第百七十九話 古渡での正月
今年も古渡で年賀の訪問客を迎えます。
『古渡での正月』
天文十九年一月二日。新年二日目の今日は、恒例となっている私への年始の挨拶に来てくれる訪問客を迎える為に古渡に来ています。
去年に続き、今年もまず最初に挨拶に来てくれたのは、藤三郎殿です。
藤三郎殿は私のお供をやってくれて居る方ですが、小次郎殿とは異なり専任という訳では無く、今川家の取次役も兼ねているので、今日も今川家としての新年の挨拶という事になります。
藤三郎殿から挨拶の言上を受けると、義元公からの年賀の手紙を受け取ります。
義元公とは手紙のやり取りをしている間柄ですが、いつもながら雅な雰囲気を漂わせる筆運びで書かれた内容は、新年を迎えたお祝いの言葉と、前年龍王丸様と共に尾張を訪問した時に世話になった事へのお礼が書かれて居ました。
他には北条家に動きがみられるという事が書かれて居ましたが、史実だと上野攻めの年だったと思いますから駿河は暫く平穏な筈です。
勿論、そんな事を返事に書くわけにもいきませんが…。
手紙は、また機会を見て尾張を訪問したい、と締められていました。
昔と違って、今は船で直ぐ来れますから、またその内に訪ねてくるかもしれませんね。
手紙は義元公だけでなく、龍王丸様からも届いていました。
龍王丸様の手紙は、尾張で学んで帰った隷書体で書かれて居て、内容は新年の挨拶と去年の礼。
そして、早速駿府でも子供向けの学校を作る準備を始めた、と書かれて居ました。
学ぶ人が増えるとその分教材が必要になりますから、そろそろガリ版印刷辺りは出来た方が良いんでしょうか。
次に挨拶に訪れたのは清兵衛さん一家です。
今日はハレの日らしく一家はよそ行きの着物で、清兵衛さんは紋付の羽織、奥さんも綺麗な色の着物を着ていますね。
もう歩けるようになった下の男の子の手を引いた清兵衛さんの娘さんも、まだ嫁入りには早いですが、年々綺麗になっていてもうすっかりお姉ちゃんという感じです。
去年は抱かれて居た幼子が、お姉ちゃんに手を引かれながらもう歩いているのを見ると、年を経ていくのを実感します。
こういう感覚は前世の少女時代には無かった感覚で、今の身体はまだ高校生程度の筈なのですが、中の人の精神年齢は確実に加算されていると実感します。
「姫さん、去年も面白い仕事の数々、有難うございやした。
今年も楽しみにしておりやす」
「清兵衛さん、今年もよろしくお願いしますね。
男の子もすっかり大きくなりましたね。
去年はまだ奥さんが抱いていたのに、もう立派に歩いていて」
「可愛い盛りでやす」
「うふふ。そうでしょうね。
去年は蒸気機関に内燃機関を完成させましたが、清兵衛さんの腕がなければこれらの実現は難しかったと佐吉さんも話していました。
今年も頼りにしていますよ」
「そう言って頂けると、職人冥利に尽きるってものでさあ。
今年も腕を振るわせて貰いますぜ」
今年も新年のお祝いにお餅や焼酎、そしてお菓子を多目に持たせました。
やはり子供の居る家は、お菓子は特に喜ばれますからね。
その後は、瀬戸の陶工さんや津島の大橋さん、熱田の加藤さんの所の名代さんが来てくれました。
瀬戸の陶工さんの工房は最近はガラス製品の仕事が多い様ですが、その技術の進歩は日進月歩の勢いで、今年手土産に持参してくれたガラス製品は平成の御代で店先に並んでいても何の違和感もないレベルでした。
流石にベネチアングラスの様な製品はありませんが、ガラスの透明度や精密さなど、去年より更に質のいい製品に仕上がって居ます。
お土産に持って来てくれたのは、去年持って来てくれたコップセットの更に品質が良くなった品の他、ガラスの皿、サラダに良さそうなガラスの器などが上品な白木の箱に収められていて、食器セットの詰め合わせとしてこのまま贈り物に使えそうな設えですね。
話を聞けば、既にこのセットは父の指示で幾つか作られ、贈り物として各方面に贈られたことがあるそうです。
瀬戸のガラス製品は最初から量産を前提に作っている品だけに華美ではありませんが、それでも実用性と美しさを兼ね備えた製品に仕上がっているので、贈られた方は嬉しいでしょうね。
そこで私も、越後のとら姫にティーセットを贈ってくれるように頼みました。
津島の大橋さん、熱田の加藤さんには新しい物を作る時に相談にのって貰ったり、折に触れては贈り物を頂いたりと、色々とお世話になりっぱなしですね。
双方から、また今年も新しい商材の話をお待ちしています、と言われてしまいました。
そう言って貰えるのは嬉しいのですが、私もそろそろ輿入れの年頃。
いつ迄今の様な形で動けるのかは正直わからないですね…。
勿論、二人にそんな話はしませんよ。
他にも以前は近江からの行商でしたが、今は熱田にも店を出している布施屋さんや、領地の乙名さんなどが年賀の挨拶に来てくれました。
日頃会っている皆さんですが、こうやって年賀のお祝いに訪ねて来てくれるのは、やはり嬉しいものですね。
今日、寒い中年賀の挨拶に来てくれた人たちには、焼いた餡餅やお屠蘇を振る舞い、暖まって帰って貰いました。
来客が絶えると、今年も千代女さんと二人でお餅を焼いて頂きます。
餡餅も美味しいのですが、醤油や味噌で焼いても美味しいですね。
千代女さんは例年通り今年も明日三日はお休みで、尾張の望月の村で過ごしてもらいます。
私は、明日は佐吉さん宅へお邪魔する予定で、訪問するのを楽しみにしています。
この時代は正月というのは元旦その日だけで、次の日からは平日だったそうです。
とはいえ、元旦その日だけで年賀の挨拶に回る事は難しいので、元旦は主家など大事な相手に対して。正月明けから方々に挨拶に回っていた様ですね。




