閑話九十一 武田信繁 吉姫の村へ
信繁視点での吉姫同行です。
天文十八年十二月 武田信繁
吉姫の村へと通じるこの道。既に幾度も通っている整備された石畳の道であるが、以前は歩けば土埃が舞う細い道だったと聞く。
そんな話を聞けば、尾張も以前は他国と変わらぬ様子だったのだろう。
しかし武衛様の号令の下、国を挙げて街道整備を行った結果、馬車や牛車、手押し車などが飛躍的に普及し、またそれら車が隅々の村にまで行き着ける様に主だった道の整備だけでは無く、全ての村へと繋がる道もまた整備されたのだという。
国の隅々まで道が整備されたことで、この国の人と物の移動がさらに活発になり、商いが益々盛んになっていったそうだ。
尾張に於いては村々から街へと直接物を売りに来る姿は珍しくなく、また商人が村々を回って物の買い付けをしている姿も然り。
移動が速くなるという事は、一日仕事だと考えられていたことが半日仕事になり、或いは半日仕事だと考えていた仕事が一刻程の仕事になり、つまり人々は、一日に多くのものごとを為せるようになったという事でもある。
国中に道を巡らせ、誰でも乗れる乗合馬車を走らせて気軽に移動が出来るという事が、どれ程の物や事を生み出すのか。
それはこの尾張の豊かさと、活き活きと暮らす民の目を見れば一目瞭然と云うものだろう。
百姓から武士に至るまで商いに現を抜かすというのは、我らの常識からすれば、夫々の本分を忘れたる許されざる事。
しかし、豊かであればこそ為せることも多く、また尾張の百姓から武士に至るまで皆が持っている、この豊かな国を護りたい、という気概が、他国とは比較にならぬくらい強いのを感じるのだ。
そう言えば、尾張は弱兵だ、などと言っておった者も居ったが、日々鍛錬や普請に勤しむ常備軍を見れば、弱兵などとはとても思えぬ。
皆が豊かであれば人心穏やかで、金の為にと物を奪い人を殺める者も居らず、他国からの流れ者ですら尾張では暖かく迎え入れられる。
無論、他国から流れて来た者の中には明らかに草の者と思われる者を見かけることもあるが、尾張の国や民がこんな具合ではやりにくくて仕方あるまい。
馬車から見える風景から諸事に思いを巡らせておったら、何時の間にか村へと到着しておった。
この村は来るたびに少しずつ姿を変えておったが、どうやらあのストーブとかいう竹炭を燃やして暖を取る器具をすべての家に取り付け終わった様で、どの家の屋根にも煙突が立っていて、煙が棚引いているのが見えた。
信繁視点は到着までです。続きは吉姫視点になります。




