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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第五章 天文十八年 (天文十八年1549)
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閑話八十 秋山善右衛門尉 尾張へそして伊勢へ

秋山虎繁視点の伊勢攻めのお話です。





天文十八年六月 秋山善右衛門尉



甲斐より尾張へと移り住んで早や八か月。


替地として以前よりは狭いが貫高は同じ領地を与えられ、そこへ一族郎党移り住んだのだ。

尾張は温暖で豊かであるからかも知れないが、よその国からやって来た我らに対して新たに領民となった者達は温かく迎え入れてくれた。


聞けば、替地として与えられた領地は開拓して日の浅い土地であるらしく、領民自体もよその国から流れて来た者が多いらしい。


備後守様は、尾張に流れて来た流民達を流民のまま置いておくことはせず、直ぐに集めては開拓民として土地を割り当てたり、或いは普請の役へと就けたりと細やかな手当てをするそうだ。


それにより、食うに困って良からぬ事をしでかす者を出すことなく、元々豊かな尾張が更に豊かになっていると領民らは話してくれた。


いずれにせよ、尾張は常に人手不足であり、食い詰める事などまず有りえないと言う。


色々な話を領民に聞かされた儂は、国が変わればこれほどまでに違うのかと感心したものだ。


甲斐であれば冬になれば雪に閉ざされ、国に入る事も外に出る事も困難になり、大雪ともなれば領内を行き来するのさえ難儀する。

そして豊かとはいえぬ甲斐の土地柄故、少しでも不作になれば外に奪いに行かねば必ず餓死者が出る有様なのだ。


それが尾張はどうだ。


雪が降る期間は短く、積もったところで行き来に難儀する事も無い。尾張は甲斐より南国だからだが、それだけが理由ではない。

何故なら、国の隅々にまで整備された街道は国人らが道の維持管理を請け負っておる故、仮に大雪が積もったところで直ぐに雪は掻き出されてしまうからだ。


尾張には駅馬車という、銭を払えば目的の地まで乗せて貰える馬に曳かせた車が何台も走っており、そんな物を常に走らせられるほど街道の整備は行き届いている。


馬車に乗れば農民であれ武士であれ、短い時間で楽に移動することが出来るのだ。この事により商取引は活発になり、尾張では銭が実によく流通し回っておる。


国によれば鐚銭ばかりという国もあるが、尾張に限れば御上の許しを得て銭を鋳造していることもあり、摩耗していたり欠けていたりする事の殆ど無い実に綺麗な銭が出回っているというのも驚きだ。


そういう事もあり、甲斐に残して来た元の領民たちと新たに領民となった者達の生活水準はあまりにも違い過ぎる。

衣食住足りて礼節を知るでは無いが、衣食住全てにおいて比較にならぬ。

尾張では当たり前の様に米を食うばかりか、日常的に卵、肉を食べる。そのせいか尾張の民は皆肌の色つやも良く、体格も良い。

木綿が出回っており、着る物の質も仕立ても良い。

また、尾張では家を建てる際に当たり前の様に釘が使われているのだ。だからなのか、尾張独特の家屋は隙間風も吹かない。


我らの為に用意された領主館もかつて暮らしていた屋敷とは比較にならぬ。

館には“ストーブ”なる部屋を暖める道具まであるので、冬も過ごしやすい。

更に驚いた事に、無駄遣いは戒められているが、夜になると各部屋に明かりを灯す事も出来る。しかも安価に。


今となっては冷や汗しか出ないが、我らはそんな比較にならぬ程豊かな国力を持つ国を侮って遠江へと攻め込み、手も足も出ず敗退した訳であるが、そんな無様な敗者である我らだけがこの豊かな国で豊かな暮らしをして良いのであろうか…。そう思い悩む日もあった。


幸い、尾張より甲斐へ大量の食料などが送られ、今年の甲斐の民は皆それなりの正月を迎えられたと伝え聞き、漸く心が慰められた気がした…。


これ迄奪う事ばかりして居った我らは一体何なのであろうな…。


そんな悶々としていた我らに、備後守様から伊勢への出陣要請があったのが四月。

殿から、元甲斐衆の活躍を期待する、とお言葉を頂いたが、此度の出陣で活躍すれば手柄無き新参者の謗りを受けることもあるまい。

実際には、誰からもその様な謗りを受けた事は無いが、このままでは何とも心が落ち着かぬのだ。



出陣要請が出た後、かつては敵として戦ったこともある村上義清殿を大将に、尾張の誇る常備軍と共に戦をする為の訓練の日々を一月ほど過した。


無論、郎党達に戦支度の準備も並行して進めさせておる。


しかし何とも、尾張の常備軍の兵というのは常識を逸脱しておる連中だ。

最初は銭雇いの兵と聞き、食い詰め傭兵の集団かと思いきやそうではなく、自ら望んで入った者ばかりで、相続する土地の無い士分の三男坊以下が中心だが、商人だろうが農民だろうが入るのに身分を問われない。


日々厳しい訓練と武芸の修練に励む他、集団で戦う訓練をし、そればかりか普請の技術を学び実際に普請もやっているという。

事実、陣地の構築などは想像を絶する手際の良さで、この兵達なら一夜城すら夢物語ではないのではないか。


その様な連中を率いて伊勢へと出陣するのであるから、同じ様に我らも動ける必要がある。


それで、我らも彼らの調練に交じり日々を過ごしたのであるが…。


尾張常備軍式の訓練法は、これ迄の武士のあり方を変えるやも知れぬな、これは…。


隊列を組む訓練から始まり、毎日隊列を乱すことなく長距離を走り込む。

身体が慣れてくれば、具足を着けて更に走り込む。

膂力には自信があったつもりだが、儂は最初連中に全くついて行けなんだ。


それが一月を経る頃には具足を着けたまま、同じように走り込める様になるのであるから、常備軍が実施している様々な訓練法がいかに優れているか分かろうものだ。


この様な調練法、一体だれが考えたというのか。

儂もそれなりに兵法や武芸の修養を修めてきたつもりであるが、まったく聞いたことも無い。


この様に、具足を着けての一糸乱れぬ長距離の行軍が可能となれば、どれ程の事が出来るのか。実際に試し戦をしてみてよくわかった。


尾張の常備軍の行軍速度は他国の軍勢の行軍速度とは比較にならない。


陣形を組んだまま迅速に移動し、すぐさま応戦できるという事がどれ程の事か。


儂は、甲斐が誇った武田の軍勢が万全の状態であったとしても尾張の常備軍に負けたのではないか、と思うのだ…。



六月に入り、我らは殿の弟であられる孫三郎様を総大将に長島城へと集まり、そして村上殿に率いられ伊勢へと侵入した。


伊勢北部はほぼ調略が済んでおり、我らが軍勢は何の障害も無く浜田城へと至った。


かの楠木正成の末裔を称する楠氏が籠る楠城は、一方が海に面し三方を川に囲まれて堀とする攻めるに難しい水城であった。


軍議の結果、無理攻めをして多くの兵を損じる下策は考えぬ事として、一先ず城を囲み軍使を出した。


結果として、降伏は拒否されたので、城攻めと相成った。


このまま囲んでの兵糧攻めが、時間は掛かるが兵を損じる事も無い良き攻め方だが、あまり時間が掛かると北畠勢がやって来てしまう。そこで水軍衆の長でもある服部殿の発案で、大型の船に投石器を載せ、海から楠城に岩を降らせて攻める、という策に決まった。


遠い海からの攻めでは城から手も足も出ず、いずれ降伏するであろうと。そういう訳だ。


そして一月近く城を囲んでいたが、伊勢国司である北畠氏に従う神戸氏と南伊勢の国人らの軍勢が守護様に臣従を約束した関氏の城を攻めておるとの知らせが届いた。楠城攻めに時間を掛け過ぎて関氏を見殺しにするわけにもいかない。投石器の船が間に合えば良いが…。


数日後、漸く蟹江や津島からやって来た尾張の水軍は、関船が小舟に見える程の大型の船数隻を中心に、数十隻の関船や小早からなる大きな船団であった。


その大船団の威容を見たからか、水城から軍船が出ることは無く、半刻後には投石器を載せた大船から城へと岩を撃ち始めた。


楠城の兵が反撃に船へ矢を射かけるも全く届かず、しかも空から降り注ぐ岩に城は無力であり、城兵達はただ右往左往するだけであった。


一しきり岩を降らせた後、再度軍使を送り込むと白装束の一団が城から現れ、降伏と相成った。


彼らは自分たちの首と引き換えに城兵や家族の助命を願ったが、どうやら村上殿は殿から命を受けていた様で、誰の自決も許さず楠親子を尾張へと送り、またその後城兵や家族も残さず退去させて、全員長島へと送った。


楠城には、我らと同じく元武田家の家臣である横田殿が、郎党と共に城代として入城した。

横田殿が伊勢出身であることが、城代に任じられた理由かも知れぬな。

横田殿は、武田では先代の信虎様の代からの家臣で、その武勇を聞いた信虎様が伊勢より招いたとも聞く。



我らは楠城攻めが終わると、直ちに軍勢を纏めて関氏救援の為に国府城へと軍を進めた。







甲斐出身者視点での話でした。

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