閑話五十四 武田孫六 御旗、楯無もご照覧あれ
武田晴信の弟からみた評定の閑話です
天文十七年十月 武田孫六
甲斐の軍勢を率いて出陣する兄達を見送りながら、先日の評定を思い出していた。
「春先の敗戦で、板垣様ら重臣方をはじめ多くの方々が討ち取られ申した。
七月に兵を起こした小笠原長時を後ろ盾にした諏訪の旧臣共らはなんとか撃退出来申したが、我等は未だ癒えたとは言えませぬ。
なのに何故、新たに遠江を攻めるのでござるか」
「甲斐は前年に引き続き、今年も米の出来は芳しくなかった。
このままではまた餓死者が出よう。
我が甲斐は貧しい土地故、なんとか信濃を切り取ろうと数年来攻めてまいったが、未だ信濃南部の一部を切り取ったに過ぎない。
このままでは甲斐は立ち行かぬのだ」
兄の話を聞いていた諸将が項垂れる。
それをみて、兄が話を続ける。
「何故遠江を攻めるのか。遠江はここ数年戦続きで疲弊しておる。しかも領していた今川は、尾張の斯波との戦で二度も大敗して痛手を被って遠江から引き揚げてしまい、暫く駿河から身動きは取れまい。
都合の良い事に、武田と今川には盟がある。遠江から手を引いた今川は、遠江に攻め込んだ武田に何も出来ない。
そして今は疲弊しておるとは言え、遠江は豊かで海に面しており、大きな湊もあるのだ。
ここを領すれば甲斐の民が飢えることはなくなるであろう。
塩で苦労することもなくなるであろう。
今川が遠江を領しておった頃は手が出せなんだが、斯波の地となった今は違う。
斯波と遺恨は無いが、今の世、力あるものが欲しいものを手に入れるのだ」
「しかし、尾張の守護代の織田家は戦においてはここ数年負け知らずと聞きまするぞ」
「尾張はここ数年来毎年のように美濃へ三河へと出兵を繰り返し疲弊しておる。
その証拠に、先の今川との戦以降どこにも兵を出さず、内政に専念しておろう。
それに織田は負け知らずなのではない。弱い相手とだけ戦って唯勝っただけよ。
尾張の兵は弱兵。にも関わらず、美濃侍は戦の度に稲葉山の城に籠もる戦しか出来ぬ臆病者揃い。
三河侍はその弱兵の尾張に負けてばかりで比較の余地もない。
遠江も同じてあろう。
そして今川よ。今川の兵が強いなどと誰が思っている?」
諸将から含み笑いが漏れる。
「だからこそ今、遠江を攻めるのだ。
遠江の国人らは様子見を決め込んでおる。
一気呵成に攻め込み、二俣城を鎧袖一触で落とし、曳馬城を落とせば、遠江の国人共は雪崩を打って我等に鞍替えしよう」
「「「おおう!」」」
諸将がやる気に満ちた目で声を上げる。
「では、決まりじゃ!
御旗楯無もご照覧あれ!」
「「「応!!!」」」
こうして遠江への出陣が決まり、出征する軍勢の長い列が通り過ぎるのを見送っているのであるが…。
そもそも、兄上の言う「尾張が弱兵」というのは本当なのか?
兄上の話は、落ち着いて聞けば尾張はどこにも負けておらず、弱兵などとはとても思えぬ。
そもそも、今川はそんなに弱かったろうか?
この度の戦は不安でしか無い。
しかしこの度の戦、俺の役目は留守番だ。
先だって初陣を果たしたとは言えまだまだ若輩故な。
こうして若き日の武田晴信は意気揚々と出陣していったのでした。




