第百十六話 新たなお供
吉姫のもとに新たなお供がやってきました。
『新たなお供』
天文十七年五月下旬、父は内政の拡充に忙しいらしく精力的に領内を動き回っています。
働きすぎで過労死しないか心配なのですが、そんな私の心配をよそに実にエネルギッシュに活力に満ち溢れているという感じです。食生活が史実よりずいぶん充実しているのも影響しているのでしょうか。
もともと、日本食は合理的ですからテンプレートに嵌めやすいようにより滋養のある食材や料理に変えてもらっているだけなのですが、さすがプロの料理人はどんな食材でもそれなりの料理にしてしまうのがすごいですね…。
そんな父と朝食を食べながら話をしていると今川家から若者が一人来ているそうです。
義元公が私の事を随分気に入られたそうで、一人勉強方々近習として預かってほしいと書かれた義元公の手紙と先日の返礼の品を持参し、父を訪ねて来たそうです。
先の戦で権六殿が守った高天神城で搦手より攻め入り一騎打ちを果たした剛の者だとか。
お供というと既に滝川殿と小次郎殿の二人が居て人数的には以前よりは一人少ないのですが。
父としては今川との関係は今後大事にし盟約を発展させたいので、今川からの若者を受け入れることにしたそうです。
先の義元公の尾張訪問で私に関心を持ったのは間違いなく、何らかの形で調べるだろうとは予想していましたが、間者を送り込んで関係を壊す危険を冒すのではなく、堂々と近習を送り込んでくる所に義元公が尾張との関係をどのように考えているのかが表れているように思います。
父も同じくそう考えたのでしょう。
いずれにせよ、私としても受け入れるしかありませんので、わかりましたと返事しました。
なんでも朝比奈家の若者だそうですが、誰なんでしょうね。有名な朝比奈泰朝はまだ十一の元服前だから違うでしょう。
朝食を済ませて出掛ける父を見送ると、部屋に下がり資材手配の進捗の書かれた目録などの確認をします。
すると、障子の向こうから滝川殿の声が聞こえます。
「姫様、朝比奈殿と申す方が訪ねて見えられておりまする」
「お通ししてください」
「はっ」
障子を開けて、まず滝川殿が入ってきます。それに続いて初めて見かける細マッチョな二十代前半くらいに見える武士、彼が朝比奈殿なのでしょう。そして、後から小次郎殿が続きます。
二人は後ろに控え、朝比奈殿が私の前に座ります。
朝比奈殿は平伏し名乗りを上げます。
「お初にお目に掛かりまする姫様、朝比奈兵衛尉にござりまする」
「面を上げてください。
よく見えられました。父上より話は伺っております。
朝比奈殿というと、重臣の備中守殿のご家中の方でしょうか?」
「いえ、それがしは同じ朝比奈でも庶流の出にござりまする」
そう云うと懐から書状を取り出し差し出して来ます。
滝川殿が受け取ると私に渡してくれます。
「主君、治部大輔様よりの紹介状にござりまする」
中を開くと、義元公からの文でした。
時節の挨拶から入り、流麗な文書が綴られています。
所謂雅なというやつですね。
内容的には先日寄贈した小冊子の礼と、これからも手紙のやり取りで知恵を拝借したいという事、連絡役に見どころのある若者を一人寄越すので暫く近習として使って欲しいという事でした。
後は返礼に贈り物をするので受け取って欲しい、また機会があれば会おうで締めくくられていました。
手紙を読み終わって、元に戻すと千代女さんに渡します。
千代女さんはそれを文箱にしまってくれます。
そして、視線を朝比奈殿に戻すと返事をします。
「先に話したとおり、父上より話は伺っております。
それでは暫く側仕えの役目、宜しくおねがいします」
「はっ。
それがしのことは藤三郎とお呼びくださいませ」
藤三郎…、うーん何処かで読んだような。ちょっと記憶を探ってみます。
もしかして、武田に行ってから活躍した朝比奈信置かな?
でも、信置という名は信玄公から一字貰って変えた名の筈。
いずれにせよ、この藤三郎殿が後の信置殿であってもなくても義元公の推薦状持参の若者ですから武勇ばかりでなく切れ者なのは間違いないでしょう。
「それでは、藤三郎殿と呼ばせてもらいますね」
「はっ」
「では、はじめての土地で慣れないでしょうから、何かあればこちらの滝川殿に聞いてください。
そちらの小次郎殿は先ごろ私の側仕えになったばかりなのですよ」
そう言って小次郎殿を紹介すると、小次郎殿がニッと微笑み挨拶します。
「一色小次郎にござる。
同じく、拙者もまだ新参者にござるよ。
これからご同輩にて宜しくお願い申し上げる」
「こちらこそ、宜しくお願い申し上げる」
「それがしは滝川彦右衛門にござる。
姫様のおっしゃられたとおり、何かござれば拙者に言ってくだされ」
「宜しくお願い申し上げる」
挨拶も済んだところで藤三郎殿が座り直し、外で待たせていたらしい小者に声を掛けると檜の箱を受け取ります。そして、それを私の前に差し出します。
「主君よりの返礼の品にござります」
「ここで開けても構いませんか」
「無論にござりまする」
では、早速と箱を開けると中には絹の刀袋に包まれた武家の女性用の短刀が入っていました。
一応、裳着の時に父より贈られた無名の短刀を持っているのですが、使ったことはありません。
「無名にござりまするが、駿河の刀工義助の作だと聞いておりまする」
義助というのは私は知らないですが、義元公の贈り物ですからきっとそれなりの品なのでしょうね。
「これは素晴らしい物を頂きました。
治部様にまたお礼の手紙をしたためます」
「はっ、それがしがしかと届けさせまする」
藤三郎殿は連絡役ですから、滝川殿の様に父の家臣というわけではなく、あくまで出向社員の様な位置付けの様ですね。
この時代の言葉でいうと与力でしょうか。ともかく、これで私にとっても今川と伝が出来たという事で悪い話ではありませんね。
今月は月末には陣地構築の演習を予定してますから、今川に対しても良いデモンストレーションになるでしょう。
これで義元公と繋がりが出来ました。
守護代の戦奉行に過ぎない弾正忠家に、駿河守護の義元公と直接の伝が出来たということです。




