番外編 第1話 帰省
ご覧いただき、ありがとうございます。
本編終了時よりも時が遡ります。72話と73話の間の出来事です。
九月八日の土曜日。
わたくしは実家のバレ公爵家へと向かう馬車に揺られていた。
というのも、先日アルベルト陛下から宰相であるお父様と一度きちんと話しておいた方が良いと仰っていただき、ご厚意に甘えることにしたからだ。
「妃殿下の帰省にご同行させていただけて、嬉しいです」
向かいの席に腰掛けるオリビアが、穏やかな表情でそう言った。
オリビアは元々わたくしの実家であるバレ公爵家が雇用していた侍女であり、オリビアにとっても馴染みのある場所なので訪ねるのを心待ちにしていたのかもしれないわ。
「ええ。結婚してからは初めて帰省するので、とても久しぶりね。皆元気かしら」
「はい。きっと公爵様をはじめ、皆様、妃殿下にお会いできるのを心待ちになされているかと思います」
「……ええ、そうなら良いのだけれど」
意識はしていなかったけれど、自分が発した声に力が無く感じた。それも無理もないのかもしれない。
何しろお母様はともかく、お父様とお話しをするのはとても勇気が必要だから……。
わたくしの不安が伝わったのか、オリビアの表情も曇っているように感じる。
このままでは暗い気持ちのままお互い実家に戻ることになるかもしれない。そうなると滞在中も快く過ごすことができなくなる可能性もあるし、ここは何か明るい話題を切り出して少しでも気分を和ませなければ。
「そういえばオリビアは、近頃バルケリー卿とは会っているのかしら?」
瞬間、窓の外わたくし眺めていたオリビアがわたくしの方に視線を向けた。その目は大きく見開き驚いているように見える。
「……妃殿下、わたくしはどこまで妃殿下にカインとのことをお話をしましたでしょうか」
瞬く間にオリビアの頬が赤くなり、両手で自身の頬を挟み込むにように触れた。
「そうね、確か『以前のお礼のために一緒に街で食事をする』と言うことは聞いているわ」
「そうでしたか。まだあのお話はしていないのでしたね」
「まだ……?」
しまったというような表情をして、オリビアは再び窓の外に視線を移した。
食事をこれからするという話がまだなのなら、今はそれ以上の関係なのかしら……? そうだとしたら、とても微笑ましいことだわ。
ここは誤魔化さずにストレートに訊いた方が良いわね。
「オリビアはひょっとして、バルケリー卿から交際の申し出を受けたのかしら?」
瞬間、オリビアの動きが止まり口元がやや引き攣っている。
何かしら……。戸惑っているとも喜んでいるとも受け取れる表情なので、当たっているのか間違っているのか判断がつかないわね。
「…………はい」
しばらく返答が無かったので何気なしに窓の外を眺めようとしていたら、小さな声で返答があった。
「やはりそうなのね! とても喜ばしいことだわ。それでその……」
経緯を教えて欲しいと言いかけて言葉を飲み込んだ。余りにも踏み込んだ質問かと思ったから。
わたくしが口をつぐむと、代わりにオリビアが口を開いた。
「……先週の週末に一緒に街へ赴き食事を摂ったのですが……」
「その際に告白をされたのね」
「…………はい」
ああ、この間侍女のマリアに借りて夜にこっそり読んでいる恋愛小説の物語のようね! そしてとても続きが気になるわ。
「ただその、まだ私は返事をしていないのです」
「あら、それは何故かしら?」
思わず意外に思って語気を強めてしまったけれど、オリビアはあまり動じていないようだった。
わたくしがこのような反応をすることは予め予測を立てていたのかもしれないわ。
「……それは……」
オリビアが口を開こうとすると、丁度馬車が停車し寸秒後に御者が扉を開いたので、オリビアは小さく咳払いをしてから立ち上がり、わたくしの手をとった。
「妃殿下、こちらへどうぞ」
「ありがとう」
先程の会話が中断されてしまったわ。
オリビアが何を言おうとしていたのかがとても気にかかるので、馬車のステップをゆっくりと踏みながら御者には聞こえないようにできるだけオリビアの耳元に「後で続きを聞かせてね」と囁いた。
オリビアは小さく頷いたけれど、何かを考えこむような表情をしながらわたくしのトランクを馬車から下ろしたのだった。
◇◇
馬車から降り身支度を軽く整えて、オリビアと近衛騎士のフリト卿と共に公爵邸の玄関まで移動し扉の付近に取り付けられた魔宝具のベルを鳴らした。すると、寸秒後に速やかに屋敷の扉が開かれた。
「王妃殿下、ようこそおいでくださいました」
「ジャック、久しぶりですね」
「はい。長旅でお疲れでしょう。まずは応接間にご案内致しますのでごゆっくりとお過ごしください」
「ありがとう」
わたくしたちを出迎えたのは、公爵家の家令のジャック・エバンスだった。
彼の頭髪は白髪で、口元にも同じ立派な白髪の髭を蓄えている。普段から背筋がピンと伸びて隙が殆どないのだ。
ジャックとも嫁いでから今日まで会っていないので会うのはとても久しぶりだったけれど、変わりがないようで安心したわ。
玄関ホールにはジャックの他に、公爵家に仕える侍女や侍従、従僕ら十数名の使用人たちがホールに敷かれた赤い絨毯を挟むように並んで立っているけれど、皆のその表情は笑っているようでその実そうではなかった。
思い出した。実家では、普段皆からこのような表情を向けられていたのだったわ……。
玄関ホールから進み、突き当たりの応接間へと案内されると上座の一人掛けのカウチに腰掛けた。この屋敷に住んでいた頃はこの席に座ったことは無かったので、新鮮で不思議な感覚だった。
「こちらに滞在中は、フリト卿とオリビアには来客用の客間が割り当てられる予定だったわね」
「はい、左様でございます。ご配慮をいただきまして誠にありがとうございます」
初めて訪れた場所だからか、部屋の隅で綺麗な立ち姿勢で待機をしているフリト卿の表情が、普段よりも少しだけ緊張しているように見える。
「こちらこそ、今日は私事に付き合っていただきありがとう」
「勿体ないお言葉でございます」
そう言ってフリト卿は少し表情を和らげたけれど、隣に立つオリビアの表情は少し沈んでいるように見えた。
もしかしたら、オリビアも緊張をしているのかもしれないわ。
「オリビア、もしよかったら食事を摂ったら休憩時間にするので、その間に屋敷の侍女に挨拶をして来たらどうかしら」
「よろしいのですか?」
「ええ。オリビアにも会いたい人たちがいるのではないかしら」
オリビアは表情を少し和らげたけれど、すぐに引き締めて小さく頷いた。
「はい。それではお言葉に甘えましてそのようにさせていただきたいと思います」
一礼してからそう言ったけれど、オリビアまだ何かを言いたそうだった。
「……妃殿下に快くお過ごしいただけるように、わたくし尽力しますので」
「それはどのような……」
トントン
意味なのかとわたくしが言いかけると、丁度扉がノックされたので、最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
「どうぞ」
「失礼致します」
家令のジャックが扉を開けると、一呼吸おいてからゆっくりとした足取りでこの屋敷の女主人であるアンナ・バレ公爵夫人が入室した。つまりわたくしのお母様だ。
わたくしはすぐに立ち上がり、辞儀をした。
「セリス、お久しぶりですね」
「お母様におかれましてはお変わりがないようで安心致しました」
「ええ、貴方も」
それからお母様は対面する一人掛けのカウチに腰掛けると、わたくしにも腰掛けるように促した。
「貴方が訪れる報せをミトスにも送ったところ、寄宿舎から許可を得て、こちらに戻って来ているのですよ」
「あら、左様でしたか。ミトスにも会えるのですね」
それは初めて聞くことだったので少し驚いたけれど、とても嬉しいわ。
「はい、後ほどこちらに呼びますね」
こうして、わたくしはお母様と結婚してから初めて対面し会話をすることとなった。
お読みいただき、ありがとうございました。
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