■水母は揺蕩う
登場人物:ティユイ、キリ、ルディ、ユミリ
河童社製造の輸送艦音羽。名前通り軍の物資を運ぶために利用されていた艦を民間に払い下げしたものである。
その乗員は三人。今日から一人増えることになっている。
貨物室にはキリとルディの姿があった。二機の人機は並列に横たえられてハンガーで固定されている。
人機を運搬する際は横たえて固定した上で特殊な車両が使われる。ここから荷台を垂直にジャッキアップして機体を直立させることも可能である。
通路は狭く、大人一人だけが通るのがやっとだ。なので、ルディを先頭にキリが続く形で歩いている。
「この状態だとクエタの海に出ても出撃できないよな?」
「輸送艦だからな。与圧室がないと海の水を入れるスペースがない」
それがないと人機を出撃させる際にクエタの海が貨物室まで海水の浸入を許すこととなる。
「一番事故が多いシークエンスだ。俺やキリとユミリで行うには経験が少なすぎる。数年前もアークリフ国の王女を乗せた艦が沈没した事故があっただろう。その時も与圧シークエンスの手違いだったと聞く」
「怖いこと言わないでくれよ」とキリは顔を引きつらせる。
「クエタの海はただの海水じゃないのは知っているだろう。俺たちは触れれば海と同化してしまう」
「貨物室は最悪切り離せるんだから大丈夫だろう。いちいち不安がってちゃ航海なんてできないよ」
「事故率は一パーセント以下だ。よほどのことがない限り起こらん」
二人が立ち止まると二重扉が縦と横にそれぞれ開く。
「待っとうたよ」
ユミリが座ったまま歓迎する。その横にはティユイが何とも居心地悪そうにちょこんと座っている。
「どうしたんだ?」とキリがティユイに訊ねる。
「案外狭いなぁって。……あはは」
ティユイは頬を掻く。
「ただでさえ狭い艦内に居住空間も併設されているからな。操舵室なんかも狭いのさ」
「累先輩もいたんですね」
ティユイは驚いた様子で目を丸くする。
「申し遅れたが、俺がティユイ皇女の救出作戦の現場指揮をしているカナヒラ・ルディだ」
自分を皇女などと呼ばれてティユイは首を傾げている。これからゆっくり話をすればいいだろうとルディは判断して、とりあえずやるべきことを進めることにした。
「ユミリ、船員は全員揃った。いつでも出してくれ」
「了解。ルディとキリは席について。これから管制室に連絡を入れるから」
ルディとキリが席に座ると、それぞれの座席からベルトがでてきて席に固定される。するとユミリが右手のマリモで操作をはじめる。ティユイはそういえばとここで気がつく。
テレビとかでよく見るような操作盤のようなものがないのだ。おそらく操作のすべてがマリモに集約されている。つまり視界の前方に広がっているのは映像パネルであり、操作盤などを置かなくていいようにスペースを省くことに成功しているのだろう。
それでも隣に座っているユミリとは少し動けば膝が当たりそうなくらいである。
『こちら管制室です。出港ですか?』と男性の管制官が目の前に映しだされる。
「はい。輸送船音羽の積載は完了しました。乗組員も全員揃っています」
『提出された名簿を確認します。……船長はカザハネ・ユミリ様ですね。乗員の確認をします――たしかに確認しました。これより出港の手続きをはじめますがよろしいでしょうか?』
「お願いします」
「友美里先輩が船長なんですね」
ティユイはユミリに感心した様子である。
「何かするわけやないからね。ただの代表者ってだけで名義貸しみたいなものやよ」
単純にこれは消去法であった。実務隊としてのルディとキリに対して、ユミリは後方支援が主体である。そのため操船の際に発生する手続きもユミリの仕事になっていた。
「それでも船長なんて格好いいですよ」
「褒めてくれてるんやと思うから、ありがとうって言っておくわ」
『出港手続き完了しました。もう出港なさいますか?』
「はい。本船はこれより出港します」
『了解。では、よい航海を』
「ありがとう」
ここまでは挨拶のようなものだ。それから管制官が話をしてくる。
「回顧都市での服装ですか?」
ユミリたちが着ている制服のことを言っているのだろう。
「はい。着替える間もなくて……」とユミリは苦笑いだ。
『素敵な格好ですよ。機会があるなら私も着てみようかと』
「ありがとうございます。でも、これって十代のときにだけ着れる服みたいですよ」
『そうなんですか? となると、コードに引っかかるな……』
長話しすぎたことに二人は気がつく。
「あら、お若いようですからまだ大丈夫だと思いますよ」
『褒め言葉と受け取っておきますよ』
ユミリと管制官は互いにクスリと笑う。
『引き留めてすみませんでした。改めて、よい航海を』
「ありがとう」とユミリが返答して通信が切れる。
「さて、あとは自動操縦に切り替えてと……」
「自分で操縦しないんですか?」
「始点から終点まで行くだけやからね。それと自分で操艦なんてほとんどやらんと思ってええよ。よほどの非常事態が起こったときだけや」
船の固定具が外れて少し揺れて、桟橋から離れていく。
「空の旅じゃなくて船の旅なんですねぇ」
それから船が海中に沈んでいく。そこでティユイは「ん?」と首を傾げる。
「ひょっとして潜水艦なんですか?」
「そうや。これからゆっくりと潜水していって、水母の外に出るねん」
ティユイは「くらげ?」とつぶやいて首を傾げる。
そうしている間にもあたりの景色は水中へ、下へ下へ向かっている。水面がまだ近いおかげか上部を見あげると魚やらイルカだろうか泳いでいる。
そういえば上部や下部の一部から外の景色が映りこんでいることに気がつく。
「これって映像か何かですか?」
「そうや。この部屋――便宜上は操舵室になっとるけど、一面を映像にもできるよ」
――どうする? と聞かれたのでティユイは首を横に振って「遠慮します」と答えた。
「ならええけど、クエタの海に出るまでは席を動けへんからね」
また知らない単語が出てきたとばかりティユイは眉根を寄せて、それから顔を下へ向ける。
すると足元が吸いこまれるのかと思うほど真っ暗であるが、底の方から一点だけ明かりがぽつりと灯っている。気のせいかと思って目をこすったがそんなことはなかった。
透明な膜のようなものが開いて、それが音羽を包みこんでいく。するとティユイは体に浮遊感を覚える。実際、髪の毛もふわりと浮きあがった。気のせいなどではない。
「水母の口付近が重力の中心域やからね」
「口の中は無重力で真空になっとるんよ」
「あの、口の中って……」
音羽は下降していくと、また海の外に出たことがわかった。しかし先ほどまでいた海とはあきらかに違う。それから触手のようなものが幾重もその海を揺蕩っていることに気がつく。
「私らは巨大な水母の中に住んどるんよ」
ティユイはケイトから徐々に離れるに従って、あまりに巨大な水母の姿を目を奪われる。
どこが光源かわからない海がどこまで明るく照らされている。その水母は一匹などではなく、遠くにも泳いでいる姿があった。しかし、それ以外の生命の姿は見当たらない。
海底はどこで。
海面はどこか。
それさえもわからない。
世界は水母の揺蕩う海となっていたのだ。
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