24 レミーナ
グレイの家を出てみると、馬が一頭しかなかった、と殿下が眉を寄せていた。レミーナは、あ、それは、と頷いて説明する。
「馬に乗れない?」
「はい、だから殿下に乗せてきてもらいました」
殿下の記憶がすこしあいまいになってる? これも薬の効果なのかな。
レミーナは少し心配になって殿下の様子をうかがってみる。しかし殿下は、ある意味変わりなくばっさりとダメ出しをした。
「レミーナ嬢は伯爵家の令嬢だろう。そんなことでは務まらない」
「うー、はい。殿下から乗馬訓練もしろと言われています。王宮に戻ったらやりますー」
レミーナは王宮に戻ったあとのやらなきゃいけないことを思い出して、あうぅ、と思わずうなった。
「乗馬と養護院のことと謎解きにブリザード王子との交流……? けっこうきびしいと思います、殿下……」
思わずため息をつくと、殿下の右手がすっと上がってレミーナの頭をよしよしとしてくれた。
「うわっ、なにを勝手に!」
突然動きだす右手に殿下は驚いて、あわてて左手が手首をもってレミーナと引き離す。
「わっ、 右手の殿下が心配してくれたみたいですね。ありがとうございます、殿下」
「いや、私はなにもしていない。というか、なんなんだこの状態は」
右手を掴んだままこちらを睨まれても、レミーナだって詳しくは分からない。
それでもグレイの話と自分の推測のもとに、うーん、たぶんですよ? と前置いた上で話してみた。
「薬を飲む前の殿下、すごく覚悟を持っていたみたいなのです。ご自分が変わってしまうことを知っていたみたい」
「変わる? 私は何も変わっていない」
「あ! はい、そうですね。今の殿下も殿下です。どちらかというと初めてお会いした頃の殿下っぽい、かな」
レミーナは少しほほえみながら頷いた。さっといろんな事を決められて、言葉巧みに王宮の中に囲われたのがひと昔前のような気がする。
「今の殿下はご存知なさそうですが、それから結構いろんな事を話して、右手の殿下は私とちょっと仲良くなってくれた殿下なんじゃないかな」
そう言って、左手に捕まっている右手の殿下を伺うと、ぐぐっと掌をこちらの方に向けて身じろぎするように手を動かしていた。
「仲良く?」
「ええ、ちょっとだけ」
ね、殿下、と右手に微笑むと、殿下の右手はばたばたと激しく動いて左手をふりきり、レミーナの頬をむにっとつかんで伸ばした。
「でんかっ、にゃにするんですかー!」
「……おそらく不満なんだな」
「まちがっちゃこといってましぇんよー! でんか、はなしてぇ」
涙目になって手をぱんぱん叩くレミーナに、右手の殿下はしぶしぶ、といった感じで離れてくれた。
「なにが不満なのか、ひどいっ」
「あー、これが自分だという事が今ので分かった。少しだけじゃない訳だな、そしてそれがレミーナ嬢に伝わっていないってことか。不憫というかヘタレというか」
横を向き遠い目をした殿下に、右手が突然拳になって、殿下の顔をめがけてびゅっと迫る。
「わわっ、殿下なにしてるんですか!」
「図星」
殿下はひょいっと身体を後ろにのけ反り拳を交わすと、左手で右手を抑えた。
そして肩をすくめてレミーナに向きなおる。
「どちらにせよ、私は私だ。前がこうだったからといって変わりようがない。それは承知おいてくれ」
「あ、はい、前の殿下もそういっていました。私も私らしくして欲しいとも。だから私も今まで通り、殿下とお話しますね」
レミーナも大きく頷いて同意した。それに殿下は海空色の瞳を少し見開く。
「……すでに対等ということか?」
「え? なにがです?」
「いや、なるほど……承知した。貴女との関係性を心に留め置いておく。では行くか」
殿下は軽く頷くと、レミーナをひょいと抱えて馬上に乗せてくれた。
レミーナは殿下も騎乗し、動き出そうとしたところで、あっ、グレイさん、と殿下の身体ごしに振り向く。
グレイは入り口の壁に寄りかかりながら、ひらひらと手を振ってくれた。
レミーナも大きく手をふって挨拶をし、動き出した馬にあわてて体勢を整えて、グレイの森を抜けていった。
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森は行きと同じように一本道になっていた。
仄暗さを感じないのは、得体の知らない場所ではなくなったからかな、なんて思いながらレミーナはなんとか馬の動きに身体を合わせる。
途中少しだけ小雨が降ってきて、右手の殿下がレミーナに外套のフードをかぶせてくれた。頭をぽんぽんと軽く叩いてくれたのは、きっと行きに森をこわがっていた時のことを覚えていてくれたから。
じんわりと胸のあたりが暖かくなる。
しかしお礼を言おうとして、ふっとレミーナは言葉がつまってしまった。
覚えていてくれたのは右手の殿下だけど、右手にありがとうございますっていうのかな。
お顔を見ても、今の殿下ってきっと覚えていないだろうし、どうしよう。
レミーナは迷いに迷って、胸だかお腹だかにありがとうございます、と言う。すると右手の殿下はぐりぐりと頭を撫でて応えてくれ、今の殿下は黙っていた。
たぶん、今の殿下は私との距離を測っているのだろうな。
右手の殿下がいてくれるから落ち着いていられるけれど、今の殿下はまるで他人だ。
「いやいやいや、もともと他人なの! それは間違いないでしょ?」
「なにか?」
「あ、いえ、なんでもありません……」
いつもの殿下だったら、面白そうに、なんだ? って聞いてくれる。でも今の殿下と私は、会ったばかりなんだ。
殿下の反応の違いを目の当たりにして、レミーナの心はかさかさと冬の風が吹いたようになった。
行き道、目の前に見える深い緑の外套に、何も考えずに身体を寄せていた。
帰り道、今までの関係がウソのように、今は自分と殿下の間にみえない壁を感じる。
あ、だめ、落ち込んでいくっ。
「あー、うー、殿下、お願いがありますっ」
「なんだ」
レミーナは頭で考えるようにも先に、口を開いてしまった。
「左手で頭をぽんっとしてもらえませんか?」
殿下は、ぴくり、と身体を揺らした。
「……少しまて」
「あ、無理にとはいいません!」
アルフォンス殿下の硬い声に、レミーナはしまったと思った。
やっちゃった、やっちゃった、そんなの頼んじゃいけなかった。だって殿下と私は初対面なんだもの。ああ、もうっ! バカレミーナっ!
「すみません、無理なお願いをしました。ちょっと不安になってしまったというか、気分が落ちてきちゃったというか。……甘えてしまいました、ごめんなさい」
「少しまてと言った。聞こえていなかったのか? ……っとに、お前も待てッ 危ないだろうが!」
「っんむ!」
殿下は手綱を握っている右手が暴れ出したので抑える為に左手で手首を掴んでぐっと引いた。すると間に入っているレミーナは必然的に殿下の懐にぽすんと入った。
「っと、すまぬ、いや、失礼」
殿下の両手はすぐにぱっと開いてレミーナの身体を起こしてくれた。
大丈夫か? と覗き込んでくれた殿下の瞳は冷たくもなく、どちらかというと心配そうだった。
「貴女と以前の私は心が通い合っていたのは理解した。しかし何度も言うが前と同じようにはいかぬ。それによって貴女の心が揺れるのも当然の事だ。謝ることはない」
凪いでいる海の色は少しだけ前の殿下の色に似ていた。
こころ、通っていたのかな、それすら確かめる事もしないで、私は。
目の前の海空色の瞳孔が一瞬開いた。次の瞬間、ふわりとほほが包まれる。
ほろりと溢れた雫を堅い親指がぬぐってくれる。その手の優しさがどちらの手のものなのか、ぼやける視界の中、うつむいて額を殿下の胸につけたレミーナには知るよしもなかった。
おはようございます。家の桜が満開になっています。もうすっかり春ですね。
謎解き、前回よりすこし間があいてしまいました。一応自分の中では一週間に一回は更新と思っていますが、仕事が忙しいとすこし伸びてしまいます。お許しくださいませ。
そして今回ちょっとほろりでしたね。基本ほのぼのなのでうつ展開なしの気持ちでいます。
次回アルフォンス視点、部下に心配される回になりそうです。
なん




