32 レミーナ
レミーナはカスパル先生に見送られながら離塔を出て、十分ほど歩いて王宮の下士官用出入り口にきた。
王宮の門は貴人が使う南門と士官が使う東門とに分かれている。レミーナが普段使っているのは東門、下士官の出入り口もその門からほど近い場所にあった。
出入り口を守る護衛騎士に会釈をして入ると、まず真っ直ぐに廊下があり、右側に護衛騎士や下士官が使う部屋が続いている。
左側は等間隔に窓が並び、貴人達の馬車が並ぶ広場を見渡せるようになっていた。
ちなみに今は平日の昼間なので一台も止まってはいない。
「もしかして、ここで様子をみながら皆さん動いているのかな」
たくさん、次から次へと貴人達を迎える舞踏会、でも給仕してくれる下士官や侍女たちはあわてる事なく落ち着いて動いてくれていたのを思い出す。
今、廊下を行き交っている人もだれも走っている人を見かけない。滞りなく物事が動いているのだろう。レミーナは采配している人が良いんだろうな、と思った。
そんな普段どおりの王宮の中で、妃殿下の姿だけ見えない。
人見知りのレミーナが妃殿下を見かけたのは、一年に一回ある一般参賀と直近ではアルフォンス殿下の婚約者を決める舞踏会。
どちらもお元気そうで、凛とした印象だった。
詳しい噂なんて知らないけれど、レミーナにとって妃殿下は遠目にみる憧れの方でもある。何か困ったことになっているのなら、力になりたい、と思うぐらいに。
「やっぱり、みんな元気であってこそ、ですから!」
不穏なことは力を合わせればなんとかなると信じて、レミーナはゆっくりと歩き出した。
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レミーナがまず向かったのは勝手知ったる王宮図書館だ。突き当たりの廊下を右に折れるとすぐ広く六角の角部屋になっており、天井まである本棚が壁にそって並べられ、二階まで吹き抜けになっている。
入って左手に図書の貸し出しをするカウンター、右手には閲覧のための広い机が等間隔に並んでいる。
レミーナは閲覧側の壁にある、人が一人ほど通れるドアを開いた。その先には離塔。レミーナはあってるあってる、とほっと息をつく。
カスパル先生の助手をしていると、よく王宮図書館にお使いに出される。ありがたいことに離塔の側に王宮図書館はあり、レミーナはいつもこの細いドアから行き来していた。
「よし、迷ったらここに来れば大丈夫。そしたら離塔に帰れるものね」
頷いてまたドアを閉めると、あれ? レミーナさまだ、と後ろから声がかかった。
振り向けば鈍色の金髪の線の細い青年がにこにこしてこちらを見ている。
面識はなく、こんにちは、と伺うように応えると、あああ、すみません、と手に持っていた書類の束を机に置き、胸に手を当て丁寧に文官の略礼をされた。
「レミーナさまにはお初にお目にかかります。クレト・カサハールと申します。アルフォンス殿下のお側に仕えています、以後お見知り置きくださると嬉しいです」
「あ、昨日殿下がいっていらした……! レミーナ・ルスティカーナと申します。よろしくお願いいたします」
レミーナは一瞬、貴族と文官、どちらの礼をしようか迷ったが、今は制服も着ているので文官としての礼をとった。
「先日はレミーナさまが作られたクッキーを私たちもご相伴させて頂きました! とても美味しかったです。殿下もかなり気に入っておられましたよ〜」
にこにこしながら気軽に話しかけてくれるクレトに、レミーナは最初に感じた、誰だろう、という警戒心を解いていく。
「お味、大丈夫でしたか? 砂糖をけち……えーっと、予算の関係で庶民的なお味にしたので殿下はともかく近しい方々のお口にあったかどうか」
「ぶふっ、殿下はともかくですかっ」
さらさらの前髪を乱しながら大きく笑ったクレトにレミーナは大きく頷く。
「ええ、そもそもあの方は普段使いのケーキの余りすらも食べようとするのですよ! 最初はどきどきしましたが珍しい味がお好きなようなので大丈夫です」
「いやー、珍しい味というよりか……いやいや、これは本人の口からの方がいいですね。ともかく私たち側仕えも喜んでいるので、ぜひまた作ってください」
「あ、ありがとうございます。えーっと……がんばります」
ひょーえー! 量を増やさねばっ、と頭の中で原料のお値段を計算しつつもたくさん作れるのは嬉しい。
「今日も養護院関連の資料を探しに?」
「あっ、えー、あー、えー、そんなような感じ? です」
本当は迷わないように廊下を確認しながら昨日の現場を調べるつもりだけど、殿下の近習の方にそんな事を言ってもいいものかこれまた迷った。
そんなレミーナをみてクレトはくすくす笑うと、何をお探しですか? と尋ねてくれた。
「えーっと……実は養護院に関わっている方の人数を調べたいと思っていて。訪れて聞くのも手なのですが時間がかかるし、自分で調べた書物では基本的な最低必要人数しか書いていなかったので」
「そうでしたか」
クレトはすっと真面目な顔になり、拳を口元に当てなにか考える仕草をした。
それらしい返答を用意していたのではなく、レミーナは現場をみて時間が余ったら図書館で調べてみようと思っていたのだ。
昨日、殿下に教えてもらった案を起案しようと思うと、ルイビス王国全ての数字がいる。
とりあえず昨日開いて見ていた箇所以外にもなにか記述があるかもしれないと、もう一度同じ書物を借りて探すつもりだった。
「レミーナさま、それでしたら我が国の金庫番の所へご案内しましょうか」
「金庫番?」
「ええ、帳簿を見れば実人数がわかるかと」
クレトは頷くと、レミーナを促しながら図書館のカウンターへ向かい、手に持っていた書類を受付の司書官に預ける。
司書官も慣れたもので、今日中に取りにきてくださいよ? クレトさま、すぐ忘れるのですから、なんて軽く受け答えしていた。
クレトも、ごめんごめん忘れたらこんどご飯おごるよ、なんて受付嬢の機嫌をとっていたので、こういう事は日常茶飯事なのかもしれない。
「すみませんでした、案内します」
「あ、でも大丈夫なんですか? お仕事中なのに」
「大丈夫、大丈夫。これも私の仕事の一つです」
「え、殿下の近習の方が私のような一般文官を案内することが?」
レミーナは不思議に思い小首を傾げると、クレトは困ったように笑った。
「あー、そっちで捉えてらっしゃるのですね。えー、そうだな、美味しいクッキーを作ってくれたお礼じゃダメですかね?」
「いえ! ダメだなんてそんなっ! とてもありがたいです、できれば早く起案したかったので」
「よかった。でも早く起案したいとは?」
クレトと並んで図書館を出ながら実は、とポステーラ養護院の実情を話した。
「おそらく年初めに予算がついて食費等があてがわれていると思うのですが、養護院は人の出入りが多いので実情にあってないのではとも思っていて」
「確かに。養護院からの要望は一年に一回の要望書にて可否を審議していたかと思います。そうすると大幅に人が増えた時は少ない予算の中でやりくりしていそうですね」
「ポステーラ養護院はそのようにしていたかと思います。なので必然、食費を削らなきゃいけなくて。子供たちはお腹を空かせている感じでした」
「それは早急に対処したい案件ですね」
クレトが顔を引き締めて頷いてくれるので、レミーナも安心して、はい、と頷く。
「昨日、殿下から良い指摘を頂けたので、実人数を元に計算して今年の追加予算を配分して頂けるかと、来年度の予算を変更してもらえるかを起案したいです」
「そうですね、まずは現状をお知らせして周知し、考えてもらうことが先決ですから」
「はい!」
レミーナはクレトが肯定的に受け取ってくれたので、少し自信になった。
正直、王国の中で養護院という存在は小さな点のようなもの。レミーナも関わらなければ養護院という施設があることすら知らなかった。
でも、あまり声が届かない所だからこそ、大事にしたい。
だってどの人も同じようにお腹いっぱい食べたいと思って生きているんだもの。
温かい服をきて、お腹いっぱい食べて眠れる。せめてそれは最低限用意したい。
そうすれば、ティアのように傷ついた子を時間をかけて守れる。
レミーナはポステーラの子供たちの顔を思い浮かべながら、気持ちを新たに何度も頷いた。
そんなレミーナを微笑ましそうにみていたクレトは、さ、着きましたよ、と頃合いをみて告げた。
「ルイビス王国名物金庫番は一筋縄ではいかないですけれど、ちゃんと話せば耳を傾けてくれますから、レミーナさま、がんばって」
「え? が、がんばる?」
クレトは、はい、と楽しそうに頷くと、ノックと共に木扉のドアを開いた。
中から飛び出してきたのは喧嘩でもしているかのような怒号と数字の数々。何事かとみれば、壁に向けられた机に向かってひたすら計算をしている人々。その背中からは湯気が出てそうな熱気がみえる。
思わず一歩下がったレミーナに一番奥の机から怒声が飛ぶ。
「誰だぁノックもしねぇで入ってきた奴あぁっ!」
「ひ、ひゃい! すみませっ!!」
ぴっと思わず直立不動になったレミーナの横からクレトはするりと部屋に入った。
「やだな、ちゃんとノックしましたよ? 怒鳴りすぎて聞き取れなかったんじゃ?」
しれっと応えるクレトの声にあれだけけんけんごうごうと騒がしかった部屋の空気がしーんとなった。
え? クレトさん、まずいんじゃない? あんまり空気読めないわたしでも、まずいって分かるよっっ!!
固まった空気の中で、ほぅ? とゆらり立ち上がった人がいた。
見た感じ距離があっても背が高いのがわかる。机を離れてこちらに来るのになんでドスドスって床が鳴るの?
目の前にズンっと立たれたら部屋が見えないくらいの威圧感なんですけれど、え? この人、本当に文官?!
「ご紹介します、レミーナさま。彼が我が国が誇る〝鋼鉄の金庫番〟ドン・ロペスさん。あなたが予算を獲得しようとするならば、まずこの人を説得しなきゃ、ならないんです」
にこにこと笑う細身のハンサムとムッキムキの上腕二頭筋を見せつけて腕を組む偉丈夫を前に、レミーナはひぃぃと心の中で悲鳴をあげたのだった。
おはようございます!
またすごい人が出てきました。
レミーナ、がんばれっ 謎解きも控えてるぞっ(笑)




