第六十話 吉姫の学校その弐
今回は熱田の学校の話です。
『吉姫の学校その弐』
天文十六年十月上旬、今日は父に頼まれて以来定例となっている熱田の学校に来ています。
元々は、三河からの子供たちに教えるという話だったのですが…、何やら大勢の子供たちが通っているのです。
ここで教えてる事は、基本的にはいわゆる算数と国語です。
それも、平成時代の算数と国語という、まあ時代先取りというより時代錯誤な気もしますが…。
私が居る日は私が、私が居ない日は丹羽万千代君が講師をしています。
結局、午前中だけとは言え、二人だけでは人が足りないということで、万千代君だけの日は寺から誰か来てるようです。
教室へ入ると、既に子供たちは揃っていて帳面を広げて待ってます。
まだ授業は始めたばかりですが、学習意欲が高いのか、もう既にアラビア数字を書くことが出来るのです。
国語の方はまだ平仮名の練習中で、学習法は平成時代でも変わらない、五十音表を見ながら、書き写すと言うことをやってます。
意外と苦労をしたのは五十音の例として絵をつけるのですが、私の頭のなかから出てくる関連イメージがこの時代にあるものとは限らないという事でした。
それで仕方がないので、写本の手伝いに来ていた寺の小僧さん達に、出してもらって、それを描いてみてという感じで完成したのです。
例えば、『ゆ』の例として雪だるまを書いた所で、この時代の尾張の住人にそれを見せても、それを雪だるまだとは思わないのですね…。
しかし、楷書が綺麗に書けるようになると言うのは、価値があるんではないかと思います。
さて、この日の算数は足し算ですね。
十個の石ころを使って補助し、数を学んでいくという初歩的な物です。
例えば、「みかんが五つありますが、これに二つみかんを足すと全部で幾つになるでしょう」とか、そんな初歩的な計算です。
石ころを五つ置き、更に二つ足して数えていきます、それを紙に書いて合っているかどうかを答え合わせをして、間違ってる人には指導をし、また次の問題と。
そんな感じですね。
まさか、教育学部出身でもない私が、こんな遡った時代で算数を教えるだなんて思いもしませんでしたが、親の評判は悪くないという噂です…。
面と向かって何か言ってくるモンスターペアレントなどは居ませんから、あくまで間接的に伝え聞く話ではあるのですが…。
午前中の授業が終わると学校は終わりで、通いの子達はそれぞれお供や親に連れられて帰っていきますが、三河出身の彼らはここに住んでいるので残ります。
それでも、他の子供達と友だちが出来た子も既に居るようで、子供に国境は無いというか、教科の間の休み時間や、学校が終わってから敷地内で一緒に遊んでるのを見ます。
今日は話があるので、三河の子達だけが残ってます。
「吉姫、話というのはなんじゃ」
ここでは上級者の竹千代君が皆を代表して聞いてきます。
「君たちに新しい先生を紹介しようと思ってね」
「新しい先生が来るのか」
「ええ、既に顔は見たことがあると思いますが」
そう言うと、滝川殿を手招きします。
「この、滝川殿が新しい先生です」
「吉姫の側仕えの武士じゃな、何を教えてくれるのだ」
「今教えてるのは、学問だけですが、キミ達は武士だから、武芸も鍛えなければならないはずです。しかし、三河に居た頃と違い、ここでは実家の援助は受けられませんから、武芸を学ぶことも出来ないはずです。
客人扱いとはいえ、人質の身ですから、この屋敷から出ることも出来ませんからね」
「その通りじゃ。
我らはこのまま武芸を磨けぬまま歳ばかり取るのかと心配しておったのじゃ」
「まだどうなるかはわからないけれど、キミ達は将来一廉の武士として身を立てねばならないでしょう。
我が家で養育すると決めた以上は、一廉の武士として養育せねばなりません。
いずれ、然るべき武芸の師を招くかもしれませんが、この滝川殿もしっかりとした武芸を郷里で学んでこられた立派な武士です。
ずっとではないですが、まずは武芸の基礎をこの滝川殿がキミ達に教えます。
しっかりと機会を無駄にせぬよう、学んでください」
「…忝ない…」
家を思い出して少し涙目の竹千代くんがポツリと呟くと、他の子達も口々に礼を言ったり、お願いしますと言ったり。しかし、やはり皆家が恋しいのでしょう。
「姫様に紹介頂いた、滝川彦右衛門で御座る。
武芸は特に基礎をしっかりやらねば身につきませぬ。
故に、暫くは基礎をしっかりやりまする。
次回、姫様とまたこちらに来た時よりはじめまする故、宜しくお願い致す」
「それでは、お話はこれで終わりです。
また会いましょう」
そう言って去ろうとすると、竹千代くんが私の着物を掴みます。
「吉姫、少し話があるのじゃ」
「竹千代くん、何かな?」
そう言うと、空気を読めみたいな目で見てきます。
仕方がないので、
「では、あちらで話を聞きましょうか」
そう言うと、部屋を借りてそこで話を聞くことにします。
「吉姫、以前話しておったろう。
我が母上の話じゃ。
いつ会える」
なるほど、確かにこの話は皆の前では出来ませんね。
他の子も親に会いたいのを我慢しているのですから、一番の上級者である竹千代君だけがその話は出来ません。
「お母上の件ね。
まだ確約は出来ないのだけど、年内には会えると思います。
既に、父からお母上の実家の水野の家に話は行っています。
ただ、父はあれからずっと多忙で、殆ど居ないので話が進んでいないのですよ。
恐らく、月が変わった頃に帰ってきますから、その時に話が聞けるでしょう」
「そうか、ならば仕方がない。
じゃが、話が進んでいることが聞けたのは良かった。
待っておる故、宜しく頼むぞ」
「また、話が聞けたら知らせましょう」
「うむ。頼む」
しっかりしてるように見えて、まだまだ幼い子供ですからね。
父が側室に迎えるのか、一族に嫁がせるのかはまだ判りませんが、有力国人の水野氏の娘ですからね。
竹千代君の件抜きでも十分父にとって縁を結ぶことには利益があるのです。
そうして、この日も熱田を後にしたのです。
ちなみに、熱田までは船で通ってます。
実際、使ってみると楽だし早いのです…。
『衛生兵マニュアル作成その壱』
空いている時間に、例の衛生兵向けのマニュアルを書いているのですが、これがまた想像以上に大変です…。
実は私は前世で総合商社に勤めてたんですが、ここの社員研修の一つに自衛隊研修入隊というのが有ったのですよ。
新入社員の時期に、夏休みを召し上げられて最長二週間を三年に渡りとか。役職が付いた時に、役職者向けの自衛隊研修とか。
結果として、体力作り以外にも色々と役には立ったのでそれはいい経験だったのですが、まあ当時はなんでだーって気分でしたよ。
閑話休題、そこで衛生兵的な簡易体験講習も受けたので、全くの素人よりは知識があると思います。しかし、問題は、結局平成の時代の衛生兵の持つ医療キットを使っての初歩的な救護はやったのですが、それを使わずにという話になると、それはもう一般的な知識しか無いという…。
それこそ、例えば出血した時どう処置をしたら良いとか、後方搬送する時、どうすればいいとか、それでもこの時代の一般的な応急よりはマシなのでしょうか?
金瘡医とか結構本格的な事をしてたとも聞くのですが。
この時代に転生してから学んだことは勿論有ります。主に漢書からですが、そちらの方は漢方薬作りに関することで、いわゆる西洋医学的なものは無いのですね。
とはいえ、作らせた薬類については勿論使用法を知ってますし、他にもこの時代でもすぐに作れるものもあるでしょう。
先ずは、怪我の治療法を書きます。多分、このあたりは金瘡医がやってる事と大差ない気もしますが。
傷口を綺麗にし、アルコール消毒後、ヨードチンキを塗り、包帯を巻く。
ガーゼなども必要ですね。
この時代は、和紙を包帯のように使ってたとも聞きますが、どうなんでしょうか。
それと、未来の知恵としては、止血帯ですかね。こちらの方は未来のような物は無理でも、同様の機能の物は作れるでしょう。
あとは、勿論図面入りで止血方法です。何処を怪我したら、どの位置を圧迫し止血するか。或いは、どのような姿勢にすべきか等。
それとは別に、実際の金瘡医を連れてきて相談したほうが良さそうなんですが、一般的な医療器具ですかね。野戦病院などでも使われるものですが。
例えば、有名なのだと鉗子類。
何れにせよ、身体の中まで突っ込んだ解体新書的なのはちょっと厳しいかなあ?
骨格とか、筋肉とか臓器とか、主な血管とか、学校で習う程度のことなら勿論知ってるんですけどね。
兎も角、第一義は野戦で足軽の皆さん達が出来るレベルの応急と、正しい薬の使い方。
それをまずは本に纏めることにしたのです。
なんとか、父上が帰るまでに形にしたいですね。
応急マニュアルも併せて作成中なのでした。
信秀が三河から戻ったら、年末までには母子対面が叶いますかね。




