鬼師匠
その後、父は約束どおり私に剣の師匠をつけてくれた。
赤い髪が麗しい師匠は、結婚して引退した女騎士。なんと現役時代は、王妃の護衛もしたくらいの実力者らしい。
名前は、フラン・スカル。二男一女を出産後、そろそろ外へ働きに出たいと職を探していたそうだ。
さすがお父さま。騎士になることには反対でも、娘につける教師には最高の人材を選ぶあたり、親馬鹿が突き抜けている。
「――――夫は領地を持たない士爵でね。一代限りとはいえ爵位があるから、付き合いやらなんやらでお金がかかるのよ。三人の子どもの養育費も馬鹿にならないし、夫の給金だけでは食べていけなくて。……幸い義父母が元気だから、子どもたちの世話はそっちにお願いして、私は冒険者にでもなろうかと思っていたの」
あっけらかんと語られる内容は、実に世知辛い。下手に爵位なんてもらわない方がよかったのにという夫への不満が、言葉の端々に聞こえるようだ。
「……たいへんなのですね」
「ええ。だからリシャーク男爵にお声をかけていただけてよかったわ。冒険者は、収入が不安定だし、定時に帰るってわけにもいかないから」
それ以前の問題として、危険だと思う。それとも王妃の護衛騎士ともなれば、冒険者なんてアルバイト感覚でこなせるものなのだろうか?
「お父上には、適当に稽古をつけてくれればいいと言われているんだけど、あなたはどうしたい?」
師匠は、どこか楽しそうに聞いてきた。
「基礎からしっかり教えていただきたいです!」
もちろん私の答えは決まっている。
「基礎から? そうなるとかなり厳しくなるわよ?」
「覚悟の上です!」
私の最終目標は、ひとりで邪竜討伐なのだ。基礎訓練くらいで怖じ気づいてなるものか。
決意をこめた目で見つめれば、師匠は華やかに笑った。
「わかったわ。なら私も本気でいくわね」
とても綺麗なのに、獲物を見つけた猛獣のように見えたことは……言わないでおこう。
――――そして、あっという間に八年が過ぎた。
師匠の本気は……すごかったとだけ、言っておこう。
私がなんとか食らいついていけた理由のひとつは、絶対浮気男の世話にはならない! という強い意志があったせい。
そしてもうひとつは、予定よりもずっと早く覚醒した聖女の力のおかげだ。
(邪竜の復活がはじまっているってことだから、ひょっとしたらって思ったんだけど……無事に発現してよかったわ)
その際、役立ったのは前世で修めた空手の型や少林寺の鎮魂行。いずれも心や体を研ぎ澄ますためのものなのだが、自分の中に眠っていた聖力を引きだすことに、大いに力になった。
これには、師匠も驚いていた。
魔法の発現は、普通十四歳からなのだそうだ。だからその前なのも驚きなのに、覚醒したのは聖属性魔法だったんだもの、当然ね。
「ふてぶてしいし、普通の子じゃないとは思っていたけれど……まさか聖女だとは思わなかったわ」
ちょっと、ふてぶてしいって何よ?
睨んでいれば、赤髪をかき上げた師匠は、真面目な顔で「このことは誰にも言っちゃだめよ」と言った。
もちろん元よりそのつもりだ。毎日訓練をつけてもらっている師匠には、隠しておけないと思ったから話したけど、この後口止めをするつもりでいたんだもの。
それを師匠の方から他言無用と言われるなんて思わなかったわ。
「どうしてですか?」
「聖女だなんてわかったら、即王宮や神殿に取りこまれてしまうからよ。その歳で監禁や洗脳なんてされたくないでしょう?」
…………やっぱり聖女ってそんな扱いなのね。権力者の闇をのぞき見た気分。
「師匠は、それでいいのですか?」
「私はもう引退した騎士だからね。……それに、権力者の汚いやり口には、嫌気がさしているのよ。可愛い弟子が、あのクソババアの毒牙にかかるくらいなら、いくらでも黙っているわ」
クソババアとは、ひょっとして王妃のことだろうか?
詳しく聞きたいような気がするけれど……止めた方がいいわね。
だって、師匠の顔がとっても怖いんだもの。
私は、大きく頷いた。
その後、師匠と話し合い、聖女の力は両親にも秘匿し、訓練以外では使わないことに決める。
聖女の力で有名なのは回復魔法や結界魔法なんだけど、私が訓練に使ったのは付与魔法の方だった。自分の体を強化してよりハードな訓練をしたり、弱体化させて負荷をかけたりして能力を上げるのだ。
反面、回復魔法は出来るだけ使わないようにした。
なぜなら回復魔法は、怪我や病気だけでなく体全体を正常な状態に戻してしまうものだから。
(この正常な状態ってのが、曲者なのよね。剣ダコで硬くなった皮膚とか、筋肉が発達しすぎた足とか、正常って判断してもらえない可能性があるんだもの)
私がその可能性に気がついたきっかけは、前世で聞いた娘の呟きだ。
『回復魔法ってMPもHPも満タンにしてくれるけど、それって消費したエネルギーを元通りにしているってことよね? ……つまり、せっかく燃焼した脂肪も元通りになっちゃってるんじゃない? ってことは――――うわっ、ダイエットの天敵だわ!』
このとき、娘は夏の海水浴シーズンに向けてダイエットの真っ最中だった。だからそんな思考になったのだろう。
脂肪を戻すということは、筋肉も戻るということだ。せっかく苦労してつけた筋肉を落としてなるものか!
もちろんその辺の加減も、回復魔法を極めていけば出来るようになるのかもしれないが、今の私では無理なのも事実。まあ、いずれは、完璧にコントロールする予定だけどね。
そんな感じで、私は聖力を利用しつつ鍛錬を積んだ。
同時進行で他の教養や礼儀作法なんかも習う生活は、超ベリーハード。
毎日クタクタで――――でも、おかげで他のことをあまり考えずに済んだ。
元夫のことや、遺してきてしまった『娘』のこととかね。
クズ夫には怒りしかないけれど、娘のことはどうしたって心配してしまうのよ。
前世の私の両親は健在だし、兄夫婦も自分たちの子どもが男ばかりだったから、娘を可愛がっていてくれたしで、きっと大丈夫だとは思うんだけど…………やっぱり心配だわ。
胸がギュウッと詰まって、苦しくなって、どうにもできない時に、疲れ切っているって幸せよね。
泣きながらでも眠ってしまえるんだもの。
――――そんなこんなで毎日必死になって頑張った結果、私は晴れて騎士団幼年学校の入学試験会場に立つことが出来た。
「大丈夫。エイミーならトップ合格確実よ」
師匠の言葉は嬉しいけれど、ちょっとプレッシャーかな。
まあ、落ちるつもりなんて欠片もないけれど。
誤字報告、ありがとうございます。
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