第百十八話 野戦陣地構築演習
吉姫はいつもの仲間たちと準備を進めてきた野戦陣地構築演習を行います。
『野戦陣地構築演習』
天文十七年五月末、夏の日差しがそろそろ気になりだした頃、かねてより準備を進めていた野戦陣地の構築演習を行うことになりました。
今回も鈴木党から百人程人手を出して貰い、試しに野戦陣地を作ってみようという話だったのですが、父も見たいとのことで、演習場近くに見学用の陣幕が設置されました。
少々本格的に大掛かりにしすぎたのかもしれませんね…。
さて、すでに河原には古渡で大量生産された木の板や頼んでおいた叺や縄などが積み上げられており、運搬用の荷駄車も運び込まれています。
今回は前の田植えと違い長丁場になると思うので、予めそれを父に伝えたのですが時間を開けてあるから一向に問題ないとのことで、父と側近の武将ら数名で雑談を交わしつつという感じなのでしょうか。
同席の武将らは名前を聞けば判るかもしれませんが、紹介はされなかったのでどなたなのかはわからないですね。
こちら側は、いつものお供らの他警護と雑用を受け持つ古渡の兵や小者の人たち、それに鈴木党を指揮する鈴木殿、津田殿、鍛冶の芝辻殿、清兵衛さんに佐吉さんも来ています。
他にも大田殿と弓師さんも来ています。
この人達は父らとは反対側に陣幕を設営しましたが、いざ作業が始まると現場にも入っていく予定なので、父らの方と違ってのんびりとはいかないでしょう。
一先ず人が揃い、準備も整ったので声を掛けます。
「では、父上始めます」
「うむ、こちらは気にせず進めて良い。
どんな陣地が出来るのか楽しみにしておるぞ」
と手を振ります。
私は皆に振り返ると開始の指示をします。
「それでは、始めてください。
まずは河原より資材を運んで来る間に、こちらでは陣地の縄張りをします。
この絵図面の通りに杭を打ち、縄を張ってください。
陣地作りに使う道具はこちらに運ばせています」
そう言うと、絵図面を鈴木殿に渡し、陣幕の一角に積み上がってる箱を指さします。
「ははっ、心得ましてござる」
鈴木殿が絵図面を受け取り応えます。
絵図面に目を通すと、連れて来た鈴木党の面々に指示を出していきます。
「小三郎、半数ほど連れて河原へ行き荷駄を運んで来てくれ」
「承知」
小三郎と呼ばれた人が手早く人を集めると河原の方へ向かいます。
ちなみに今回は具足は付けておらず、皆汚れても良い野良着を来ています。
「他の者は陣地設営の準備を始めるぞ」
「「「応」」」
そう言うと、皆で道具の箱の元へ向かいます。
「鈴木殿、先の村での普請の時に使った道具、円匙と先が平たくなっている新たな円匙。それに鉈という野良作業用の小刀と、背中に物を背負う時に使う背負子を用意してあります」
「この新たな円匙は如何様に使うのでござるか?」
「この新たな円匙は河原から運ばれてくる叺に土を入れる為に使います」
「叺に土を入れるのでござるか…?」
「そうです。使ってみれば違いが判るでしょう」
「承知しました」
そして、鉈を取り出そうとして取り落としそうになります。
「こ、この新たな小刀は随分重うござるな…」
「ふふ、そうでしょう。抜いてみてください」
「なっ、この小刀は刃先がござりませぬな…」
「この鉈は戦でも使えないことは無いでしょうが、戦で使うものではありません。
山に入った時、枝を切り飛ばしたり竹を切ったりするのに使いやすいよう、分厚く重く作ってあります。
この重みを利用して叩き込めば楽に切ることが出来るでしょう。
多少雑に扱っても折れることはありません」
「ほう…。そうでござるか…。
では、試しに使ってみまする」
「その鉈と背負子を使って、あちらの林から竹を切り出して運んでください。
竹で拒馬を作ります」
「拒馬にござるか?」
「馬や足軽が簡単に踏み込めぬよう、この様なものを作るのです」
そう言うと、更に絵図面を一枚渡します。
「なるほど、この様なものでござるか。確かにこれであれば馬は勿論、兵らとて楽には踏み込めぬでしょう。
では、掛かりまする」
そう言うと一礼して踵を返すと、陣地設営地と書かれた立て札の元に残りの鈴木党を率いて移動を始めました。
途中で鈴木殿に指示を受けた一隊が鉈と背負子を持って林の方にかけていき、残りのものが設営地に辿り着きます。
設営地に付くと、絵図面をじっくりと眺めそしてまず杭を打っていきます。
鈴木殿が杭を打つ場所を指図すると、郎党が杭を木槌で打ち込んでいきます。
杭を打ち終わると、構築するときの目安となる縄を張り渡します。
縄張りが済めば、なんとなく陣地の形が見えてきます。
隣で津田殿が顎をさすりながら呟きます。
「ほうあの様な形でござるか…」
「そうですね。形はあの様な形になります」
私が声を掛けると津田殿が驚いて恐縮します。
「今日は先日の鉄砲は持ってきていますか?」
「はっ、仰られたとおり持ってきておりまする」
そう言うと小者が番をしている長持を指し示します。
「陣地が出来たら、早速試してみましょう」
「楽しみにしてござる」
津田殿がさも楽しみという風に笑みを浮かべます。
それから暫くすると、河原の方から荷駄が軋む音を上げながら資材を運んできます。
それを見ると父が気になったのか立ち上がって荷駄の方を興味深げに見ます。
「父上、四輪の荷駄車と二輪の荷駄車です。
きつい坂が多いところでは使えませんが、比較的なだらかな土地であればこの様に一度に多くの物を運ぶことが出来ます」
父は大きく頷きます。
「ほう、これは良いな。早速使わせてみよう」
採用決定の様です。
到着した荷駄から手分けして物資を下ろすと一先ず積み上げていきます。
この日のために用意した丸太と木板は結構な分量があります。
普請現場以外でこれだけの量の木板を見るのは珍しいのではないでしょうか。
鈴木殿が声を掛けてきます。
「姫様、準備が整いました」
「では、始めてください。
まずは絵図面の様にまず縄の前を掘り下げてください。
そして、掘り出した土を先の平たい円匙で叺に入れあちらに積み上げてください」
「ははっ。
では始めるぞ」
「「「応」」」
鈴木党の皆さんが作業分担し、円匙でせっせと掘り下げる者、叺に土を入れる者、入れ終わった叺の口を閉じ積み上げる者。それぞれが分業して作業をします。
先日の普請の時の経験もありますので、どんどんと掘り進められ叺で作った土嚢が積み上がっていきます。
これで陣地を作る場所が一段高くなりました。銃兵だけの戦になれば所謂塹壕の方が良いのですが、この時代は槍兵が盾を前ににじり寄ってきますから、段差を作ったほうが有利です。長篠の戦いでの馬防柵もそうでしたね。
堀が掘り終わると次は陣地を作ります。
「では次に、絵図面の場所に板を打ち込んでいってください」
「はっ」
鈴木殿が拝命すると郎党に指示を出していきます。
板を打ち込むのは掘り下げた先、一段高くなった所よりやや奥になります。
鈴木殿らが図面の通り板を並べて打ち込んでいくと、簡単な板の塀が出来上がります。
既に資材が揃っており、木槌で縄の位置に打ち込むだけですからこれも早いです。
「次に、出来上がった塀の前に叺に土を詰めて作ったもの。これを土嚢と呼びますが、土嚢を積み上げていってください。
それと並行して板が倒れ込まないように、反対側からは丸太を鉈で尖らせて打ち込んで補強してください。
完成したら更に土嚢の側に土を被せてください。土嚢が火矢で燃えぬようにします」
「直ちに」
効率よく分業し、叺で作った土嚢が板の片側に積み上げられ、また板の反対側から丸太が打ち込まれ補強されていきます。
これで、随分陣地らしくなりました。
仕上げに円匙で土嚢に土を被せ土嚢がわからなくなります。
火矢で燃やされてはかないませんからね。
因みにこの陣地はお試しの小規模な物で急峻な山の斜面を背に作られています。
掘り下げた堀の底から土嚢の上迄が大体八尺(2.5m)程度。
簡単に攀じ登れそうで簡単ではないという高さです。
今回は簡易ですが更に陣地を強固にする場合、この土嚢壁を幾重にも重ねる感じになります。
「最後に掘り下げた部分に拒馬を設置し、更には鉄砲で狙って当たる限界のやや手前に丸太を組んで柵を絵図面のように作ってください。
これによりそこに辿り着いた敵の侵入を妨げると同時に、銃で狙い撃ちしやすくなります」
最後に、出入りする入り口や物見台も作られ、小規模ではありますが一刻半程度で陣地が完成しました。柵の高さは一〇尺(3m)程です。
ふと父の方をみると、父はこちらに気づき満足げに頷きました。
どうやら合格点でしょうか?
作業を終えた鈴木党の皆が陣に戻ってきたので皆を休ませ、鈴木殿に問います。
「これが話していた野戦築城による陣地設営です。
こういう陣地を敵の知らぬ間に要所に設置し鉄砲衆など兵らを配置すればどうでしょうか」
「これほど短時間にこの様な砦が出来上がるとは、事前に資材用意しておくだけでこれほど違うのでござるな。
荷駄車を使った者らも積み上がる資材を前に運搬の労を想像したそうでござるが、実際に荷駄車を使い運べば多くの荷を短時間に運べるので口々に褒めておりました。
そして、この様な砦があれば鉄砲衆も安心して鉄砲撃ちに専念出来ましょう」
「そうでしょう。
実際には、こういう陣地だけではなく敵をわざと陣地に誘導させるために移動を制限させる柵を作り誘い込むのです。
柵の後ろには鉄砲や弓を配置し、敵が除こうとするとそれを妨ぎ、本気で排除しようと攻めてくればそのまま逃げるのです」
鈴木殿は腕を組み頭を巡らせます。
「なるほどでござる。
これは戦のやり方がまた変わるやもしれませぬな」
後ろで話しを聞いていた津田殿が声を掛けてきます。
「姫様、これだけの砦を前にすれば、早速試してみたくうずうずしておりまする。
そろそろ試しても?」
「はい、そうですね。では、みなで陣地に移動しましょう」
「「「ははっ」」」
そう言うと、皆で陣地の中に移動をします。
津田殿は勿論、鈴木殿も早速と鉄砲を取り出し土嚢の後ろから銃を試しに構えてみます。
大田殿や弓師さんはというと砦の中から外がどう見えるのかを歩いて試し、また見張台に登ってみて外を眺めます。
津田殿が嬉しそうに声を上げます。
「ほう、これはよろしゅうござるな。
この鉄砲の二脚をこの様に立てれば、安定して遠くを射つことが出来まする」
「この陣地は、鉄砲を撃つのに最も適した作りをしています。
もう少し時間が取れたなら、更に床板を敷けば安定した照準が出来るでしょう」
津田殿は大きく頷きます。
「存分の働きが出来そうにござるな」
お供の滝川殿や小次郎殿も腕を組みながら色々と話し込んでいる様子。
新たに加わった藤三郎殿はじっと陣地から外を眺めて、何やら考えている様子。
藤三郎殿に声をかけようとした時、いつの間にやら陣地に来ていた父から声を掛けられます。
「吉よ、なかなか良い砦であるな。
これほどの時間でこれほどの砦を作り上げるとは、なかなかであるぞ」
私は驚いて父の方に向きます。
「お褒めの言葉嬉しく思います。
今回は試しですので規模は小さいですが、このやり方ならば一夜城も実現可能だと思います。
攻めにくい城を攻める場合、この様なやり方で周囲を砦で囲めば城に籠もる者らには相当な圧力が掛かります。
この様な攻城の仕方を付城戦術と言うそうですが、時が立つほど砦が整備され物資が運び込まれ強固になっていきます。
季節を超え、年をまたいで囲み続けることも出来るので、攻囲された側は砦がまだ固まらぬ内に潰そうと出てくるでしょう。
最大の狙いは、その敵を誘引する事にあるので実際にはそれ程長期に攻囲することは無いとは思います」
「ふむ、その様な攻め方も有るのだな。
儂は城攻めはあたら兵らを損じるため、あまり好きではない故極力野戦で勝負を付けるべきだと考えて居るのだが、このやり方はそれに合致致すな」
「はい」
父は満足げに頷くと、後ろに控えている将らに声を掛けます。
「その方ら、この砦を落とさねばならぬとしたら如何致す」
将らはそれを聞いて腕を組み、頭を巡らせます。
そのうちの一人、年配の将が答えます。
「この砦は短時間で作り上げた砦にしてはよく出来てござる。
この鉄砲の為の砦で鉄砲がどれ程の威力を発揮するかは、その様な戦いをしたことがござらぬ故わかりませぬが、普通に弓衆と槍衆が守りし砦だとしても、攻め寄せるに面倒なことは間違いござらん。
それがしがこの砦を攻めるのであれば、矢盾で矢を防ぎながら寄れるだけ攻め寄せ、矢で牽制をしながら破城槌で柵などを潰し敵の注意を集めまする。
その隙きに別働隊にて砦の山の背後より周り込み、砦の上に出てそこから岩があれば岩を転がし入れまするな。あるいは、矢で射すくめまする。
砦の中を混乱に陥れれば、攻め入ることも叶いましょう」
やはり、なかなか見るところが違いますね。
ですが、この手の砦は可能であれば山ごと陣地化するか、無理であれば壁面に土塁を幾つも作り、背後からの来襲に備えるでしょう。
とはいえ、万全とは言えないので、正解の一つなのは間違いありません。
父が頷きます。
「そなたもそう見たか。
儂もそう見たが、吉よ背後より回り込まれれば如何致す」
「はい。この陣地は簡単に作ることが出来ますから、可能であれば山をぐるりと陣地と化し背後を無くします。
それが叶わぬほど大きな山の場合は、背面に柵を巡らせ土塁を幾つも作り登ってくる敵兵を防ぎます。高所は有利ですから簡単には背後を取れないはずです」
「なる程な、しかしそれは万全ではあるまい」
「父上の仰る通りです。
しかし、この陣地は敵を誘引するのが目的の陣地なのですから、この陣地を攻めるために迂回するほど出てきたなら、これ幸いと敵がこの陣地に目が行っているうちに横槍を入れれば良いと思います」
父はそれを聞き笑います。
「はっはっは、そうであったな。うむ。そうであった。
これは少々意地悪な問をしたものよ。
許せ掃部助」
掃部助と呼ばれた人は微妙な表情を浮かべますが直ぐに返事を返します。
「面白き問答にござりました。
とは申せ、それは此度のように山を背にした場合の話。
このやり方で四方を巡らせ平城を作ったならば、落とすのは面倒でござりましょうな。
それがしも鉄砲の威力は知っておりまする。
もしそれなりに纏まった数の鉄砲が存分な威力を発揮するならば、傍目に見て盛り土で作られたこの砦、一揉みで落とせそうに見えてそう簡単に落とすことは叶わぬやも知れませぬ」
「川の中州などに拵えられては大迷惑であろうな」
父上はそう言うとまた笑います。
他の武将たちも口々に同意を示し頷きます。
この世界では恐らく墨俣城は作られなさそうなのですが、どうでしょうか。
「吉よ、良きものを見せてくれた。
また教本に纏め本にしてくれるのだろう。楽しみにしておるぞ」
そう言うと、また笑い帰っていったのでした。
ですよねー。頑張って執筆します…。
残った私達はその後、実際に鉄砲を撃ってみたり、試しに警護の古渡の兵らに攻めてみてもらって模擬戦をしたりと色々と試したのでした。
終わった後は、もちろん原状復帰しましたよ。
といっても一度使った木板などは再利用が難しいですから、焼いて埋めてしまいました。
すべてが終わり古渡に戻った頃には日がすっかり暮れて居たのです。
今日は良いデータが取れたと思います。
信秀の視察も無事終わり、好評の下演習を終えました。
参加した者達はそれぞれが良い経験を得られたでしょう。
実際に使われることがあるかどうかはまだ未定です。
拒馬というのは今でもバリケートに使われていますが、竹槍を斜めに突き出して槍衾にした様な物です。
掃部助は武藤雄政、信秀の軍師だったとも言われている信任厚い武将です。この世界では信光が勝幡城の城代ですが、史実だとこの人が任されています。




