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帝都メルヒェン探偵録  作者: 黒崎リク
第五話 浅草ハーメルン
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(6)

 白い立ち襟のシャツにサスペンダー、ズボンという動きやすくも清潔な恰好をした青年は、手を離して理人の向かいに膝をつく。


「やあ、どうも」


 青年は鳥打ハンチング帽のつばを軽く上げて挨拶してきた。短い黒髪と涼やかな目元、そして小さな泣き黒子ぼくろが露になる。

 いかにも爽やかな好青年といった態と、帽子を上げる仕草に、理人は見覚えがあった。


「君は、乙木サロンの……」


 理人が乙木サロンを訪れた際に、いつも挨拶をしてくれる庭師の男だ。サンルームの近くの庭園を手入れしている彼と、何度か話をしたことがあった。

 理人が覚えていたことに、青年は少し驚いたようだ。「ああ、覚えていたんですか」と軽く目を見開いた後、青年はカホルに手を伸ばす。


「カホルさんを寄越して下さい。俺が介抱します」

「だが……」

「あなたには無理ですよ。だってこの子のこと、何も知らないでしょう?」

「……」


 指摘を受けて、理人は一瞬返答に詰まった。その隙に、青年はカホルをさっと奪い取ってしまう。

 まだ震えの止まらないカホルは、ぎゅっと体を丸めて青年にしがみついた。縋るその手を青年が握る。


「……大丈夫。俺です、ノブキですよ。安心して下さい」


 幼子に言い聞かせるように、優しく青年が囁く。


「俺の声だけを聞いて下さい。ゆっくり息をして……そう、ほら、ちゃんと息ができるでしょう。もう苦しくありませんから。目を開けて大丈夫ですよ、ここは外です」


 青年の声に導かれ、カホルの呼吸が深くなり、身体の震えが少しずつ治まっていく。やがて瞼がわずかに開くが、すぐに閉じてしまった。

 呼吸が落ち着いたのを見計らって、青年はカホルを抱え上げた。理人や一谷に比べれば背は低いが、そこらの男性よりも力はあるようだ。


「おい、君、その子をどうする気だ」


 カホルを連れていこうとする青年を一谷が引き留めようとする。青年はくるりと顔だけ振り向かせて言った。


「安心して下さい、一谷さん。俺はこの子の……そうですね、世話役のようなものです」

「ちょっと待て、なぜ俺の名前を知っているんだ」

「ああ、申し遅れました。俺は高倉たかくらです。……高倉淑乃たかくら よしの、ご存知ですよね?」


 知った名前が出てきて、理人と一谷は思わず青年の顔を見る。

 細面の顔、涼し気な目元は、乙木ビルの管理人である女性――高倉淑乃にどことなく似通っていた。


「淑乃の兄です。高倉伸樹たかくら のぶきといいます。どうぞよろしく」


 淑乃女史とは異なり、にこりと愛想良く笑う青年――伸樹は、理人と一谷に一礼した。



***



 伸樹はカホルを抱えて、近くのひょうたん池まで運んだ。喧騒から遠ざかった中で、伸樹はカホルを人気のない長椅子ベンチに下ろす。

 襟を少し緩め、額の汗を拭いて、茶屋でもらった水を飲ませる――手慣れた伸樹の世話の甲斐あって、カホルは今度こそ気が付いたようだ。

 ゆっくりと瞬いた目が焦点を結び、伸樹を見て驚いたように見開かれる。


「……のぶき……?」

「はい。五日ぶりですね、カホルさん」

「どうして……」


 眉を顰めるカホルに、伸樹は微笑む。


「淑乃から頼まれたんですよ。あなたの体調が悪そうだから、見守ってくれないかと。聞きましたよ。ここ数日、あまり寝れていないそうですね」

「……」

「よりにもよって、浅草ですか。こんな人の多い所に連日来て、しかも暗くて狭い活動小屋に入るなんて、そりゃあ体調も悪くなりますよ。あなたは馬鹿ですか」


 微笑みながらの伸樹の言葉は辛辣だ。カホルの眉間の皺は深くなるが、言い返さないところを見ると、図星を突かれたのか。

 カホルは渋面のまま、伸樹の手を払って起き上がろうとする。子供の癇癪など気にしないというように、伸樹は意に介した様子もなく、カホルが起き上がるのを手伝った。

 長椅子に座ったカホルの顔を覗き込み、苦笑した伸樹が言う。


「あまり淑乃に心配をかけさせないで下さい。ご自分でもよくわかっているでしょう、あなたは普通の身体じゃないってこと――」

「伸樹」


 カホルの咎める声に、伸樹は軽く肩を竦めた。


「……ああ、そういえば彼には秘密なんでしたね」


 伸樹はちらりと横目で理人を見る。わざとらしい仕草であった。

 ちりっ、と理人の胸がざわめく。その感覚の正体を知る前に、伸樹はカホルの白い頬に手を当てた。

 起きたとはいえ青白い顔をしたカホルに、伸樹が言う。


「それより、今日はもう帰りましょう。ビルまで送りますから」

「……まだ帰れない。子供達を探さなくちゃ」

「無茶を言わないで下さい。そんな顔色で何ができるんです」

「でも」

「でもじゃありません。これ以上無理をするようなら、旦那様や奥様に言い付けますよ。勿論、ご兄弟の皆様にもね。そうなれば、あなたを連れ戻そうとしますよ。特にケイスケ様は」


 ケイスケ、という名前にカホルがぎゅっと唇を噛む。カホルと伸樹は、しばらく無言で見つめ合う。やがて、カホルが小さく頷いた。


「わかった、今日は帰るよ。……でも、明日、また浅草ここに来る。子供達がいなくなる理由がわかったんだ」

「……カホルさん」


 頑ななカホルに、伸樹が呆れた息をつく。


「だったら、警察に理由を話して後は任せればいい。ほら、ここにちょうど一谷さんがいるでしょう」


 笑みを消した伸樹が顎を振って、一谷を示す。名指しされた一谷は戸惑いながらも、うんと頷いた。


「高倉君の言う通りだ。子供達を探すのは我々の役目であるから、後は任せなさい」

「いいえ、駄目なのです。これは警察、いえ、大人では見つけることができません。そこに辿り着くには、子供……笛の音が聞こえる者でないと」

「ふ、笛?」


 何を言っているんだ、と一谷が不可解な顔をする。

 しかしカホルはそれに答えずに、伸樹の腕を掴んだ。真剣な表情で頼み込む。


「お願い、伸樹。協力してほしいんだ」

「……話によります。でも、その前に約束通り帰りますよ」


 伸樹がもう一度溜息をついて話を切ると、カホルを抱えようと腕を回す。ふと、その時偶然に、顔を上げたカホルと理人の目が合った。

 カホルはパッとその目を逸らし、肩に回った伸樹の腕を押し返す。


「ひ、一人で歩けるよ」

「はあ?何を今さら恥ずかしがっているんですか」

「いいから、大丈夫だから」

「大丈夫じゃないでしょう。ほら、大人しくして下さいよ」


 気心知れた会話を交わすカホルと伸樹を見ながら、理人は胸に宿るざわつきが不快感であることを自覚した。

 同時に、何故不快感を抱くのか、自分でも理由がわからずに困惑する。


「……」


 妙な苛つきを覚えながら、理人はカホルから目を逸らした。



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