どうしてこうなった?
「おはようございます!」
早朝の騎士団幼年学校に、元気な声が響く。
「おはよう」
私に対し、九十度の角度で頭を下げてくる同級生に、私は片手を上げて応えた。
挨拶を返してもらった少年は、頬を赤らめ小さくガッツポーズを決める。
「おはようございます! リシャークさま!」
「おはようございます!」
「リシャークさま、おはようございます!」
それを皮切りに、あちらこちらから大きな声がかけられた。みんな最敬礼付きなのは、正直勘弁して欲しいけど。
「おはよう」
小さく手を振り応えれば「うぉぉっ!」と、歓声が上がった。
嬉しそうに身悶える者が大半だが、中には伏してこちらを拝んでいる者もいる。
――――いや、どうしてこうなった?
私は内心頭を抱えていた。
入学から三ヶ月。これは、既に日常になってしまった朝の光景だ。
「相変わらず愛されているね」
「いや、畏れられているの間違いだろう?」
私の両脇には、エドヴィンとマルク。寮から学校までの短い距離を、彼らは毎朝毎晩送り迎えしてくれるのだ。
「原因の半分は、あなた方でしょう」
この特別待遇が原因なのは、誰が見ても明らかじゃない。
「もう半分は、スカル卿夫人かな?」
「いや、自業自得だろう」
そう言われてしまうと、なかなか反論しづらいんだけど。
私としては、五対四対一くらいの割合だと思うんだよね。もちろん、私の自業自得が一で!
「どうやったら普通に接してもらえるようになるでしょう?」
「…………人間、諦めが肝心だよ」
「別に不都合はないんだから、このままでいいだろう?」
真剣に相談したのに、身も蓋もない答えが返ってくる。
私の精神的に不都合ありまくりなのに!
この件について、彼らは役に立たない。
「エイミー! おはよう」
ため息が出かかったところに、明るい声が聞こえてきた。
手を振り駆け寄ってきたのは、私の同級生。
キラキラ輝く琥珀色の目とピョンピョン跳ねるポニーテールの黒髪が印象的な美少女だ。
名前はビクトリア・マリラタ。伯爵家のご令嬢で、マルクの従妹だったりする。
ついでに言えば、近い将来攻略対象者である第二王子の婚約者になる人物だ。
たしか、昨日顔合わせに行くって言っていたよね?
「おはよう、トリア。今日も元気ね」
「それがそうでもないのよ。もう、昨日のお茶会が最悪でね――――」
「トリー、なんだその顔は。淑女たるもの、そんな露骨なしかめっ面をするもんじゃない」
愚痴ろうとしたビクトリアを、マルクが窘めた。
「だって、従兄さま」
「だってじゃない。それでは社交界を生き抜けないぞ」
「私は、社交界じゃなく戦場を生き抜きたいの!」
大声で叫ぶビクトリアに、マルクは頭を抱える。
これこのとおり、ビクトリアは、私が言うのもなんなのだが、ご令嬢の常識からかなり外れた少女なのだ。
彼女の理想は、自分とマルクの祖父である前騎士団長。戦場に立てば一騎当千。ひとりで魔獣のスタンビートを抑えたという伝説の残る祖父が、彼女の自慢であり憧れの人物なのだそう。
そのため、彼女は伯爵令嬢でありながら騎士団幼年学校に入学したという変わり種だった。
きっと私がいなければ、今年の入学生で一番人目を引いたのは彼女だったはず。
(伯爵家といっても、国で一二を争うくらい古い家系を誇る由緒正しいお家柄だものね。派閥も大きいから第二王子の婚約者に選ばれるんだわ。……ゲームでは、物静かで達観した雰囲気を持つ高貴なご令嬢だったんだけどな)
行き過ぎなくらい厳格で、周囲にも自分にも規律を守ることを強制する厳しい令嬢だった……はず。
今の彼女には、未来の悪役令嬢の影も形もなかった。
まあ、それもそのはず、彼女もまたエドヴィンやマルクが亡くなる事件の犠牲者なのだから。
もっとも、彼女は実際に戦ったわけではなく、家の力を利用してごり押しで魔獣討伐の見学に行っただけ。
そして彼女は、その場で壮絶な死を迎えた騎士たちを見てしまった。
それが原因で、一気に性格を変えてしまうほどの光景を。
しかも直接見ることはなかったものの、同じ戦闘で第一王子や従兄のマルクまで命を落としているのだ。
(子どもにはショックだったのよね。おまけに、彼女についていた護衛騎士は、目の前で戦死する学生を見捨てて物見遊山だった彼女を助けてしまうのだもの)
護衛であれば当然のことをしただけなのだが、彼女は納得出来なかった。
己の罪悪感も被せて護衛騎士を責めるのだけど……後で、その護衛騎士の弟もまた戦死者だったとわかるのだ。
泣き崩れ慟哭する彼女の姿は、悲痛のひと言につきた。
(もうっ、なんて重い設定を十代の少女に背負わせるのよって、娘と一緒にゲームの制作者を罵ったもの。いくらなんでも可哀相すぎるわ!)
このあたりの経緯は、ゲームでヒロインが第二王子を攻略し、悪役令嬢に婚約破棄を迫る場面で明かされる。
厳格すぎて人間味がないと非難された悪役令嬢が、そこに至った理由を知ったヒロインと第二王子は、悪役令嬢に同情するものの、婚約破棄を撤回しなかった。
自分たちが力を合わせて邪竜を倒すことで、二度と悪役令嬢のように辛い思いをする人をださないと健気に誓うのだ。
(いい場面だったのかもしれないけれど、いまいち共感出来なかったわ。……なんだかんだ言ったって、要は浮気者の言い訳なんだもの)
私の結論は、そこに尽きる。
サレ妻の遠吠えだと言わば言え。
私は絶対ああはならないぞ!
――――って、何を話していたんだっけ?
ああ、そうそう、ビクトリアの話だったわよね。
今はまだ、そんな悲惨な経験をしていない彼女は、持って生まれた天真爛漫な明るい性格のままだ。
このため、私に対してもフラットで同級生として仲良く接してくれる。
で、そのビクトリアは、現在進行形で昨日のお茶会で会った第二王子へ不平不満を垂れ流していた。
「ホント、もうあんなに自分勝手で我儘なお子ちゃま、今まで見たことがないわ。あれなら、うちの五歳の弟の方がずっとマシよ! お茶会の間中、自分の自慢話ばかりするのよ。それも、こんな高価な物を持っているだとか、高級なお菓子を食べられるとか、そんな内容ばかり。『それって、あなたが自力で得たものなの?』って、思わず聞いちゃいそうになっちゃったわ」
ああ、たしかにそういう自慢話を聞くのは苦痛よね。
そっか。トラウマを抱える前の第二王子は、そんな性格だったんだ。
まあでも、甘やかされて育った十三歳の男の子と思えば、普通かな?
それにつき合わされたビクトリアは、可哀相だけど。
「弟がすまなかったね。マリラタ伯爵令嬢」
神妙な顔で謝るエドヴィンに、ビクトリアが慌てた。
「そんな! エドヴィンさまに謝っていただくようなことではありません!」
「しかし――――」
「大丈夫です! こう見えて私、父に溺愛されていますから。私がいやだと言うのに婚約を無理強いされることなんてありませんわ! 我が家は伯爵家ですけれど、家格だけは高いので、今さら王家と縁続きになる利点もありませんし」
それはそうなんだろうな。
だからこそ、討伐隊の遠征を無理やり見学するなんていう暴挙がまかり通ったんだろう。
マリラタ伯爵家、侮り難し。
そんなビクトリアでも、ゲームでは第一王子への罪悪感から、第二王子との婚約を受け入れてしまうのね。
やっぱり、エドヴィンとマルクの死は回避一択だわ。
頑張って、私もふたりも戦闘力を上げなくちゃ!
みんな無事に生き延びるのよ!
決意もあらたに挑む私のやることは、自分と周囲の戦力強化。
(筋肉は裏切らないって、前世でも言われていたものね)
学園の授業に自主トレに、ますます熱を入れていたのだけれど――――。
「なんて可憐な令嬢だろう! はじめまして。僕はオリヴェル・ロザグリア。名前を聞いてもいいかな?」
金の髪に淡い緑の目。甘いマスクの美少年が、頬を赤らめ私を見ている。
ここはマリラタ伯爵家。
今日はビクトリアの十四歳の誕生日だ。
盛大に開かれる夜のパーティーとは別に、親しい友人だけを招いた昼食会に招かれて、私はこの場に立っている。
「学園の制服で来てくれていいから!」
そんなお願いを真に受けて、本当に制服で参加しようとした私を引き留めた母により、年頃の少女らしく飾り立てられた私は、白いドレスにピンクのリボン、ふわふわレースに包まれた正真正銘天使のごとき美少女になっている。
さすがヒロインとしか言いようのない仕上がりで、同じ幼年学校の招待者は全員二度見、三度見、四度見までされていた。
ちょっと、それはどうなのよ! と、ムッとしていたところに、声をかけてきたのがさっきの美少年だ。
……いや、オリヴェル・ロザグリアって、間違いなく第二王子よね?
なんでここに、こいつがいるの?
ホントにどうしてこうなったの!?




