第26話 治療魔術
ご覧いただき、ありがとうございます。
ルチアが小声で何かを呟くと、たちまち床に記号のような物が描かれた円形の光が現れた。
「光の恩恵の制限を解除します」
フリト卿の剣の柄に手を翳し、発光したと認識した矢先に光は消えていたけれど、すぐにフリト卿が声を上げた。
「魔宝具が反応しています」
「その手の魔宝具は、自動で対象者を感知する機能が付いていますからね。今すぐ使用してください」
「心得た」
フリト卿は剣を鞘のまま取り外すと、柄をデービス夫人に対して向けた。
すると、たちまち先程よりも眩い光が夫人を包み込み、それはスッと彼女の中に消えていった。
凄い……。これは治療魔術の光なのね。見ているだけでも温かい気持ちになる。
夫人は先程まで苦しんでいたけれど、光に包まれた途端、呼吸は規則正しいものに変わり落ち着いて眠り始めた。
……よかった。
「治療魔術は本人の治癒能力を高めるもので、あくまで対処療法に過ぎませんので、きちんとお医者様に診せてくださいね」
「ええ、必ず」
思わず涙が出たので、ハンカチで拭った。
人の温かさに触れることができたからか、……心が震えたように感じた。
「それでは、私はこれで失礼します」
「ルチア、本当にありがとうございました。やはり報酬をお支払い致しますので、帰る前に侍女から受け取ってくださいね」
「……分かりました。王妃殿下につきましては、ご配慮をいただきありがとうございます」
ルチアは深く礼をし、しばらくすると身を正して表情を和らげた。
「市場で買い物をしていたら、侍女の方が魔術師を探していらっしゃたのがどうにも気になったのです。事情を聞いたら何かお役に立てればよいなと思いまして。まあ、王室の騎士様なら誰かしら治癒系統の魔宝具を持っているだろうと思っていたので、実際にそうであってホッとしています」
ルチアは苦笑し一礼すると、素早い動きで扉の前まで歩みを進めたけれど、ピタリと立ち止まってこちらの方を向いた。
「王妃様。あなたはご自身のことをよくご理解していますか?」
わたくし、自身のこと……?
「何のことでしょうか」
「やはり。今まで魔術に実際に触れたことはないのですね」
「……ええ。わたくしには、魔術の才能は無いと幼き頃に魔術師様に言われましたので。魔術の本も実家には殆ど置いていなかったので、街の図書館等でたまに目にする程度でした」
それもお父様に知られてしまうと大変ご立腹になられるので、あまり読むことはできなかったのだけれど……。
「あら、それは相当……。いいえ、何でもありません。それでは失礼致します」
「はい。誠にありがとうございました」
退室したルチアを見送ると、何かわたくしの中で得体の知れない感情が湧き上がって来た。
わたくし自身のことを理解、している? どういうことかしら……。
その言葉はとても気になったけれど、今はともかく、デービス夫人のことを何よりも優先するべきだわ。
デービス夫人はその後、近衛騎士と侍女に連れられ無事に到着したお医者様に事情を伝えて診ていただいたところ、出血も無くお腹の張りも落ち着いているので問題は無いだろうとのことだった。
ただ、もし治癒魔術を使用していなかったら、出血をしていた可能性もあるだろうとのことだったので、ルチアが来てくれて本当によかった。
「妃殿下。今日は本当にありがとうございました。加えて申し訳ありませんでした」
「いいえ、お気になさらないでください。それにお医者様のお話では、出産前にはよくあることのようですから」
「ですが、出産前だというのにでしゃばってしまったから、皆さんにご迷惑をおかけして……」
そのように気に病まなくても、大丈夫なのだけれど当事者はそうもいかないのよね。その気持ちは痛いほどよく分かるわ。
何しろ、わたくし自身も幼き頃から虚弱体質で、今まで何度も約束を反古にしたことがあるから。
不可抗力なこととはいえ、周囲の方には申し訳がないと思うのだ。
「あなたの行動は、間違いではないとわたくしは思います。無事にご出産をなされることをお祈りしています」
「……はい、ありがとうございます」
そう言って涙ぐんだ夫人を見ていると、今日市井を訪れ人々と触れることができてよかったと改めて思った。
◇◇
その後、デービス夫人を彼女の家族が迎えに来るまで修道女たちに見守りを託し、わたくしは近衛騎士や侍女たちと教会を後にし馬車に乗り込むために広場へと向かった。
するとふと、先程に炊き出しを行っていた場所で撤退作業を行っている様子が視界に入った。
王宮へ戻る前に、ケリー夫人に声をかけた方が良いわね。夫人は何処かしら。
「王妃殿下!」
夫人を探していたら、後方から聞き覚えの声が聞こえた。
「ケリー夫人」
振り返ると、丁度ケリー夫人がスカートの裾を両手でたくし上げてこちに駆け寄って来た。よかった、まだ帰宅されていなかったのね。
「妃殿下、本日は誠にありがとうございました! 一都民をあれ程まで献身的に看病をしていただいたご恩は、一生忘れません。デービスさんのご家族にも、くれぐれもよく伝えておきますので」
「いいえ、わたくしは大したことはできていないのです。実際のところは……」
すんでのところで、言葉を紡ぐのを止めた。
そうよ、ルチアのことはあくまでこちらが要請し彼女の善意あっての行動なので、ルチアはあまり不用意に自分のことを語られたくないのかもしれない。
いずれにしても、無責任に彼女のことを言い回るのは良くないわね。ここは、慎重に言葉を選ばなければ。
「周囲の者が機転を利かせてくれたのです。わたくしは神に祈るのみでしたが、皆のおかげで、どうにか大事に至らずに済みました。感謝を致します」
「いいえ、妃殿下。それでもわたくしたちは、妃殿下の懸命なご判断に救われたのです。妃殿下が、近衛騎士や侍女の方にお医者様をお連れするようにお命じにならなければ、わたくし共だけでは馬に乗れる者もおりませんでしたし、難を乗り切ることができなかったと思います。誠にありがとうございました」
そう言って深く辞儀をするケリー夫人を見ていると、過分な評価とも思ったけれど胸に熱く込み上げてくるものを感じた。
加えて、何か言葉を返そうとしても嗚咽になり、上手く紡ぐことができないでいた。
「……こちらこそ、本日はありがとうございました。また、必ず炊き出しに参加をさせていただきますので、その時はよろしくお願いしますね」
「はい。わたくし共は妃殿下のお越しを心よりお待ちしております」
今度は涙が込み上げてきたけれど、なんとか堪えて馬車へと乗り込んだ。馬車が発車した後も、ケリー夫人をはじめ、炊き出しに参加をしていたご婦人方、加えて老若男女、広場中の人々がわたくしに向かって手を振ってくれている。
思わず一筋の涙が溢れた。その涙をハンカチで拭いながら、わたくしはどうにか手を振り返した。
今日は、少しでも人の役に立つことができたのかしら。そうだったら、どれほど有り難いのだろうと思うけれど、これからはより民の役に立っていきたい。
馬車に揺られながら、しばらくその気持ちを噛み締めた。
お読みいただき、ありがとうございました。
次話もお読みいただけると幸いです。
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