第百九十話 家族
勘十郎との事を報告しに母の元へと訪ねてきました。
日暮れ頃、清洲へと到着した私は、今回の顛末を話す為に母の許へと向かいました。
父が、母は半ば諦めているとは話していましたが、やはり一時は偏愛ともいえる愛情を注いだ我が子です。それだけ情の深い母が心配をしていないなどという事は無いでしょう。
私は、恐らく先日の廃嫡言い渡しから勘十郎の行く末に気を揉んでいたであろう母を、まずは安心させてあげたかったのです。
屋敷の母付きの女中さんに母の都合を聞いてみると、母は夕餉前で丁度寛いでいた所だった様で、すぐに会えるそうです。
早速母が普段いる部屋へ行くと、障子の前から中に声を掛けます。
「母上、吉です」
私が声を掛けると、少し間があって中から返事がありました。
「お入りなさい」
「はい」
障子を静かに開けて中に入ると、来訪した私に母は笑みを浮かべてくれますが、やはりその表情はどことなく物憂げな様子でした。
母の前に座ると、母が私に来意を聞いてきます。
「こんな時分に突然訪ねてくるなんて、どうしたの?」
ちなみに、普段は事前に予定を入れて母と逢う事が殆どなので、何か特別な用事でも無ければいきなり訪れるということは普段ありません。特に私の場合は古渡の方にも居るので、自宅である清洲の屋敷に戻らない日もよくありますから。
「勘十郎と話をしてきました」
私の言葉に、母は驚いて目を見開きました。
そして、驚きのあまり絶句している母を見ながら、私は言葉を続けます。
「勘十郎は寺へ行くそうです」
私のその言葉を聞いて、母は強張っていた表情を和らげます。
「そうですか…」
母は私の表情を伺うような視線を彷徨わせています。
恐らく、勘十郎とどんな会話をしたのかとか、色々と聞きたいのでしょうね。
母とは既に和解しているので、普段から顔を合わせれば言葉も交わしますし、嫁入りに必要な事などを教授してくれたりと関係は悪くないと思うのですが、やはり私に対して未だ負い目を感じているのか、特に勘十郎が絡むとこんな感じなのです。
「勘十郎は廃嫡を言い渡されてすっかり気落ちし、衰弱して臥せっておりました。
そんな状態の勘十郎でしたが、私達二人は初めて向き合って深く話ができました。今は互いにわだかまりも無くなり、和解できたと思います。
また勘十郎は、私との話でこれ迄の自分を自省できた様で、気持ちを新たに持ち直すことが出来た様子でした」
私の『和解できた』という言葉を聞き、母はホッとしたような表情になりました。
「和解…、出来たのですね。
私が偏った子育てをしなければ、仲の良い姉弟として育っていたでしょうに…。
あなたにも、勘十郎にも本当に申し訳ないことをしたと思っています…」
母がまた鬱に入りそうなので話を止めます。
「母上、その話はもう止めましょう。
…過ぎた事です。
私は立派に育ち、今は母上との時間を取り戻すことが出来ました。
そして、時間がかかりましたが、漸く勘十郎とも解り合うことが出来ました。
少し遠回りはしましたが、こうして今は家族の絆が取り戻せました。
それで良いではありませんか」
母はやや悲しげな表情を浮かべると頷きました。
前世で今の母と同じくらいの人生経験がある私には、母が悲しげな表情を浮かべた理由を察することが出来ます。
しかし、いつまでもこの事を引きずっても良いことは何もありません。
今、母の許では私達の弟妹達が育っていますし、母にはまだまだ元気で居ていただかないと。
「勘十郎は体調が戻ってからになるでしょうけれど、父上の命に従い大雲永瑞大叔父和尚の居られる萬松寺へ入ると思います」
「わかりました。
母は勘十郎が息災で居てくれればそれで十分。
ただ、美濃の姫には悪いことをしました…。
しかし三郎殿が、悪いようにはならないように考える、と言って下さいましたが」
「ええ。
これで斎藤家との縁が切れることを、父上は望まれないでしょうから」
母上は静かに頷きました。
それから私は話題を変えると、母と他愛のない雑談を交わし、そして弟や妹たちと遊んで母の許を後にしました。
今年は勘十郎の廃嫡という大きな出来事から始まりましたが、他にも我が家にとって色々と大きな出来事が起きそうな予感がします。
そして、勘十郎のその後を少しだけ。
この頃の私は勘十郎は大叔父の下で修行し、大叔父の後を継いで萬松寺の住職として織田家の菩提寺を守っていくと思っていたのですが…。後に、私の想像とは全然違う斜め上の方向に突き進んで行ってしまうとは、想像もできませんでした。
勘十郎は大叔父の下で数年修行していたのですが、その後海に魅せられた信次叔父上に誘われて小笠原諸島へと渡り、更には信次叔父上に触発された信実叔父上を加えてハワイ諸島へと渡り、そして最終的には新大陸へと渡ってしまうとは。
そんな勘十郎の未来なんて、私に想像できるわけないじゃありませんか…。
後に還俗して新大陸へと渡った勘十郎は、カリフォルニア辺りの原住民、つまりはネイティブアメリカンの族長に気に入られてその娘を嫁にし、その後日ノ本からの移住民と族長の部族を従えて米西岸に新たに津田家を興したのです。
ちなみに、新大陸の住人は日ノ本の民の遠い親戚だと私が広めていたという事もあり、最初は言葉も通じませんでしたが、顔立ちが似ている事もあり、友好的な部族と融和するのは早かったみたいです。
初めて北米の現地の住人を見た日ノ本の民は、その前にハワイ人を見ていて慣れていた事もありますが、風体は多少異なっていても日ノ本の民の親戚だとひと目見て思ったとか。
その後、日ノ本と新大陸の間に定期船が就航したことも大きいのですが、広大な大地に夢を馳せて海を渡った大勢の日ノ本からの移民達は、日ノ本から持ち込んだ鉄砲や様々な技術の力もあり、西岸諸部族を取り込みながら最大部族へと成長。
そして遂に、私が送ったうろ覚えの北米マップを片手に東海岸を目指す事にした勘十郎。〝諸部族を率いてロッキー山脈を越えて東進を始めました〟という手紙が勘十郎からの最後の手紙となるのですが…。
実際の所新大陸で何が起き、どうなったのかは私には知る由もありません。
土田御前もこれでひとまず肩の荷を一つ降ろせたと思います。
そして、勘十郎は想像の斜め上へと旅立ちます。




