33 レミーナ
ずぅん、と目の前に立たれ、レミーナはおそるおそる見上げると、浅黒い肌に白髪に近い刈り上げた短髪の彫りの深い顔の男はフンッと鼻息あらく、顎を上げながら見下ろしていた。
「誰かと思えばカスパル老のみそっかすか」
「ドン・ロペス室長、失礼ですよ。アルフォンス王太子殿下の婚約者でもあります」
し、失礼ですっっ、とレミーナが口を出す前にクレトさんがすっと釘を刺してくれた。でも殿下の名前を出してたしなめたので、室内がおののきと共にざわつく。
文官出身ってほんとだったのか、とか、あの殿下の婚約者にしちゃあ庶民的だなぁ、とか、ぽろぽろ耳に入ってくる言葉が居心地悪い。
レミーナはきゅっと口元を引き締めて、胸に手を当て、文官としての礼をとった。
「レミーナ・ルスティカーナと申します。今日は養護院の人員と予算の件で教えて頂きたくこちらに来ました」
ドン・ロペス室長はレミーナを文官として扱っているから、自分も文官に徹する。
「養護院だぁ?」
太い眉を器用に互い違いにあげて、ドン室長はフンとまた鼻を鳴らした。
レミーナは一番最初に抱いた怖さを無理やり押し込めて、なるべく冷静な声を出す。
「ポステーラ養護院を訪れたときに養護する子供が増えて全員がお腹を空かせている感じだったのです。もしかしたら最初にあてがわれている予算が足りないかもしれません。また、他の養護院も同じなんじゃないかと思って」
「予算は人数に合わせて出している。一年の中で増減も見越してだ、腹を空かす道理がわからん」
ドン室長が応える声色が少し勢いのあるものから落ち着いた声になった。
レミーナはどきどきと早鐘を打つ心臓をなだめながら、言葉をつむぐ。
「そ、その予算の人数と実際に働いている人の人数が大幅に違っているかもなんです。養護院に、帳簿には見えない善良な大人が関わっているとしたら? お世話になっている人や無償で働いてくださる方にはせめてお食事を一緒に、そんな風になると思いませんか?」
ドン・ロペスという人はどんな人なのだろう。お父さまと同じぐらい身体が大きくて、威圧感がすごい。
でもクレトさんは、話せば分かる人っていっていたもの。お腹を空かせている子がいる現状を知って、なにも考えてくれない人だとは思いたくない。
レミーナは祈るような気持ちで胸に手を当てたまま、ぐぐっと見上げる。すると室長は大きな目を微かに細め、がりがりと刈り上げた頭を掻きながらチッと舌打ちをした。
「役人に感情論なんか突きつけたって意味ねぇんだよ、頭の固い奴らを動かすにははっきりした数字しかねぇ」
恐ろしく不機嫌なオーラを出しながら、ドン室長はレミーナではなくクレトさんを睨みつけながら押し殺した早口で言った。
「殿下との件、貴族のお偉方に反対されてんのか」
「ご明察。とかく古い方々は身分を尊びますので。実績を作りたいのです」
クレトさんも早口で応えている。
レミーナはきょとんとして二人を見た。
お偉方? 実績? 起案を通すのってそんなに難しいことなの……? たしか殿下は前に起案すればいいといっていたはず。
その視線に気づいたドン室長ははぁ、とため息をつく。
「当の本人は何にもわかっていないお嬢ちゃんときたもんだ」
「そこが良い所なのです。文官出身というところで押していきたい。同じ釜の飯を食べているということで一つ、お願いします」
クレトが胸に手を当て、優雅に礼をしたのでレミーナも慌てて合わせる。
「チッ、余計な仕事増やしやがって」
鼻にしわを寄せて顔をしかめたドン室長がこわいーっ!
お父さまは滅多に怒られないけれど、イライラしたらこんな顔になるのかな。そしたら私、一週間は近寄らないと思う!
そんな気持ちになりながら内心冷や汗たらたらで返答をまっていると、クレトさんがたまげた事を言う。
「それはどうもすみません?」
どこ吹く風といった感じで軽くにこりと笑いかけたのだ。
す、すごいクレトさん!
レミーナは今にも雷が落ちそうな視線に、まったく動じていないクレトさんを心の中で拍手する。
するとまた室内が、今度はさわさわと囁き声でざわめいた。
(あんなこと言えるなんてすげぇっ)
(さすが殿下の懐刀っていわれるだけあるわ)
(やべぇ、ほれるっ)
ほれる?
ぱっと見た感じ男性しかいない職場なのに? とたくさんの疑問が浮かんだ所で、ドン・ロペス室長の背中が膨れあがったようにみえた。
ピタリと物音がしなくなる。
一瞬、横目で鋭い視線を後ろに投げると、ドン室長は身体を横に向けてレミーナ達が入れる隙間を空けてくれた。
「はぁ、お前らを帰さねぇ事には仕事にならねぇなぁ。仕方ねぇ、ついてこい」
ドン室長はそういうと先に立ち、左奥の別室へと歩き出す。レミーナがちらりとクレトさんをみると、入れてくれてよかったですね、と小声でにっこりと笑ってくれた。
レミーナはこくこくと頷くと、ありがとうございます、とその背中を追う。
そんな三人を固唾を飲んで見守っている室内。
ドン室長は扉の前でピタリと足を止めると、首だけぎぎぎと振り向いた。
「お前ら、手ぇ止めていいって言ったか?」
ドン室長の声かけで、固まっていた全員の肩がぴょんと跳ねた。次の瞬間、がたがたがたっとペンを走らせる音がする。
よみがえった喧騒に、すごいなぁと思いながら先を行く大きな背中に続いて細い廊下にでると、右手に扉があり、左手に明らかに他の扉とは違う重々しい扉があった。
レミーナが目を見張りながらそちらを見ていると、後頭部から声が降ってくる。
「一応言っとくが、この厳重な扉の向こうが国庫だ。鍵は室長と王しか開けられないことになっている。頭の片隅に入れておけよ」
「は、はい」
ぱっと身をひるがえして頷くと、どうも調子狂わせやがるなぁ、とドン室長はため息をついて右手の扉を開けた。
「ここが俺の部屋だ。今後、金に困ったらここに来る事になるだろう。だかいつも出すとは限らない」
一瞬、お菓子作りの材料費の事が頭に浮かんだが、きっとドン室長がいっているのは予算の事だから、と頭をぶんぶんと横にふる。
「なんだぁ? 伯爵令嬢が金に困る事でもあんのか?」
「お家のお金になんて手をつけません! 文官のお給料は薄給なんですっ」
「それは俺も同意だなぁ、クレト殿?」
ドン室長が意地の悪い顔をしてレミーナの後ろにいるクレトさんを見たが、当の本人は私に言ってもしかたないですよぅ、と肩をすくめる。
「私だって、お二人と同じ文官のはしくれです。お気持ちはわかりますが、うーん、もしよろしければ直談判しますか?」
「え?」
「まさかここまで来るのか?」
レミーナは誰のことかわからない。でもドン室長は意外そうに目を見開いた。
クレトさんはポケットから懐中時計を出すと、そろそろだと思うのですけれどね、と金庫番の部屋にふさわしい焦げ茶色のどっしりとした扉をみる。
「図書館を出るときに護衛騎士にこちらに行く旨を伝えておきましたので」
すると、すぐにドンドンドンッとその扉がすごい勢いで叩かれた。
「し、室長っ! アルフォンス王太子殿下が、あっ! 殿下!」
おそらく先触れで連絡にきた文官を待てなかったのだろう。ドン室長が良いというまでもなく、扉が開いた。
髪を振り乱した状態で入ってきた殿下は、まだ立ったままでいる三人を確認すると、つかつかつかとレミーナに向かってきた。
あいさつをする間もなく、殿下の右手がレミーナの手を掴み自分の背中にかくす。
正確に言えば、アルフォンス殿下の背中に。
その瞬間、レミーナの後ろにいるクレトさんの身体が揺れた。ちらりと振り返ると口元を拳でおおって横を向いている。
な、なに? なにがおこったの? と殿下の身体の陰からドン室長の方をみると、室長ははぁん、と大きく頷くと、にやりと意地の悪い顔をした。
「これはこれは、アルフォンス王太子殿下。殿下がわざわざこんな所まで。何かようですかい?」
殿下の右手がぎゅっとこちらの手首を握りしめた。
え? なになに、殿下、なに怒ってるの?
別になにも、まだ話し合いにもなってないし、これからだよ?
そう右手の殿下に話しかけようとするとアルフォンス殿下の寒気がする冷ややかな声が響いた。
「ドン・ロペス室長、どういう事だ? これが私の婚約者だと知っての狼藉か?」
……ねぇ、まってどういうこと? さっきまで普通にお話する感じだったよね? ドン室長、悪役顔してないでなんとか言ってくださいっ、クレトさん、後ろで笑いを堪えてるのやめてっ
代わる代わる三人の顔をおろおろ見てもレミーナに説明してくれる人は誰もいない。
それより何より、殿下が怒っている。
怒ってる殿下は怖いのもあるけど寒いのだ、室温が氷がはれるような寒さまで下がってしまったみたいに。
「で、殿下、ブリザードおさめてっ、さむいっっ!!」
思わず袖をひっぱってそう訴えると、アルフォンス殿下は、はぁ?! とこちらを向いた。
「君は襲われそうになったのになにを言って……っまさかっ!」
「ぶふぅ!」
「どわっはっはっ」
突然、前と後ろで大爆笑が始まった。
クレトさんは腹を抱えて笑ってるし、ドン室長は腰に手を当てて豪快に笑ってる。
殿下は、やられた! 短く叫ぶとなぜかその場でしゃがみ込んだ。
右手の殿下は緊張が解けたようにきつく掴んでいた手首をゆるめて握りながらさすってくれるし、わけがわからない。
「な、なんなんですか、なにが起こってるのです? 殿下、クレトさん! 説明してくださいっ」
レミーナは当然のことを言っているのだが、カオス状態で聞いてはくれない。
「もーうっ! なんなんですか、話し合いはこれからですよー?!」
レミーナはぶんぶんと腕を振りながら訴えるのだが、その疑問に応えてくれる人はしばらく現れなかったのだった。
こんばんは、少し遅くなってしまってすみません。
ドン・ロペスさんの登場で書いていてとても楽しかったです( *´艸`)
殿下、ヒーローみたい!(←)
皆さまも楽しんで頂けますように。
なん




