったことによって偶然わかった、という事を話すと、クレトはへぇと目を見開いた。
一緒にお掃除をして食堂で食べる約束をして、というくだりではおおっ、それは素晴らしいことです! とうんうんと頷いてくれたのでレミーナもとても嬉しくなったが、その後に思い浮かんだ懸念にまた気持ちが落ちてしまった。
「レミーナさま、なにか気になることでも?」
顔が曇ったことが分かったのだろう、クレトは心配そうに聞いてくれる。
レミーナは温かいお茶をこくりと飲み干してテーブルに置くと、そのまま深緑のスカートのプリーツをぎゅっと掴んだ。
「謎解きって、殿下が深く関わっていらっしゃいますよね」
「あー……うーん、まぁ、どこまでとはいいませんが関わってはいらっしゃいますね」
「以前の殿下は、私に謎を解いてほしい、とおっしゃっていました」
「ほほぅ、それは初耳です」
レミーナはクレトにグレイの森に行く前に馬車でアルフォンス殿下が話された事を伝えた。クレトは興味深そうに話しを聞くと、紅茶のソーサをテーブルに置き微笑んだ。
「殿下はおそらく今の事態になることをわかっていらして、レミーナさまに事前にそうおっしゃったのでしょうね」
「でも今の殿下はそう思っていらっしゃるのか分からなくて……」
「ああ、今の殿下はねぇ」
レミーナが勇気を出して心の内を話すと、クレトは目を半眼にしため息をついた。
「ひっじょーに残念なんですが、絶賛こじらせ中なのですよねー」
「こじらせ中?」
「ええ、自分の気持ちを全部右手の殿下が伝えるものだから嫉妬のあら……あばばば、うーん、私から見ますと今の殿下も謎を解いてほしいとは思われているはずですが」
「でも図書館でも助けてくれたのは右手の殿下ですし、ドン室長の所では訳がわからない内に話が決まられてしまったし……今の殿下は、あまり私の方を見ないのです」
以前の殿下はよく海空色の眼を驚いて瞬かせたり、柔らかく細めてくれたり、レミーナを見てくれていたように思う。
でも今の殿下は目が合ってもすぐ逸らしてしまうし、何か常に面白くなさそうな顔をされているし、なんだか迷惑ばかりかけている気がしてきて。
いろんな色に変わる殿下の海のような瞳がみたいのに。
レミーナは肩を落として無意識にプリーツをいじっていると、こっ、こじらせがひどいっ! との声に顔を上げた。
クレトは首を振りながら額に手をあて、レミーナさま、これはもう直談判にいきましょう、そうしましょう、と立ち上がった。
「あ、いえっ、お忙しい公務の邪魔をする訳にはっ」
「いんやー、これ殿下にとっての最重要事項な気がします。側近としてそんな匂いがするのです。そんな時は直感に基づき行動するが吉」
「そ、そんなものなのですか?」
レミーナの中で側近のクレトは思慮深くいろんな物事を考えて動く方だと思っていたのに意外だ。
そうですよ? とクレトはにっこり笑う。
「レミーナさまも覚えておかれるといいかもしれません。なんかやばいなー、理由なんてわからないけれどなんかこれ、まずいんじゃないかーっていう時は、自分のこうした方がいいんじゃないか、という直感に従って大丈夫です」
「それが間違ってしまった答えでも?」
「ええ、もちろん」
クレトは大きく頷いてレミーナに片手を出した。
「間違えることなんて沢山ありますよ。でもあれ違うんじゃないか? と思ったらその都度修正していけばいい話で結果良い方向に向かいます。レミーナさまは間違えたかもしれない、と思われた時はどうされてますか?」
「信頼できる方に相談したり、お相手がある件であれば直接お聞きしたり……あっ」
レミーナが思わず口元に手をやると、クレトは満足そうに頷いた。
「そうです。これ以上はご本人に会われた方が一番な気が私もします。はい」
クレトはレミーナを安心させるように大きく頷くと、さ、行きましょう、とレミーナを立ち上がらせてくれた。
「離塔に寄ってレミーナさまのお菓子を調達してからいきましょうね、殿下はレミーナさまのお菓子がお好きですからこちらがあるとないとじゃ殿下のご機嫌の波が大きくちがうのですよー。でもそんな大なみ小なみをみるのも面白……あばばば、えーっと今回は必要だと思いますので」
男性にしてはよくしゃべるクレトの話を聞いていると、少し不安が和らいでくる。
うながされて部屋を出ると、廊下には中庭から入ってきた柔らかな冬の午後の日差しが差し込んできていた。
クレトが気楽なおしゃべりを続けながら先導してくれたのでスムーズに離塔まで戻ることができ、レミーナはカスパル先生にも一言告げて執務室に向かうことができた。
お待たせしました、すっかり夏になってしまいましたね、皆さまお変わりないですか?
私の方は夏休みを頂けたので次回はもう少し早く投稿できるのではと心踊る気持ちです。
どきどきしながら執務室に行った先でレミーナをまちうけているのは冷たい殿下か右手の殿下か? 私も楽しみです。
ではまた近いうちにお会いできる事を祈って。
なん




