第五十一話 竹千代くんに会いに来た
竹千代くんに会いに行きました。
『竹千代くんに会いに来た』
父より松平宗家の嫡ら質一行が到着したという話を聞いた翌日、早速とばかりに熱田の加藤氏の家を訪ねていきます。
勿論、事前に訪問を知らせてあります。
今回はいつもの弥之助と、侍女の千代女さん、それに滝川殿。後は、警護役に古渡の武士が五人ほど。
私は滝川殿に千代女さんが居るし、影守の加藤さんが居るから、それ以上の人数は要らないと思うのですが、有力者の娘が少人数でふらふらするのは良くないとのことで、権六殿と半介殿が戻る迄は今回から着いてくることになりました。
本当はもう少し人数を連れて行動するのが普通らしいのですが、私は身軽な方が良いので御免こうむるのでござる。
さて、古渡から熱田までは半里程度と案外近いので、半刻掛からず到着です。
豪商の加藤順盛殿の家は、熱田神社の南側に位置し、熱田羽城とも呼ばれる堀のある城郭となっている屋敷。さすが豪商と言われるだけあって大きいのです。
訪ねていくと、順盛殿が出迎えてくれます。父と同世代の人で三十過ぎ位でしょうか。
史実では信秀、信長の二代に渡り昵懇だったそうですね。
竹千代くんと人質一行は屋敷の中庭に居るそうで、順盛殿が直々に案内してくれます。
護衛の皆さんは饂飩でも食べてくる様に言って、食事代を渡して行ってもらいました。
中庭に行くと七名の少年たちが居ました。
彼らは中庭の一角で寄り添うように立ち話をしていましたが、私が案内されてくると、一斉にこちらを見ます。
年若い少年たちのつぶらな瞳から放たれる不安気でいて敵意と好奇の入り混じった視線が私に刺さります。
痛い痛い、お姉さんは何もしませんよ。多分…。
「皆さんこんにちは。
私は織田弾正忠信秀が長女の吉です。
今日は皆さんとお話しに来ました」
と、精一杯にこやかに話しかけるが、少年たちは緊張を解くことも無く、ジィーっと見つめています。そんなに見られたら、顔がヒクツキそうです…。
ここはちょっと驚かせてやりましょう。
「さて、では今から名前を呼びますので、呼ばれた人は手を上げてくださいね。
ではまず、天野又五郎くん」
少年たちは皆驚き、そのうちの一人十歳ちょっと過ぎ位の男の子がオズオズと手を挙げる。
「はい、あなた。
あなたが又五郎くんね。
では他の子達から少し離れて下さい」
又五郎くんは不安げに他の子を見るが他の子が頷いたので、少し離れた所に立ちます。
後は私のペースで話が進みます。
「はい、では次。
石川与七郎くん」
すると五歳を少し過ぎた位の大人しそうな子が驚きの表情を浮かべるとオズオズと手をあげます。
「はい、あなたが与七郎くんね。
では又五郎くんの所に行って下さい」
与七郎くんは他の子達をチラッと見ると又五郎くんの所に行きました。
「ではお次は、松平与一郎くん」
すると、一番歳が低そうな子が泣きそうな顔を堪えて手をあげます。
「あなたが与一郎くんね。
では又五郎くんの所に行って下さい」
与一郎くんが又五郎くんの所に走っていきます。
「では次、石川七之助くん」
五、六歳くらいの子が手をあげます。
「あなたが七之助くんね。
では又五郎くんの所に行って下さいー」
七之助くんがおずおずと又五郎くんの所に歩いていきます。
「ではお次は…、榊原平七郎くん」
すると、また同じくらいの歳の子が手を挙げる。
流石に嫡男の遊び相手だから同い年くらいの子が多い。
「あなたが平七郎くんね。
では又五郎くんの所に」
平七郎も又五郎くんの所に歩いていきます。
「では次、上田萬五郎くん」
これまた同じくらいの子が手を上げます。
「はい、あなたが萬五郎くんね。
では又五郎くんの所に」
又五郎くんの所に走っていきます。
「では次、阿部徳千代くん」
するとまた先ほどの子と同じくらいの子が手をあげます。
「あなたが徳千代くんね。
では又五郎くんの所に行って下さい」
徳千代くんが残った一人の方をじっと見つめる。するとその子が頷き、徳千代君が又五郎くんの所に行った。
そして、最後に残った子に声をかける。
「あなたが、松平竹千代くんね」
最初から何となくそんな気がしていたのだけど、凛々しく見せてる少々福々しい少年こそが、竹千代くんなのでした。
竹千代くんが頷き、そして名乗りを上げる。
「我こそが松平宗家が嫡男、竹千代である」
おおう、この歳にしてしっかりしてます。もしかして転生者なの?
などと一瞬思いましたが、やはり嫡男ともなるとしっかり育てられているのでしょうか?
でも、我が家の勘十郎は残念な子だったなあ…。
まあ、私はフリだと見立てを立てて意表をついてみることにしました。
なにしろ私は一七〇センチ近い長身、この時代だと大女ってやつですよ。
前世も一七〇超えでしたが、なんで今生もノッポさんなのか…。
年相応で可愛らしい千代女さんが羨ましいのです。
「勿論、知ってたよ」
というと、周りにはもう誰もいない竹千代くんに近づいていって、抱き上げてしまいました。
竹千代くんは年齢相応とは言え、まだ身長が一メートル位ですから、完全に子供と大人という感じです。
竹千代くんを顔の高さまで持ち上げると、竹千代くんの顔が恐怖一色です。
「うーん、可愛い。
お姉さん、ほっぺスリスリしちゃうぞ」
というと、竹千代くんのほっぺにスリスリしたのでした。
やはり六歳児のホッペはきめ細かくて気持ちが良いのです。
「な、なにを…」
竹千代くんが何が起こってるのかわからないのか狼狽えまくってます。
お供の少年たちは何か怖いものを見てるような顔で遠目に見ながら固まってます。
竹千代くんを顔の高さに抱っこします。
「今日から君たちの面倒を見るように頼まれたのです。
いつまでかわからないけれど、暫く私が君たちのお姉さんです。
よろしくね」
というと、胸にぎゅーっと抱きしめました。
すると不思議なもので、恐怖や不安で暗かった顔が段々落ち着いて安らいでくるのでした。
やはり、小さい子はギューってするのが一番ですね。
そして、竹千代くんを下ろすと他の子も呼びます。
「というわけなの。
お姉さんにギューってしてほしい子はおいでー。
不安な気持ちが安らぐよっ」
というと、さながら保母さんな感じで、手を広げると一番年下の子からおずおずと近寄ってきて、一番年長の又五郎くん以外は皆私のもとに来て抱きついたのでした。
怖い中ずっと我慢してたのか、すすり泣く子も居ます。
皆が落ち着いたところで、屋敷の一室に入り、織田家の対応と今後の説明をします。
「又五郎くんは一番年長でしっかりしてるので、後で皆にも解るように話してあげて下さい」
又五郎くんが頷きます。
「まず話しておきますが、君たちがここに居るのは、我が織田家の与り知らぬことで、織田家としては当惑しているのが正直なところです。
松平家との間に何もなければ、このまま送り届けてそれで終わりだったのですが、君たちの父上が仕える竹千代くんのお父上と、我が織田家はいま戦をする間柄です。
君たちは多分駿河の今川家に人質に送られる筈だったのでしょう。
つまり、松平宗家と東三河の国人衆は今川に臣従することで、援軍を得て安祥を取り返すつもりだったのでしょう。
だから、君たちを送り返すと、そのまま人質として今川にまた送られ、今川は広忠殿を助けるという大義名分で、三河をすべて平らげるために大軍を送ってくるでしょう。
そうなると、折角豊かにした西三河が戦で荒れ果ててしまう。
織田家は三河を統治するに当たり、三河の民に平穏に豊かに暮らせるようにすると、約束をしたのです。だから、西三河の民はみな安祥に協力しています。
その約束を守るためにもそんな事は許すわけにはいかないので、直ぐに君たちを返すわけにもいきません。
ここまではわかりましたか」
小さい子達は眠そうな子もいますが、又五郎くんと竹千代くんは真剣な顔で頷きました。
「我が織田家が三河を攻めたのは松平の先代清康殿が美濃と示し合わせ、大軍をもって尾張に攻め寄せた教訓から、今川からの遠江奪還のためにも三河を押さえなければ尾張に平穏が訪れることはないとわかったからなのです。
清康殿は松平の歴代の当主の中でも特に傑出した英雄でした。内紛により横死しなければ、今頃尾張はどうなっていたかわかりません。
戦乱の世故、それは仕方がないことですが、つまり戦とはそういうことです。
我が織田家としては、今川の介入は先ほど話したように、許すわけにはいきません。
故にこの度人質がここ尾張に来た事を契機として、広忠殿に和議と武衛様への臣従を求めます。
広忠殿が臣従すれば、我が主である武衛家の家臣として取り立てられましょう。
つまり、臣従すれば守護代である織田家と同じ主を奉じる同盟者となります。
これまでの遺恨一切をお互い水に流し、以降は武衛様の下、三河も全て尾張や安祥と同じ水準で豊かになることでしょう」
竹千代くんは兎も角、又五郎くんは意味がわかるのか目を輝かせています。
彼の家も今は松平家臣とはいえ、治める地のある三河の国人でもあるわけですから。
「さて、前置きが長くなりましたが、君たちの処遇です。
はじめに話したように、いつまでかは約束できませんが、私が暫くは面倒を見ます。
恐らく三河が落ち着くまで。
それまでは、織田家の客人として遇すること約束します。
つまり、家に居た頃のように、勉学や武芸に励み、いずれ一廉の人物になるように、教育してあげます。
勿論、面倒なことになるのは困りますから、護衛は付けさせてもらいます。
まずは、旅の疲れをゆっくり癒やしなさい。
何日かしたらまた来ますので、その時に具体的にどうするのか話をします」
皆が頷きます。
「それでは、竹千代くん以外は加藤殿についていって下さい」
そういうと、加藤殿が他の子らを連れていきます。
竹千代くんと向かい合って話をします。
「竹千代くん。
母上と会いたくは無いですか?」
私が母の話をすると、竹千代くんの目が見開かれます。
「母と…、母と逢えるのか?」
「水野の於大さんでしたね。あなたの母君は」
竹千代くんが何度も頷きます。
「於大さんは離縁され、今は水野の実家に戻っていますが、まだ若く再婚の話が出ています。
多分、尾張に来ることになると思いますから、恐らくいつでも逢えるようになるでしょう」
「ほ、本当なのか?
母上といつでも逢えるのか?」
「竹千代くんに嘘を言っても仕方がないでしょう。
また話が決まったら教えてあげます」
「わかった…。
母上と逢えるのか…」
竹千代くんは俯いてしまいます。
三才で引き離されたのだから、精神的ダメージはきっと大きいでしょう。
「では、私は今日はこれで帰ります。
また、何日かしたら来ますから、それまではゆっくりしてなさいな」
というと、俯いたままの竹千代くんを残し部屋を後にしたのでした。
加藤殿に方針を伝え後を頼むと、屋敷を後にして古渡へ戻ります。
道中千代女さんが聞いてきます。
「姫様、何故三河からの人質達の名前を知っていたのですか?」
「ふふ、何故だと思いますか?」
「わ、わからないから聞いているのです!」
千代女さんがプンスカです。
「情報は時に千金の価値があるのですよ」
実は前世で徳川家康の本を何冊か読んでたので覚えてただけなのですが…。
千代女さんは、ハッとすると周囲を見回します。
「あの人ですか…」
「さて、私は情報には価値があると言っただけですよ。
そう言えば、安祥には服部殿の伝手で伊賀の衆がかなり移り住んだようですね」
千代女さんはいきなり話を変えられてちょっと不機嫌ですが肯定します。
「はい、そういうふうに聞いています。
安祥も今は豊かな地で、仕事がいくらでもあるらしいです」
「そうです。戦がなければ豊かになり、豊かになれば仕事が幾らでもできる。
早く戦のない世が来るといいですね」
将来の優秀な武将たちに出会えた私はちょっと上機嫌でした。
年長さん受け持ちの保母さんノリの話でした。
こういうのは男主人公だと無理な話ですよねー。
子供たちが吉姫の事を何歳だと思ったのかは内緒です。




