閑話七十二 真田幸綱 伊勢
幸綱は信秀に呼び出されます。
天文十七年十二月 真田幸綱
姫君の講話を聴いてから数日後、殿がお呼びだとの事。
早速登城の準備をすると、殿の元へと向かった。
「殿、お呼びと伺いましたが…」
「うむ、入ってくれ」
「はっ」
部屋に入ると殿の他に既に先客が居た。
殿の元へと出仕する様になり多くの方と会ったが、この御仁はまだ知らぬな…。
「急に呼び立てて済まぬな」
「いえ」
「この者は儂の家臣で海運奉行を任せておる服部左京進だ」
「左京進にござる」
儂と同世代位の陽に焼けておるのか地黒の男が紹介され儂に挨拶をしてくる。
「左京進、この者が新たに信濃にて召し抱えた真田幸綱殿だ」
「真田幸綱にござる、以後お見知りおきくだされ」
「こちらこそ、よろしくお頼み申す」
挨拶も済んだところで、殿が本題を切り出される。
「さて、二人を呼んだのは頼みたい仕事があるからだ」
「「はっ」」
「左京進は知っておると思うが、我らの駿河から続く商圏は伊勢の大湊、桑名の湊にまで影響を与えておる。
伊勢の商人どもは我らに従っておるわけでは無いが、商圏の拡大によってもたらされた銭や物は大湊や桑名を経由して畿内や堺へと向かう故、大いに潤っておるのだ。
大湊や桑名の湊は公界でありどこかに従っておるわけではないが、横領がまかり通るこの乱世で無縁が保証されるわけもなく、結局は周りで勢力争いをして居る国人どもに矢銭を提供することでそれを保っておるわけだ」
儂はまだこの辺りの事情には疎く、伊勢も神宮があり国司がおるくらいしか知らぬな。
しかし服部殿は事情をよく知っておる様で特に表情を変える事も無いな。
殿は一度話を切ると我らの反応を見て、更に話を続けられる。
「先に話した様に、大湊や桑名の商人共は以前に増して潤い羽振りが良い訳であるが、伊勢全体が豊かになり国人どもまでその恩恵を得ておるわけではない。
いずれ時が経てば波及するだろうが、それを実感するにはまだまだ時間が掛かろう。
国人どもは、そんなに商人どもの羽振りが良いのなら分け前を寄こせとばかりに、矢銭の要求をひっきりなしにするようになったのだ。
伊勢は四十八家と号する大小の国人共が割拠するという特殊な国柄故、矢銭の要求は一家からのみという訳ではなく、その四十八家全てではないが近隣の幾つもの家から何度も要求される為、商人どもからすればそれこそひっきりなしに感じるであろう」
再び話を切られると、控えておる小姓に声を掛け茶を所望する。
「少々喉が渇いた故、茶を頼んだ。
最近、手に入った茶なのだがなかなか美味くてな。
身体にも良いと聞く故よく飲んでおるのだ」
既に用意されてあったのか、それ程間を置かず盆に器を載せ捧げ持った小姓が入ってくる。
透き通った湯呑に注がれた透き通った褐色の茶か…。
尾張で最近流行っておるらしい硝子で出来た湯呑だが、尾張に来て初めて見た時は驚いたものだ。
流石にそれ程安いという訳ではない故、儂はまだ一つも持っておらぬが流石殿だ。この様な席にまで使われておる。
すすめられるままに飲んでみると、サッパリとして確かに美味いな。
「これはいかなる茶にござろうか」
殿は微笑まれると答える。
「これは柿の葉を乾燥させ、それを煮出して作った茶だ。
遠江から最近家臣の元に輿入れして来た娘が持ち込んだ茶であるが、安く簡単に作れるので重宝しておる」
「拙者も最近はこの茶をよく飲んでおりまする。
柿の葉は手に入り易くござるからな」
「そうでござるか、確かに柿の葉なれば手に入り易くござるな。
国元の者らにも教えてやらねば」
「はっはっは。
それが良い」
皆で笑ったところで器を片付けさせ、話に戻る。
「それでだ。
商人共が如何に潤っておろうと、こうも矢銭の要求が度重なれば商いに差し支える所まできておって、もう応じきれぬと渋り出したのであるが、それに腹を立てた国人共がこれまではそこまではせなんだのだが、軍勢を繰り出してきて威圧する様になったのだ。
流石にまだ攻め込みはして居らぬ様だが、こんな有様では安心して商いが出来る筈もなく、いつ攻め込まれるのかもわからぬ有様であると。
それで、武衛様に助けを求める使者を送って来たのだ」
「…伊勢なれば国司が居られるのではござらぬか?」
「国司の北畠殿が治められるは南伊勢であり大湊はそこにある。此度助けを求めてきた桑名は北伊勢にありその北伊勢が四十八家が割拠する土地なのだ」
「なるほど…」
「北伊勢はその様に特異な国柄故に、助けを求められたからといって簡単に軍勢を出して平定するという訳にもいかぬ。
北伊勢四十八家は普段はそれぞれが勢力争いをしていがみ合って居るが、他国より攻められれば一致団結して外敵にあたるという不文律がある故、下手に手を出せは四十八家全てを敵に回さねばならぬ羽目になりかねないのだ。
更には南伊勢の北畠氏が介入してくると更にややこしいことになる。
かといって、桑名の湊を助けるには北伊勢を平定せねば恐らく解決せぬし、桑名をこれで従えられることは我らの利も大きい」
「「はっ」」
「そこでその四十八家、正しくは五十三家らしいがそれら北伊勢の国人共の切り崩しを真田殿に頼みたい。
左京進は真田殿の与力を頼みたい」
余り事情も知らぬ地で調略など可能なのであろうか…。
「真田殿の信濃でのお活躍はお聞きしておりまする。
我が服部党が、存分の働きが出来る様与力致しまする故、安心くだされ。
我らは長く北伊勢と尾張の境に暮らす者。伊勢の事情ならば良く存じておりまする」
なるほど、それで服部殿がここに居られるわけか。
ならば服部殿に調略の仕事を任せればいいのではないかとも思えるが、儂が高禄で召し抱えられた理由というのがこの様な仕事の為なのやも知れぬな…。
「ははっ。
ご期待に添える様、励みまする。
服部殿、よろしくお頼み申す」
「うむ。期待しておるぞ」
「「ははっ」」
こうして、服部殿と儂で北伊勢の調略に掛ることになったのであるが、暫くは服部殿から伊勢の事情を良く教えてもらわねばならぬな…。
後日、殿に時間を取っていただき、源太郎を姫様の近習へと願い出たのだが…。
近習ならば嫡男である勘十郎の元に付ける方が良いのではないか、と言われた。
近習はいずれ腹心ともなる立場故、嫡男に付けるのが妥当であろうと。
姫はいずれ他国へ輿入れするかも知れぬ身で、今も警固の武士しかつけては居らぬとも言われた。
侍女なら話は別なのだがなとも。
確かに、落ち着いて考えればそうであるな…。
娘はおるがまだ侍女に出せるような年齢ではない…。
だが勘十郎様は謹慎中とも聞くし、あまり良い評判を聞かぬ故、あえてそういう人物の近習へ我が子を付けるのは考えものである故、ならばと殿の近習として使って頂く事になった。
更に次男の徳次郎を寺へ手習いに通わせることにした。
伊勢四十八家の切り崩しの仕事を与えられました。
服部左京進を相棒に役目に邁進します。




