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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第五章 天文十八年 (天文十八年1549)
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閑話七十五 玄庵

どこかの部屋で目を覚まします。





天文十八年二月 川田佐吉



パチパチという木の爆ぜる音が遠くで聞こえる。


…俺は生きているのか…?


或いは、再び生を受けたのか…?


未だ微睡の中にいるが、かつて嗅いだことのある匂いがする…。


…この匂いは恐らく…エチルアルコールの匂い…。…もしかしてここは病院なのか…。


するとここは平成の世…。


ならば俺は戦国時代に転生したという妙にリアルな長い夢を見ていたのか?



ゆっくりと目を開くと、かつて見慣れた白い天井が見えることは無く、戦国時代の庶民が住むような天井も無い煤けた剥き出しの屋根が見えた。


どうやら俺はまだ戦国時代に居るらしい…。


「意識が戻ったか」


不意に声が聞こえ、俺は条件反射的に体を起こそうとするが、背中から脇腹に鋭い痛みが走る。


そうだった、俺は刺されたのだ。


「まだ動くんじゃない。

 傷が開く」

 

そういうと、肩に手が当てられ再び寝かされる。


視界に入った声の主は、歳の頃は四十位に見える、陽に焼けた丸坊主の男だった。


「あんたは?」


丸坊主の男は微笑を浮かべると答えた。


「拙僧は玄庵、世を彷徨い歩く乞食坊主さ」


僧侶か…。確かに洗い晒して色落ちした法衣は年季が入りくたびれていた。


「俺は何故ここに?」


「この裏路地の長屋に住む住人が、刺されて倒れている武家が居たと拙僧の処に担ぎ込んできたのよ。

 拙僧は貧乏人相手に医者の真似事もして居るでな」


「すると、治療してくれたのは玄庵殿か」


「厄介事に関わりたくは無いが、医は仁術であるからな」


「すまなかった…。

 厄介事に巻き込むことは無いとは思うが…」


「フン。

 武家でありながら供も居らず一人で刺されて倒れておれば、訳アリだと考えるのが普通であろう。

 まあいい。厄介事があるならば、もう既に拙僧は足を踏み入れておる。今更慌てる事でもない。

 

 ところで、まだ名を聞いて居らなんだな」


「失礼した。

 それがしは川田佐吉。尾張国守護代の織田備後守様の家臣だ」


「尾張とは…。

 また遠いところからわざわざ堺まで来たのに、とんだ災難に巻き込まれたものだな。

 あと少し刺された位置がずれて居れば助からなんだぞ。

 あと少し担ぎ込まれるのが遅れていても、助からなんだかも知れん」


つまり、命を拾ったという事か…。


「治るまでどの位掛かるだろうか」


「そうさな、刺し傷は深かったから、動けるようになるのに十日から十五日。

 完治には一月は見た方が良い。

 しっかり処置をしたから、あとは傷口を清潔に保てば化膿する事も無いだろう」


一月か…。それまでは堺に留まるしかなさそうだな…。


「そ、そうか…。

 しかし、玄庵殿は随分としっかりした医術を身に付けておられる様だが、何処で学ばれた?」


すると、玄庵殿は困ったような表情を浮かべる。


「まあ、色々だ。

 寺でも医術は学べるからな」

 

俺はこの時代の医術というのをある程度は把握している。

尾張や織田の勢力圏は姫様の影響で他国より格段に医術、特に金瘡医術、つまりは応急処置や外科が進んでいるが、他の地域では前世の医学を知っていると目眩がしそうな「治療」がまかり通っていると聞く。


それを考えると、玄庵殿の医術の水準はかなり高いものではないのか。


エチルアルコールの匂いがすると言うことは消毒に使っているのであろうし、刺された場所と内臓の位置関係を把握している事は先程の話から間違いない。


しかも、しっかりと包帯まで巻かれているのだ。


「つかぬ事を聞くが、玄庵殿はもしかして西洋医学を身に付けておられるのでは?」


俺の言葉に玄庵殿が驚きの表情を浮かべる。


「ほう、西洋医学とな。

 どこでその言葉を学ばれた?」

 

質問に質問で切り替えして来たか。

しかし「西洋医学」という言葉が、玄庵殿の知っている言葉で有ることははっきりした。


玄庵殿はおそらく俺と同じ転生者じゃないのか。そう睨んだ俺は、返答しながら玄庵殿にある提案をしてみた。


「尾張にある寺で学んだ。

 玄庵殿、今回世話になった礼もしたい。

 今は無理のようだが、それがしが尾張に戻るとき良ければ一緒に参られぬか。

 放浪の身なのであろう?」


「ほう、尾張の寺で学ばれたと言われるか…。

 ふむ…。

 良いだろう。

 尾張に戻られる時に同道しよう」

 

「そうか、それは重畳。

 ところで、それがしはどのくらい寝ておった?」


「三日ほど目を覚まさなんだ。

 武士が一人で居るなどという事はまずありえないであろう。

 供の者がおるのではないか?」

 

「いかにも。同行者が何人かおる。

 刺された日の昼頃、表の通りが随分と混んでおって、そこではぐれたのだ」


「ふむ…。

 確か、その日ならば神社で大道芸人の一座が出し物をしておったのだ。

 それで見物客でごった返しておったのだろう」


それでか…。

いくら堺の街を大勢の人が行き来するとはいえ、身動きも取れぬほどごった返すなどそうあることではないだろう。

おそらく、たまたまその一番混んでいるところに出くわしてしまったのだろう…。

なんとも、運のないことだ…。


だが、三日も経っているとなると、同行者達が今も同じ宿に居るとは限らない。


「なるほどな…。

 済まぬが、日比屋という店にそれがしがここに居ると知らせてくれぬか。

 それで同行の者らと連絡が取れるだろう」

 

「うむ。承知した」



こうしてその日のうちに福田殿が探してくれたのか、同行者達がここまで訪ねて来てくれた。


同行の皆が責任を感じていたのか平謝りされたが、警戒心が足りなかった自分の責任なのは間違いない。だから気にしないでくれと俺も頭を下げた。


その後、皆に事件のあらましや傷の事、そして玄庵殿の事を話した。そして相談の結果、動けるようになるまではこの長屋で療養し、傷が癒えた後に尾張へ戻ることになった。


俺がここでしばらく療養中、俺のかわりに番頭殿や孫助殿が姫様に頼まれた物品の買い付けをしてくれる事になった。


無論、俺を担ぎ込んでくれた長屋に住む人たちにも礼をした。


残念ながら、俺を刺した犯人については、今となっては手がかりもない。


唯一の遺留品である俺に刺さったままだった短刀は、銘も無い数打ちの有り触れた品物で、ここから辿ることも出来なかったのだ。



結局、動けるようになる迄に二週間を要し、その後は日比屋の主人が長滞在するのならと、離れを用立ててくれたのでそこで療養した。


俺のために細々と働いてくれた小者が堺の街にすっかり馴染む頃、やっと玄庵殿がもう問題ないと診断したので、玄庵殿を同道して尾張への帰路に就いた。


長屋の住人達は玄庵殿に随分と世話になっていたようで、住人総出での見送りだった。


しかし俺は、折角一ヶ月も堺に居たにも関わらず、ほぼ療養で部屋に籠もりきりだったとはもったいない事をしたものだ。


姫様に頼まれていた案件をすべて済ませることが出来たのが、せめてもの救いか。



九死に一生を得た佐吉くんでした。

怪しい乞食坊主を連れて尾張に戻ります。

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