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吉姫様の戦国サバイバル ベータ版  作者: 夢想する人
第四章 激動の天文十七年(天文十七年1548)
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第百三十六話 カティサーク

吉姫の力作、カティサークを気に入った信秀の話。





『カティサーク』



天文十七年八月、今年の六月に完成した帆船模型を父がとても気に入り、是非実際に作りたいと少年の瞳で話すので、この船を作るには普通の船造りでは難しく恐らく専用の造船施設が必要になる、と話をしたのです。

十分博識の部類だと思う父ですが、船造りに関してはそこまで詳しいわけではないらしく、また私もこの時代の船造りなんて領地の浜辺で船大工が作っている釣り用の小舟くらいしか知りません。


そこで、水軍衆の佐治殿と服部殿が船の専門家として父に呼ばれ、私には二人と話してほしいと、そういう経緯になったのです。

ちなみに、今尾張から駿河の湊を繋いで運行している大型のダウ船は、父の命を受けた佐治殿や服部殿、水野殿ら水軍衆の船大工が津島近くの浜で建造しているそうです。


二人からこの時代の本格的な大型船の船造りを聞いた所、スケールは船のサイズに合わせて大きくなりますが、釣り用の小舟を作っているのと同じ様に浜辺で作るのだとか。

つまり、平成の御代で「造船所」と聞いて想像するような造船所は無く、露天の浜辺で作っている様です。


それで、父が新しく作りたいと言っている大型船の話をすると、彼らは目を輝かせて興味を持つのですが、その大きさが二百八十尺を超える巨艦と聞いて顔を引き攣らせます。

しかし海の漢の血が騒ぐのか、そんな見たこともないような途方もない大きさの船の建造に係われるのなら作ってみたいし乗ってみたい、と良い顔をして口々に話します。


ですが、それ程の巨艦になれば浜で作り上げても海に進水させることが出来ないのでは無いかと危惧を述べます。

それに干潮時で三百尺の浜を探すのも一苦労だとも。


そこで私はドライドックの話をします。日本語でいうと乾船渠でしょうか。

まず大きなドライドックを作り、そこで船を建造する、という話をしました。


ドライドックの内容に付いては、耐水性に富む圧縮ブロックを積み上げ壁面はジオポリマーで固めてしっかりとした水門を持ち、出来れば動力は人力であったとしても橋形クレーンも備わった、本格的で大掛かりなドックを作りたいのです。


この話を聞いても、二人はピンと来なかったのか顔を見合わせるばかりです。

そこで、後日屋敷に来てもらうことにして、ドライドックの図面を用意します。


後日屋敷を訪れた彼らに、図面を見せながらドライドックを具体的に説明します。

すると彼らは、これよりずっと簡単なものだが船の修理などに使う船渠ならば今でも使っている、と話してくれました。


ただ、これほどの大掛かりな設備を備えた物は見たことも聞いたこともないと。


予め父にはこのドライドックの図面を見せており、父からはドックの建設に多少費用がかかってもここで大型船を作って稼げば直ぐにもとが取れるからドックを作れ、と既に建設の許可を貰っている事を二人に話します。

何しろこのドライドックで作り出す船ならば海の向こうの遥か遠くの西方の国々、つまりは最近噂に聞く南蛮人ことヨーロッパ人の本拠地にだって行けるのですから。

反対側の東方のハワイや南北米大陸にだって勿論いけます。

勿論、それには羅針盤やら六分儀などの航海設備と技術の習得が必要ですが。


私の話を聞き、そして初めて見せたカティサークの模型に驚いた二人は、実にいい顔をしてまた少年の様な瞳になります。

幾つになっても少年の心を忘れないのは素敵ですね。


そして水軍衆から人を集め、既に圧縮ブロックやジオポリマーを使っての普請に長けている鈴木党の人たちと協力して、ドライドックの建設工事に取り掛かったのです。


いざ工事に入ると施設自体はシンプルなので、八月も暮れの頃になるとすっかり完成したのです。

完全な乾燥にはまだ時間は掛かるでしょうが、圧縮ブロックの現地製造やジオポリマーの乾燥の速さも短期間での完成を可能にしたようです。

それに、平成の御代より遙かに人口の少ないこの時代ですが、普請があるとの噂を聞くとどこからやってくるのか、老若男女が次々と現れては仕事を見つけて加わります。

或るものは資材を運んだり、或るものは資材をこねたり、或いは働くものの為にご飯を作ったり、技術がなくても仕事はいくらでもありますからね。

それ以外にもやはり新しいものを作ると聞くと、新しい技術を習得しようと技術を持った人たちも多く手伝いに現れます。

大工に船大工、鍛冶や鋳物師など、この時代の技術屋が続々と加わっていきます。

ピーク時にはさながら大きな村ができたかと思うほどの盛況振りだったとか。


完成したドライドックは父と武衛様が臨席して盛大に施設開きを行い、恐らく本邦初の本格的なドライドックが完成したのでした。


という話を八月末日である今日、一仕事終えた佐治殿と服部殿の二人に聞いたのです。


いよいよ船の建造に取り掛かるそうで、私の力作模型と用意した精密な図面を受け取って二人は帰っていきました。


二人が帰ってしまうと、ちょっと部屋が寂しくなってしまいました。

次は何を作りましょうか。


ちなみに、梓さんからドラフター付きの製図机と三角定規、コンパス、更には烏口という製図セットをプレゼントされたので、以前に比べると格段に簡単に精密な図面を引けるようになりました。

藁半紙もありますしね。


しかし、これは梓さんから製図セットを貰って初めて思ったのですが、なぜ私はこれまでこの手のものを作ってこなかったのでしょうね…。




信秀の少年の心は留まるところを知らず、そのうち隠居したら海に乗り出すとか言い出すかも知れませんね。


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