第百五十話 清洲へ
清洲へ引っ越しです。
『清洲へ』
結局、末森には一月程度暮らしただけで、清洲に引っ越しとなりました。
母達はもう少しだけ末森に居たようですが、それでも二月は居なかったようです。
父の事情とはいえ母は折角落ち着いてきた新築の屋敷から古い清洲城へ引っ越す事になり、気落ちしているのではと思いましたが、母は思いのほか今度の引っ越しを喜んでいる様です。
守護代の城へ移るという事は、これまでの守護代の戦奉行という陪臣の立場から、名実ともに尾張を差配する守護代という立場になったという意味があるという事を滔々と私に語って聞かせてくれました。
確かに守護代の城はさながら守護様の居られる守護館をお守りする様にすぐ隣にありますね。
でも、喜んでいる理由はそれだけでは無くて、実は父と同じ屋敷に暮らせるからかもしれません。
『伊勢』
清洲に引っ越して直ぐに父が訪ねてきました。
甲斐信濃の戦の後始末が一段落してすぐに守護代に就任し、新たに任地に赴任する伊勢守、大和守両守護代からの引継ぎに忙殺され、直接会うのは久しぶりです。
父の来訪を告げる声がすると、ややして父が入ってきました。
「吉よ、久しいな」
「はい。
父上、先の勝ち戦と守護代就任、おめでとうございます」
父は微笑みます。
「うむ。
よもや儂がこの様な日を迎えるとはな。
いまだに信じられぬ。
以前吉が言った通り、勝ち続ければいつか道は拓ける。
その通りであったわ」
「父上がこれまで懸命に励んで来られた事を守護様をはじめ多くの方々が見てきましたから。
だからこそ、両守護代様が守護様に尾張守護代職返上を申し出たのです」
「なんと、お二方が自ら返上を言われたのか」
私は太田殿からこっそり経緯を教えて頂いたのですが、父は知らなかったようです。
「その後は武衛様のご采配だと聞いて居ます。
兄上も、当代の大和守家の守護代様が再び隠居なされば、三河守護代に就任しますね」
「大和守様も思い切った事をなされる。
信広を養子になされるとは。
これも定めか…」
父が遠い目をします。
ややして視線を戻すと、話を続けます。
「甲斐信濃は吉の策で兵をあまり損じることなく勝ちをおさめることが出来た。
改めて礼を言う」
「お役に立てたようで何よりです」
「ふふ。
吉は変わらぬな」
「そういえば、武田次郎殿が訪ねて参りましたよ」
「もう訪ねたか。
討ち死にした晴信殿の弟なのだが、気持ちの良い御仁でな。
力を貸してやってくれ。
武田は今求心力を失っておる故、助力せねば甲斐が乱れるやもしれぬ」
「はい。
既に、泥かぶれの対処法をまとめた本を差し上げました」
「相変わらず周到な事だ。
はっはっは」
「ふふふ」
「おお、そうであった。
吉も耳に挟んで居ろう。
伊勢の件よ」
「確か、桑名の商人らが北伊勢の国人らの矢銭の要求が酷く武衛様に助けを求めてきているのでしたね」
「うむ、その事よ。
北伊勢はややこしい土地柄であるが、武衛様に助けを求めてきている以上、無視する事は出来ぬ。
吉なれば如何する」
「北伊勢は北勢四十八家、厳密には五十三の国人らがそれぞれが個別に独立している国であり、利害関係や力関係、縁戚関係などが錯綜しており、非常に複雑です。
他国の人間が生半可に手を突っ込もうにもとんだ藪蛇を掴む事になりかねません」
父が頷きます。
「ならば、威圧の意味も含めて初手から大軍を以て攻めれば、降伏する家も出るかもしれませんが、あの国は平素はそれぞれの国人らが争っているにも関わらず、外から攻められると一つの家を攻めたとしても、残りの家が後詰に来ます。
それが、あの国の暗黙の了解です」
「故に、軽々に手を出すのは憚られるのだ」
「ですが、攻める前であれば日々国人同士が争っている土地柄です。
ならば先に調略をかけて切り崩し、靡かなかった家を他家が後詰に来るまでに速戦即決を以て落としていく。
幾つかの国人、特に有力国人を下すかこちらに引き入れることが出来れば、雪崩を打つように下ってくる可能性も高いと思います。
結局、父上もよくご存じの様に、国人というのは一所懸命、本貫安堵されて家が保てるならば、利ある方に靡くのが常です。
わざわざ根切覚悟で徹底抗戦するような家は僅かでしょう」
「ふむ。
確かに、これまでもそうやって多くの国人を従えてきた。
伊勢もいきつくところはそこか」
「はい。
また、甲斐や信濃から来たばかりの方たちは働き場が欲しいでしょう。
折角優れた方を高禄で迎え入れたのです、ここは真田殿に伊勢の調略を任してはどうですか。
勿論、真田殿は信濃出身で伊勢の事情には疎いはずですから、与力に服部友貞殿と服部党をつけるのが良いと思います。
服部殿は伊勢の事情に良く精通しておられると聞きますから、きっと良き働きをしてくれるはずです」
「真田殿か。それに服部左京進か。
うむ、ではまずは両名に任せてみよう。
その上で、攻める時には甲斐や信濃から新たに来た者らを使うという事だな」
「はい」
「良く分かった。
それにいざとなれば伊勢なれば隣国故、何かあってもすぐに後詰することが出来よう。
良く聞かせてくれた」
甲斐信濃の次は伊勢ですか。
大きな戦にならなければ良いですが、問題は北畠氏でしょうね。
当代の英傑である北畠晴具様が出てくると厄介なことになります。
伊勢攻略の初手は調略の名手真田幸綱と服部貞友で始まりです。




