閑話六十四 織田信秀 信濃平定
信濃平定の戦の解決編です。
天文十七年十月 織田信秀
村上義清からの返答は〝攻めて参れ〟であった。
やはり一度鼻っ柱をへし折ってやらねば大人しくはなるまい。
軍議の席にて策としては、砥石城に籠もる村上勢を釣り出すため、高梨殿ら信濃北部国人衆に村上義清の本拠である葛尾城を攻めさせ、釣り出したところで北部国人衆とこちらから出す別働隊で挟撃する事と決まった。
別働隊は小笠原長時様の推薦で、重臣である平瀬義兼殿が信濃国人衆を率いて出陣、ということとなった。
此度の信濃・甲斐での戦を勘十郎の初陣にと考えて連れてきておるのだが、確実に勝てるという戦でなければならぬし、かといって城を囲んだだけで何もせずに初陣というわけにもいかぬ。
もう此の先は武田の主力が居らぬ甲斐に入る故、恐らく野戦は考えられず城攻めばかりと言う事になろうから、やはり初陣はこの機会しかあるまいな。
そう考えると、儂は那古野勢を与力として別働隊につけることにした。
信濃勢からは特に否もなく、暫くして高梨殿より出陣が知らされ、そして真田殿より村上勢が葛尾城へ救援に向かったという知らせを受けると、策に従って別働隊は出陣していった。
出陣していく勘十郎の様子に一抹の不安を覚えたが、林美作の他に柴田権六、佐久間半介もおれば大丈夫であろう。
だが、そう思ってもどうにも不安が拭えぬ。
親心なのかそれとも虫の知らせなのか解らぬが…。
儂は斎藤義龍殿をすぐに呼んだ。
「備後守殿、何かござるか」
「新九郎殿、万が一の時に備えここに兵を伏せて貰えぬか」
儂は地図の一点を示す。
「この場所は…、万が一別働隊に何かあった場合に追撃する敵勢に横槍せよ。
という事にござるか?」
「左様、此度の別働隊に初陣の勘十郎の那古野勢を与力に付けたのだが、儂は誤ったやも知れぬ。
村上義清は相当な戦上手と聞く。もし新九郎殿が義清の立場で本拠を後詰されるならばどうされる?」
新九郎殿は腕を組み少し考えると答えた。
「それがしであれば…。
本拠を見捨てることなど出来ませぬ故、砥石城は捨てる事を考えて最低限の兵のみ残し、本拠へ急行して籠城を考えまするな。
我らのこれほどの兵力、普通に考えれば長期に亘って維持するのは困難でありまするし、何れ武田も戻ってまいりましょうから、葛尾城で籠城する意味はあるでしょう。
但し、葛尾城に戻ったは良いが高梨勢が城を囲むどころか待ち構えておった場合、其れを無視して城に駆け込む事など出来ませぬ故野戦となりまする。
そこに、もし追撃の軍が来て挟撃されれば目も当てられませぬ。
故に、追撃の軍が来ないというのはありえぬと考え、それがしならば地の利を活かして途中で伏兵し、追撃の軍勢を先ず叩いた後に後詰めに向かいまするな」
「儂も新九郎殿と同じ考えに至った。
お願いできるか?」
「承った」
「可能であれば村上義清は捕縛してもらいたい。
もし捕縛できれば無駄な城攻めを減らせる」
新九郎殿は苦笑いすると頷き戻っていった。
そしてその日の日暮れ時、此度の戦に出陣した者たちが戻ってきた。
結果としては村上義清を捕縛し、村上勢は多くを討ち取られ降伏。
本拠の葛尾城や周辺の村上方の城も、当主が捕縛され味方の軍勢も壊滅したとなればこれ以上の抵抗は無益と判断し、皆開城したのであった。
砥石城は滋野三家の内通者が内部に居た様子で後詰出陣の混乱に乗じて城の乗っ取りに成功し、無事取り返すことが出来た。
但し戦としては勝ちではあるが、危惧した通り別働隊は村上勢の待ち伏せに遭い総崩れのひどい有様と成り果てており、もし美濃勢の横槍が無ければもっと大勢の討ち死にが出たであろうな。
儂は軍議で、高梨勢との戦が始まった後に挟撃すると策を話したが、追撃する際に無警戒に性急に軍を進めよ、とは言わなんだはず。村上勢の後からゆるゆると軍を進めておれば、もし待ち伏せに遭い混乱はしたとしても総崩れまでは行かなんだ筈だ。
とはいえ、最早詮無き事。
本陣に何とか生還した平瀬義兼殿は落ち武者の如き酷い有様で、到着と同時に平伏した。
「申し開きのしようもござらん。
拙者が軍勢を抑えきれなんだばかりにこの様な仕儀に…。
この上は腹を切ってお詫び申し上げまする」
しかし、それを予見できなんだ儂の失態でもある。
「義兼殿、頭を上げてくだされ。
勝ち戦に腹を切るなどと、水を差すようなことをなされますな。
勝敗は兵家の常。大事なことは此度の失敗を糧とすることに御座ろう」
儂は自らを戒める気分だった。
「長時様、それでよろしゅうございまするな」
長時様はジッと見据えて考えておられたが頷かれる。
「義兼、備後守殿の言われる通り、勝ち戦に水を差すような無粋な真似を致すな。
此度の失敗を糧に致し今後に活かせ」
「ははっ。
此度討ち死にした者らの死を無駄にせぬよう益々励みまする…」
義兼殿はさらに平伏し退出していった。
次に新九郎殿と縛められたままの村上義清殿が入ってくる。
「備後守殿、これなるが村上義清殿に御座る」
義清殿はキッと居合わせる諸将を睨みつける。
「新九郎殿、ご苦労で御座った。
お陰で村上方の城はすべて開城し、無駄な血を流さず済み申した」
「何よりに御座る。
これで信濃の平定はなり申したな」
「うむ。
あとは甲斐の武田を何とか致せば信濃は安定しよう。
さて、義清殿。
意地は十分見せていただいた。
我らの力と決意も十分見ていただいたと思うが如何か」
義清殿は不敵な笑みを浮かべる。
「結局、他国者の力を借りねば信濃は収まらなんだという事か。
念願の平定がなり、気分はいかがでござる。長時殿?」
名指しされ激怒しそうになる長時様を何とかなだめる。
「その様な有様だからこの信濃が纏まらなんだのであろう。
皆が一致協力しておれば武田に蹂躙される事も無く多くの無辜の民が苦しまずに済んだのだ。
我らがここに兵を出したのは何も信濃に野心があったからではない。
武田が我らの遠江を攻めた故、二度と悪さが出来ぬように甲斐を攻めるため、ここに来たのだ。
無論、ここに居る諸将には既に話したように信濃の安定は我らの利にもなるという理由もある。
さて、義清殿。
改めて問う。如何いたす」
「…儂は長時殿に臣従など承服できぬ。
儂自らが長時殿に負けたならいざ知らず、儂は長時殿には負けておらぬ。
他国者の織田殿に負けたのだ」
「義清殿、貴殿は儂が奉ずる斯波武衛家に連なる血筋の御仁故、粗略な扱いは出来ぬ」
それを聞き義清殿の表情が少し明るくなる。
「だが、義清殿をこのまま放ち置くこともできぬ。
あぁ義清殿、この場を言い繕って越後を頼ることは出来ぬぞ。
我らと越後の長尾殿とは、信濃の安定を以て盟を交わす約束になっておる故な。
頼ることは出来ても二度と信濃には戻れぬと考えられよ」
儂は義清殿を見据える。
すると再び義清殿の表情が暗くなる。
「義清殿、貴殿は長時様に臣従しなくて構わない。
だが今日この場で隠居し、家督を子息の義利殿に譲っていただく。
所領は本貫のみ安堵。義清殿が奪った地はすべて元の家に戻す。
その上で、貴殿は尾張に一緒に来てもらう」
顔を真っ赤した義清殿が儂を睨みつける。
「そんな、織田殿に都合のいい事ばかり。
承服できるわけなかろう!」
「承服するしないではござらん。
今の村上氏の立場を少しは考えては如何か。
城はすべて失い、主だった武将の多くは討ち死に、あるいは捕縛され、そしてその当主である義清殿もまたここに囚われておる。
武衛様の慈悲に縋りこの信濃で家を繋ぎ、これからの繁栄を共に享受するか、それとも信濃から消えて無くなるかの二つに一つにござる」
義清殿の顔から生気がスッと失われ、そして項垂れる。
「備後守殿の言われる通りに致す。
儂はこの日を以て隠居し、備後守殿と共に尾張に参りまする…。
義利の事、よろしくお頼み申す」
「よくぞ決断してくれた。
では、長時様、そして信濃国衆の皆々方もそれでよろしいな。
本貫は安堵、これ以上私闘し領土を拡げる事はまかりならぬ。
その様な事を認めては、結局また信濃が荒れるだけに御座る故」
長時様が頷かれる。
「余はそれで構わぬ」
国人衆の一人が問うてくる。
「諏訪など既に滅んだ家は如何される」
「滅んだというても、一族郎党皆死に絶えたわけでは無かろう。
それに諏訪家は、武田を攻めた際に寅王丸殿を取り戻して来る故、諏訪満隣殿を後見人にし元服の後に家を継がせればいい」
国人らは様々な表情を浮かべる。
「すぐにはなかなか難しかろう。しかし遺恨を残せば必ず後に揉める元になる。
大事なことは極力遺恨を残さぬことだ」
そして儂は長時様に改めて話をする。
「長時様、これからの統治、信濃全体の事以外はそれぞれの国人らに任せ、あまり口出しせず仲裁する程度に留めなされ。
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵という言葉がござる。
国を治める上の心がけに御座る。
ここにいる諸将らは国を守る城にもなれば石垣にも堀にもなりまする。
慈悲を以て統治すれば味方となりましょう、あだなせば敵となりましょう」
長時様は大きく頷かれる。
「うむ。良き言葉を聞いた。
これからの儂の指針としよう。
余は守護であるからな。
匹夫の勇を奮うは守護の仕事にあらず。
ここに居る皆を味方とし、国を安んずる城としよう」
皆が感極まり、すすり泣く声も聞こえる。
「では、他国者の儂は一先ず暇致す。
戦勝の宴の準備もござれば、今夜は勝利の美酒を堪能なされよ。
村上殿、参ろうか」
義清殿を伴って儂は自分の陣に戻った。
「義清殿、貴殿には儂と共に尾張に来てもらう。
人質の意味もあるが、儂の家臣として働いてもらうつもりだ」
「家臣にござるか…」
「貴殿の話は聞いておる。
稀代の戦上手とな。
この先、信濃に居っても活躍の場はなかろう。
儂は戦を望んでおるわけでは無い。
しかし、富めるものが居れば妬むものが出るのも世の常故な」
「いずれにせよ、人質に行かねばならぬのでござろう。
どの程度役に立てるかわかり申さぬが、承知いたした」
「では、準備もござろう。
一度葛尾城へ戻って支度をし、我らが尾張に戻るときに同道してくれればよい」
「ご配慮忝く…」
義清殿が戻っていく。
「勘十郎らをこれに」
暫し後、権六に伴われた勘十郎がやってくる。
「勘十郎、無事で何よりだ」
「ち、父上…」
勘十郎が項垂れる。
「備後守様、それがしが付いておりながら、このような失態…。
申し訳ござりませぬ」
権六が平伏する。
此度の戦で、別働隊が競うように軍を進めたのはどうやら勘十郎の那古野勢と信濃国人衆が功名心から先手を取ろうと競いあったのが原因だったと報告を受けておる…。
その結果、村上勢の待ち構える場に無警戒に踏み込んだとも…。
だが、勘十郎はまだ元服して間もなく若輩の上初陣、美作と権六が止めて然るべきであったな…。
であるが、新参の権六が諫めても勘十郎は聞かなんだのだろう。
「勘十郎、そなた何故美作や権六の言葉に耳を貸さなんだ」
「そ、それは…」
再び項垂れ、そして顔を上げる。
「一刻も早く手柄を立て、父上に認めてほしかったのです!」
恐らくそのような事であろうとは思っておった。
「誰も初陣でそなたに手柄など期待しておらぬわ。
初陣とは戦場の空気を実際に感じる事が目的で、無事に戻ることが何より一番大事。
居並ぶ諸将ですら手柄を立てるのに苦労しておるのに、初めて戦に出たばかりの若輩が手柄などと
欲を出せば、手柄を立てる前に死んでしまうのがおちだ。
だからこそ、介添えの言葉は聞かねばならなかったのだ。
其れを聞かなかった結果総崩れとなり、大勢の者がそなたを守る為に討ち死にした。
美作は自ら責任を取り、その方を逃がすために敵に切り込み討ち死にしたのであるぞ!」
「み、美作…」
勘十郎の両眼から涙が溢れ出した。
「権六、そなたにも責任が無かったとは言えぬ。
勘十郎が言う事を聞かぬのなら、大人として力づくでも聞かせるべきであった。
そうしておれば無防備に敵が待ち受けるところに踏み込むことも無かったろう。
此度の事、糧として今後に活かせ」
「ははっ」
「勘十郎。一先ず謹慎といたす故、那古野勢と共に先に尾張に帰って反省しておれ。
そして美作をはじめ、此度亡くなった者の家族への手当をしっかりいたせ。
権六、頼んだぞ。
正式な沙汰は儂が尾張に戻った後致す故、儂が戻るのを待っておれ」
「ち、父上…」
「ははっ」
悲壮な表情で儂を見る勘十郎を引きずるようにして権六が戻っていく。
勘十郎は此度の事を糧にすれば大きく成長するだろう。
だが、それが出来ねば…。
儂も考えねばならぬ時が来るのかもしれぬ。
勘十郎は一先ず謹慎となりました。




