35 アルフォンス
本格的にクレトとレミーナを含めた外交について話していると、彼女は肩をいからせて廊下を歩きだした。
「っと、追いますか?」
ちらりと横目にみたクレトが確認してくるが、いや、とアルフォンスは微かに首を横にふった。
「様子をみよう。カスパル老から何か指示を受けているかもしれないしな」
「確かに。ご用事が終わっていれば図書館を通って離塔へ戻られますものね」
彼女が歩き出したのは図書館へ向かう廊下ではなく、王宮の内部と外部へ向かう境の方面だ。しかしレミーナはある特質を持っていた。
「どちらに行くにしても、目的地をわかって歩いていますかね……」
「いや、おそらく何も考えずに歩き出したな」
廊下を左に曲がり、姿が見えなくなったレミーナの動向を追うべく、アルフォンス達は反対側の廊下へ移動した。
レミーナが今、歩いているのは王宮の外部へ向かう方向だ。その先には控えの間や謁見の間、彼女と初めて会った舞踏会の間などが連なっていく。
昨日の場所へ行くつもりなら、その方向で間違いはないのだが、案の定、彼女は迷ってきょろきょろと周りの様子をうかがいながら手前の中庭に出てきてしまった。
この王宮は縦と横が均等に長い廊下が続く外向きの南の建物と、渡り廊下で繋いだ横と同列に並べてある内向きの北の建物とに分かれている。
南と北の建物の間は中庭が四つあり、この庭は東から数えて一つ目の庭なのだか、おそらくどの庭に出てきたのかもわかっていないだろう。
「ほら、殿下、出番ですよ」
「いや、ちゃんと自力で戻るなり行くなり出来るようにならないとダメだろう」
「またそんな事いって。いいですか? こういう時にさっと現れて助けてあげるのが恋人としての務めでして」
「別に私と彼女は恋人ではなく仮の婚約者……やめろ、暴れるなっ」
アルフォンスへ動き出そうとした右手を左手で抑える。
「本当に素直じゃないんですから。そんなことしてると横から誰かにかっさらわれ……あっ!」
「そのような事にはならんだろ……う?」
うろうろして肩を落とし、中庭のベンチに座ったレミーナの元に体格の良い男が現れた。金庫番、ドン・ロペス室長だ。
「なぜドン室長が……先ほどの件ですかね」
「まぁ、そんな所だろう、な」
そう言いながらも中庭の二人から目が離せない。
「わっ! レミーナさまの隣に座った! いいんですか殿下」
「言いも悪いも隣に座るのなんて普通だろう。普通、普通の事だと……言っているっ」
アルフォンスの右手が左手の抑止を振り切って廊下の大窓を叩こうとしている。そんな事をしたらレミーナはまだしもドン室長には気付かれてしまう。
なんとか右手と窓の間に左手を入れて音を鳴らさないよう死守し、強打される。
いっ……とうめいて左手を大きく振り、痛みを散らしているアルフォンス。
クレトはくっくっと拳で声をころしながら笑った。
「なんというか、殿下がこんなにドタバタされる方だとは知りませんでした」
「右手が動くからだっ、私は別に何も変わりはしない!」
「しっ、声が大きい。気付かれますよ?」
「お前……後で覚えてろよ」
恐ろしい冷たさでにらんでも慣れているクレトには通じない。それよりも、あっ、もっと近づいた、などと囁いてくるからさすがにアルフォンスも平静ではいられない。
我慢ならず、見つからないように樹木の影の隙間をぬって窓から覗いた。
レミーナは首をかしげながら、ドン室長が開いている紙を見ている。ときおり口元に手を当てながら、じっと動かない。
「ふ、やはり仕事の話ではないか」
「いやいや、仕事とかこつけて落ち着いたら口説きに入るのが常套手段でして」
「ドン室長ほどの男がそんなことするか?」
筋骨隆々、強面のドン・ロペス。手元に上がってくる情報でも女性関係は聞いたことがない。仕事に邁進しているルミナス王国の金庫番、それが巷に聞くドン室長の人となりだ。
「いやいや、ドン室長もああ見えて独身貴族ですからね。軍部の金庫をビシッと整えたという叩き上げですから。その縁で近衛のルスティカーナ伯爵の覚えも大きい」
「クレト、何度もいうがお前はどちらの味方なんだ」
「最近はレミーナさまですかね?」
しれっと肩をすくめて軽くいうクレトを睨みつけて、すぐにレミーナへ目を移した。
彼女は書類のある一点を指差してなにか言い、ドン室長を見上げて告げている。
「あー、あー、上目遣い」
「クレト、黙れ」
「レミーナさまの若草色の瞳ってちょっと魅力ですよねー。午後の光を浴びると少し金も混ざるように輝いて……って、うわっ! やめてください殿下、ぐるじいっ」
アルフォンスの右手がクレトのシャツごと喉元で締めている。
「ふん、これは私の意思ではない」
「止めないあたりがご自身の意しぐえぇぇ、むりむりむり殿下やめてぐだざ、んぐっ?! で、でんか、むこう、むこう!!」
「その手には騙されない」
「ちがっ、ほんとにわらてるぅぅぐぐぐぐるじいぃ」
「む」
アルフォンスが呟くと右手がぱっとクレトを放し、すぐに窓の方へ動き出そうとする。
アルフォンスは左手でその動きを抑えた。
「落ち着け、ただ笑っているだけだ」
そう静かに伝えるが、右手はぶるぶると震えて力を込めてくる。
「彼女は誰にでも笑うだろう。それに一々嫉妬してどうする」
アルフォンスは諭すように右手に語りかけた。
「お前の本分はここにいつまでも居ることか? 投げ出してきた仕事はどうする。レミーナから上がってくる慈善事業の起案は本来妃殿下の許可を得なければならない。その根回しもしていないのに」
震えていた右手がはっとしたように緩んだ。こういった所が正に自分だと感じられてアルフォンスは苦く思う。
いつ何時も冷静さを忘れずに生きてきた。取り乱してもなにも状況は変わらないからだ。今ある現状の中で模索して今に至る。
でもこの右手だけは、感情のままに動く。
まるでこれが自分の本心だと示すように。
「自分で自分を手なずけている、という感じですか?」
側でみていたクレトが静かに聞いてくる。
「いや、それとはまた違う……前の私は彼女の前では素の自分を出していたのだろうな。どちらも、自分だ」
クレトからの伝言に全て放り投げて走ったのはなにも右手だけじゃない。
「クレト、ドン室長との話が終わり彼女が動き出したら見てくれ」
「はい、迷子になりそうなのを回避ですね?」
「私は執務室に戻る」
「承りました」
楽しそうに話しているレミーナを見て頷くと、アルフォンスは身をひるがえして歩き出した。
その姿を最敬礼で送ったクレトは、また窓に目をやる。
「やっと自覚してくれましたよ、レミーナさま。よかったですね」
柔らかく告げた言葉は本人には届かないが、これから先、仕える事になる人に向けてクレトはさりげなく胸に手を当て首を垂れた。
こんにちは、二週間ぶりですね、遅くなってしまって申し訳ないです。
第8回ネット小説大賞は残念ながら最終選考まではいきませんでした。でも応援してくださったおかげで沢山の方に読んでもらえることができました。
とても嬉しかったです! ありがとうございます。
二次候補作や最終選考通過作品も沢山読ませて頂いて、自分の足りないものも見つけ、まだまだ学ばねばなぁと思った次第です。
なかなか筆が遅くて申し訳ないですが、この物語にも今回の経験で得たものを入れ込んでみたいと思います。
でも、まずは自分が楽しむ事も大事に。
心から楽しめないと、やはり文章に現れてしまうので。
少しお時間を頂いて、また執筆を楽しめるようになりました。お待ち頂いて感謝申し上げます。
皆さまも楽しんでいただけますように。
なななん




