第58話 魔術の実技
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休憩時間が終わると、ルチアが速やかに教室に入室した。
「それでは、これから実技を行いたいと思いますので、これから中庭へと移動していただきます」
「中庭ですか?」
「はい。なお、雨天の際は別棟の校舎の一室を使用します」
「分かりました」
ルチアは小さく頷くと、コホンと咳払いをした。
「加えて、実技では補佐としてアフレ講師も妃殿下の講師として付きますので、よろしくお願い致します」
補佐の講師の方がいらっしゃるのね。どのような方なのかしら。
「分かりました」
わたくしが頷くと、ルチアは早足で出入り口の扉を開き、寸秒後に群青色の髪を頭上で束ねた小柄な女性を連れて戻って来た。
女性は教壇まで歩みを進めると、わたくしの方に身体を真っ直ぐに向けて綺麗な姿勢で辞儀をする。
「王妃殿下に、お初にお目にかかります。わたくしはレイチェル・アフレと申します。以後お見知りおきを」
「アフレ先生ですね。こちらこそよろしく頼みますね」
「はい」
レイチェルは少女のような邪気のない笑顔で頷いてくれた。
そのような表情をするので、それぐらいの年齢の方なのかと思ったけれど、背筋を伸ばし改めてこちらを向いた姿を見ると、二十代前半ほどに見受けられるルチアよりも歳は重ねていそうな雰囲気ね。
これまではルチアと二人だけの授業だったけれど、レイチェルが加わったことによってより学園で授業を受けているという実感が湧いたわ。
◇◇
それからわたくしたちは中庭へと移動をし、早速実技実習を行う段取りを整えた。
中庭は数百名程の生徒が一堂に会しても余裕があるほどの広さで、庭師の手できちんと手入れが行き届いているのか、地面には生き生きとした芝生が全面的に張られている。
その中央に設置された煉瓦で仕切られた花壇には、ユリの花やグラジオラスの花々が咲いていてわたくしの心を和ませてくれた。
更に、わたくしたちは中央の噴水の近くまで移動をすると、ルチアが目前に木製の長い棒のような物を差し出した。その先端に透明な石が取り付けられているようだわ。
「妃殿下、これから実習ではこちらの杖をお使いください」
「杖を使用して行うのですね」
「はい」
それを両手で受け取ると、それは見た目よりも軽く感じた。杖は初めて手にするのでその構造などを確認していると、レイチェルが口を開く。
「妃殿下。こちらは初心者用の杖でして、これから膨大な魔力を操作する訓練を始めたいと思います」
「分かりました」
そしてレイチェルは穏和な表情のまま、少しだけ切り出しづらそうに続けた。
「妃殿下がこの度当園でお学びになる目的は、私生活に支障がきたされないように魔力操作を習得なさることだったかと思います」
「ええ、その通りです」
「ですので、これからは特にそのための訓練を中心に行っていきたいと思います」
「そうなのですね、分かりました」
今度はルチアが切り出した。
「それでは妃殿下。早速実技を始めさせていただきたいと思いますので、まずは噴水の近くまで移動してくださいますか」
「分かりました」
噴水に近づくと、ルチアとレイチェルも初心者用の杖を両手で握り、先端を噴水の水面に近づける。
「噴水は当然ながら水が循環しているために常に飛沫が飛んでいたり、波紋が立っていますが、これから私がその水面を何も立たせない状態にします」
何も立たせない……。
「失礼ですが、それは物理的に不可能と存じますが」
「ええ、通常ならそうでしょうが、ともかくお見せしますので」
ルチアが小さく頷くと、レイチェルが両手を伸ばして杖を噴水の水面に翳した。
「水面よ、世の中の条理から一時的に外れよ」
すると、レイチェルの全身が青白く発光し、次の瞬間には水面から飛沫や波紋が一切消え、ただ静かな水面だけが目前にあった。
──今でも噴水は循環を続けているのに関わらず、静かな水面であるのだ。
「これは魔力を体外に放出する訓練でして、妃殿下にはおよそ一ヶ月の間で身につけていただきたいと思っています」
「……分かりました。精一杯努めさせていただきます」
一ヶ月……。果たしてわたくしは魔術を身につけることができるのかしら……。
いいえ、今はともかく行動あるのみだわ。
「それでは、まず水面に杖を両手で握り翳してください」
「はい」
レイチェルに促されて杖を水面に翳した。
「次に目を閉じて大きく息を吐き、『水面よ、世の中の条理から一時的に外れよ』と言ってください」
「分かりました。…… 水面よ、世の中の条理から一時的に外れよ」
途端に身体全体が熱くなったけれど、すぐに脱力感が襲ってきた。
これはもしや一回目にして魔術が成功したのかと思い目を開くけれど、水面は変わらず波紋を立てていた。やはり最初から上手くはいかないわよね。
「……一回目でここまでとは、流石ですね」
ルチアは息を呑みながらそう言った。
「特にわたくしには、何も変化がないように見えますが……」
「いいえ、我々の目には妃殿下の纏う魔力が、一気に一部分に集中していくように見えているのです」
「そうなのですね……」
変化がわからないので、二人が興奮していてもいまいち共感し切れないけれど、ともかく見込みはありそう、なのかしら……?
「それではもう一度お願いします」
「はい」
その後、実技の時間中は噴水の水面に杖を翳し続けたけれど、際立った変化は確認することはできなかった。
ただ、講師の二人は時を経るほど熱度が高まっていたように感じたけれど、ともかく今日は目立った成果がないまま実技の時間を終えた。
「それでは、明日もよろしくお願いします」
「はい、心からお待ちしております」
学園の玄関で、学園長やルチアとレイチェルに見送られながら馬車に乗り込み帰路へ就いた。
「妃殿下、本日は誠にお疲れ様でございます」
「ティア、ありがとう。初日はやはり緊張しますね」
「左様ですね。ただ、わたくしの目には妃殿下はとても落ち着いているように見えます」
「そうですか?」
「はい」
そう言って穏やかに頷くティアに励まされながら、王宮へと戻ったのだった。
それからしばらくは、初日と同じように座学と実技を学ぶ日々が続き、特に実技の方は目に見える成果は得られていないように思うのだけれど、講師の二人は満足そうに頷き合っていた。
そうして、わたくしは初週を魔術学園で穏やかに過ごすことができたのだ。
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