第百五十六話 古渡での正月
今年は正月の二日目に古渡で挨拶客を迎えます。
『古渡での正月』
天文十八年の正月二日目、今日は年始の挨拶に来てくれる訪問客と会うため、古渡の方に来ています。
古渡に到着するとまず藤三郎殿が新年の挨拶に訪れ、義元公からの手紙を渡してくれました。
内容は雅な雰囲気を漂わせる年賀の挨拶と、春頃また雪斎和尚が訪問するという連絡でした。
恐らく武田など甲斐信濃の今後についてや、今年の尾張の動向を確認に来るのでしょう。
そのついでだと思いますが、私のところにも訪問すると書かれてありました。
雪斎和尚程の方が、私如き小娘の元にわざわざ足を運ぶというのは、外聞的に大丈夫なのでしょうか。少し心配になりますね…。
そして次に訪れたのは佐吉さん夫妻でした。
「姫様、去年は私の士分取り立てにお口添え頂いたり、一方ならぬ厚情感謝に堪えません。
今年も御恩にお応えすべく懸命に励む所存にて、よろしくお願い申し上げまする」
「去年も川田殿の良き働きのお陰で、我が弾正忠家は更に豊かになりました。
誠に大儀でした。
今年もやって貰いたいことがたくさんあります。
期待しておりますよ」
「ははっ」
「梓さん、お腹が大きく見えますが、もしかして?」
「はい、ここに子供がおります」
「それは、年始早々めでたい話が聞けました。
元気な子が出来る事を期待しておりますよ。
何か手助けが必要な時は遠慮なく頼ってください」
「はい。お気遣い有難うございます」
「出産の予定はいつごろでしょうか?」
「おそらくは春の終わりごろでは無いかと思います」
「わかりました。子供用の掛布団をお祝いに用意しましょう。
今から、二人の子供を見るのが楽しみですね」
「有難うございます。
きっと元気な子を産んで見せます」
そういうと梓さんは微笑みました。
心なしか尾張に来たばかりの頃に比べると表情が柔らかくなった気がしますね。
「正月が明けたら、川田殿に頼みたいことがありますので、また使いを出します」
「ははっ。お待ちしております」
「それと梓さん、台所に餡餅がありますのでよかったら持って帰ってください」
「あ、ありがとうございます。頂いて帰ります」
佐吉さんも一児の父になるんですね。
そういえば、佐吉さんは前世では子供はいたのでしょうか。
川田夫妻が帰った後、挨拶に来たのは清兵衛さん一家です。
一家はみなよそ行きの綺麗な着物で、清兵衛さんは紋付の羽織を着ています。
今日の姿だけ見れば商店の主にも見えますね。
可愛らしい色の着物を着た清兵衛さんの娘さんもすっかり大きくなりました。
そして、奥さんが去年生まれた赤ちゃんを抱いています。
「姫さん、去年も面白い仕事沢山させて頂き、有難うございやした。
今年も楽しみにしておりやすぜ」
「清兵衛さん、今年もよろしくお願いしますね。
赤ちゃん、無事産まれた様で何よりです。
可愛いですね。男の子ですか?」
「へい、男の子でやす」
「元気に育てば、清兵衛さんの跡取りとして活躍してくれそうですね。
ところで蒸気式のハンマーとふいごは使えてますか?」
「へい、それはもう。
最初は戸惑いやしたが、慣れてしまうとこれ迄出来なかったことが色々出来る様になりやした。
人の力では実現出来ない力でふいごを吹き込み、槌を叩けばこれまで見る事が出来なかったものが見えてきやす」
「そうでしょう。
使いこなせば、きっとより良いものを作り出せると思います。
今年の働きも期待しておりますよ」
「へい、それはもう」
そのあと、清兵衛さんの赤ちゃんを抱かせてもらいました。
やはり赤ちゃんは可愛いですね。
新年のお祝いにお餅やお菓子、焼酎などを持たせました。
その次に来たのは瀬戸の陶工さんです。
瀬戸の窯でも今はガラス工房が作られ、ガラス製品の製造が始まっています。
流石に梓さんの処の工房の製品にはまだまだ追い付きませんが、精度や品質を要求しないような製品であれば瀬戸のガラス工房でもそれなりの値段で作れます。
お陰で、ガラスコップなどの他、ガラス製の醤油差しみたいなのが出来てますね。
「姫様、こちらの方が最近の瀬戸の製品になります。
年始のご挨拶に、お土産にお持ちしました」
「有難うございます。
早速拝見しますね」
持参した箱の中に入っていたのは、ガラスコップセットですね。
一つ手に取ってみて、驚いたのは八角形の形になっている所です。
他の物を取り出しても皆同じ形で寸分たがわず八角形です。
「これは、型に入れて作りましたか?」
「はい、古渡の工房の指導で型にはめる事の出来るガラスの調合を教えてもらったのです」
門外不出にしていたような気がしますが…?
「そうでしたか、しかしこの調合は外には出さなかった筈でしたが…?」
「はい、そう聞いております。
ですが、備後守様がガラス製品を贈り物などに使いたいとご要望になりまして。
古渡の工房では湯呑など沢山作るような品は作りませんから、瀬戸で作ることになったのでございます。
無論、我らのガラス工房からは門外不出にございます。
特に、調合法はごく一部の者しか知りません」
「そうだったのですか。
確かに、古渡の工房では数を作るような品はあまり作りませんね」
確か今は各種レンズの製造で手いっぱいの筈…。
「良いものを頂きました。
これならばいい商材となるでしょうね」
「それはもう。
これも、備後守様と姫様のおかげに御座います」
「今年も良い品を作ってくれることを期待していますよ。
以前陶器で作ってもらっていた小瓶など、本当はガラス製の方が良いですから」
「はい、既に小瓶の方も制作に掛かっております。
まだうまく作れては居りませんが、今年中には何とか」
「それは楽しみです」
瀬戸の陶工さんにも皆さんで飲んでくださいと、焼酎の樽を持たせました。
その後は、津島の大橋さんの名代の方や、熱田の加藤さん、近江の布施屋さんからも名代の方が来てくれました。
近江の布施屋さんは、越後同行の際の功績が認められて我が家での取引も増えていて、最近では清洲の城下町に店を出しました。
布施屋さんは麻や木綿、絹などの糸や布、衣類の他、薬の取り扱いもしているので、割と繁盛している様ですね。
今年も来客が絶えると千代女さんと二人でお餅を焼いて食べます。
餡餅を作って貰ったのですが、なかなかおいしいです。
千代女さんは明日はお休みで尾張にある望月の村で同郷の人たちとゆっくり過ごすようですね。
信広兄上は今年は来ないのですが、新しい本がほしいと手紙に書いて居ましたね。
次期守護代様にはどんな本が良いでしょう。
OODAループを分かりやすく実戦風に書いて送りましょうか。
多分、上の立場で仕事をする上で必要な考え方だと思うんですよね。
彼を知り己を知れば百戦殆からずとも言いますが。
大きなビジョンを掲げ意思統一を図る。
彼を知り己を知り地の利を知り時の利を知る。つまりまず広い視野で良く観察する。
そして次に観察結果をもとに状況判断し方向性を決定する。良く観察した上での判断であるから、的確性は高まります。
決まった方向性を元に、具体的な方針や行動計画を策定する。
そして、行動する。
行動した場合は、勿論その推移を良く観察し、必要があれば方向性を修正するところから最適解になるまで繰り返す。
これを具体的な事例を交えて本にして送るとしましょう。
でも勘助殿が傍にいますし、案外既に実践している可能性もありますけどね。
全部書いていると長くなるので端折りました。




