閑話七十一 真田幸綱 尾張に来て
尾張に来てからの真田幸綱視点の話です。
天文十七年十二月 真田幸綱
尾張へ移り住んで来て早いものでもう一月半になる。
最初古渡に屋敷を与えられたが、殿の守護代就任に伴いすぐに清洲に引っ越しと相成ったのには驚いた。
こちらに来て色々と話を聞いて初めて見知ったが、守護たる斯波武衛家の片腕とも言われておった殿がまさか尾張半国を治める守護代家の戦奉行でしかなかったとは。
立場と身分があまりにも違い過ぎておったため、それを正す意味で此度の尾張一国の守護代就任という事になったそうだが、力あれば奪い取るが常識となっておる今の時流では稀有な事例では無かろうか。
殿は儂を高禄にて召し抱えて下さったが、領地は本貫だけで尾張では新たな所領は頂けず、銭での扶持となった。
一族には田舎侍と軽く見られて居るのではと言う者も居ったが、儂と儂の家族に郎党だけで尾張に参った事を考えると、地縁も血縁も薄い地で新たな所領を頂くよりは、今の様に清洲に屋敷を宛がわれ銭で禄を頂いておる方が気が楽で良い。
甲斐から参った武田の旧臣らは元々の本貫に応じて所領を貰った様だが、替地故本貫は召し上げ、結局一族で移り住んで来る事になった者が多い。
しかも、尾張は村の貫高が甲斐よりも高いため貫高は同じでも以前の所領の広さよりかなり目減りしておるようだ。
とはいえ、人心も知れぬ慣れぬ地で以前の様な所領を宛がわれるよりは、今の様に自らの手の届く広さの所領に殿が必要に応じて派遣して下さる代官の力を借りて経営し、自らは殿の膝元の清洲で宛がわれた屋敷で暮らす方が楽だと話しておるようだ。
こちらに移り住んで来てから、方々に走っておる馬車に乗り色んな所に行き見聞を広めたが、この尾張は甲斐とはまるで違う国であるな。
何よりこの国には飢えた者が殆ど居らぬな。
村々の暮らしぶりは良く、皆血色良く明るく暮らしておる様に見える。
これが毎年の様に戦を繰り返しておる国なのかと思えるほどにだ。
聞けば戦に出れば乱取りを禁じておる代わりに恩賞に米や銭などが出るらしく、農繁期でなければ陣触れに応じる者も多いとの事だ。
しかも戦で戻れなんだ者、傷ついた者の家にも色々と手当があるようで、これも豊かな尾張の余力のなせる業なのであろうが、殿の軍勢の士気の高さもそれなら頷ける。
また村々の溢れ者ばかりか他国より流れてきた者達はすぐさま集められ、普請仕事を斡旋しておる役場に送られる。
そこで仕事と扶持を与えられ、一定期間働けば新田開拓し新たな村を作る時、その一員に加えてもらえるそうだ。
これは豊かな尾張ならではの取り組みと見えるが、この事により溢れ者流れ者が問題を起こすことを防ぐ事にも繋がり、更には新たな働き手が得られるという一石二鳥の効果がある。
この様な様々な仕組みは他国では殆ど聞かぬ事であるが、どれも理に適っておるな。
これらの取り組みが回りまわって更に尾張を豊かにしておるのだろう。
だが何と言っても、世話人の勧めで訪れた寺での出来事に一番驚かされた。
その寺では殿の姫君が講話を聞かせておるとか。その事自体が普通あり得ぬ話であるが、何と言っても姫君は未だ齢十五だというから自らの目で見て話を聞くまでは信じられなんだわ。
その日、寺を訪れると既に話を聞きに訪れた者が多く寺の講堂に居り、姫が来られるまで雑談をして居った。
その場には武士ばかりか地侍や僧侶、商人もおり、身分など無いかのように気軽に話して居った。
儂も郷に倣えと近くに居た者に話しかけ、色々と話を聞いた。
やはり、この場は出身身分を問わず自由に話して構わない場なのだと言っておった。
そんな場がこの世に存在するとはな…。
だが、その者の話ではそれでこそ得られる知識や情報があると。身分を気にする者は来なければいいし、守護様も偶に訪れるここで問題を起こせばただでは済まぬとくぎを刺された。
どおりでこの寺には僧兵は居らぬが警固の武士らしき者らが居るわけだ…。
更に別の者に聞いたが、この場では出自身分を問わず話が出来る故、仕官の口を探す者も来る様だな。身分ある御方に自らの意見を自由に述べられる機会などそうある物ではない。
あそこに居る地侍風の男など、そうなのかもしれぬな。
その場の者らと話をして居ったら、姫君の到来を告げる声が聞こえて来た。
尾張では殿の姫君は〝賢姫〟と知られておるらしいが、さてどんな御仁か拝見するとしよう。
そんな気分で姫君が入ってくるのを待っておったら、二十過ぎにも見える長身の姫君が入って来た。
さっきまで雑談に満ちていた講堂が静まり返る。
しかし、お美しいとは聞いておったが、これ程とは…。
ただ美しいだけではなく、魅入られるような不思議な魅力を放つ姫君であられるな。
二十過ぎにも見えるが、よく見れば聞いた通り十五くらいに見える。
内から滲み出す雰囲気が年長に見せるのかもしれぬ。
その日、姫君が語った内容は正に儂が聞いてみたかった道に関してであった。
殿が熱心に進めておられる道の整備の意味とその利点と欠点。その欠点を補う方法。
軍事の事、商いの事、様々な視点から分かりやすく話される。
そんな講話を聴いて初めて、儂はこれ程の人々がここに話を聞きに通う理由が解った。
それこそ寺通いというと元服前の者が多いが、この場に限って言えばその枠に収まらぬ。そればかりか数は少ないが女子まで居るのだ。
そして、講話が終わると質疑応答があり、そこでも姫君は澱みなく答えられる。
その後、講堂の皆で講話の内容についての自由な討論が行われ、様々な意見が取り交わされる。
それを見聞きしながら儂は思った。この場ではどれ程の事を学べるのであろう。儂の歳であっても、ただ話を聞いておるだけでも随分と見識を広められる。
それにここで姫君が語る内容は恐らく殿の方針と無関係ではあるまい、そう考えれば儂の子らも直ぐにこの寺に通わせねばならぬな。
そこまで考えて、ふと周囲に目をやると、今頃になって気が付いたが見知った顔が何人もここに居った。こちらには気づかぬ様子であるが典厩殿まで居られるとはな…。
それはともかく、此度の講話を聴くと殿の軍勢の甲斐信濃攻めはこの道の利点を存分に活かした策だという事がよくわかる。
後で知ったが、我らが信濃で戦っておった頃、武田の軍勢が攻め入った遠江には尾張から直ぐに鉄砲衆が後詰に行き、武田の軍勢を遠江の匂坂と云う土地に誘い込んで散々に叩いたが、同時に三河から二万もの兵力で山間の道を抜けて信濃の入り口である犬居にて待ち伏せて、匂坂から敗走して来た武田勢を更に叩いて降伏させたとか。
それに儂も調略に働いたが、恐らく動いておったのは儂だけではあるまい。儂の働きという事になったが、明らかに儂が動いておらぬところまで手が回っておった。
儂は後でその話を知ったとき、武田を嵌めたと思えるほどの周到さを感じたのだ。
精強を誇った武田の軍勢は遠江という慣れぬ地で罠に嵌められたが如き敗戦をして多数の手負い討ち死にを出したが、殿の軍勢は全ての戦で村上氏との戦が一番手負い討ち死にが多かったと聞く。その村上氏との戦以外戦の無かった甲斐信濃を殿は平穏に手中にされた。
事前に周到な準備と策が無ければこれ程の差は生まれまい。
そんな此度の戦で一番手柄は見事武田の軍勢を討ち果たし降伏させた三河勢という事であったが、小勢とはいえまとまった数の鉄砲を揃えそれを存分に活かす為の陣地までこしらえたという弾正忠家の鉄砲衆の功績はそれほど小さきものであろうか。
鉄砲奉行たる鈴木殿は功を何も語られぬ御仁故詳しくはわからぬが…。
それにしても、この先殿にお仕えする上でも、この姫君とは是非懇意にせねばならぬな。
歳も近いし源太郎でも近侍させるのが良いのかもしれぬ。
早速殿に願い出てみるとしよう。
幸綱は新しい家でどう生き残るか考え中です。




