第百十三話 戦国デモンストレーション 会見編
田植え機を使った新しい農法を視察した武衛様らと会見します。
『田圃会見』
天文十七年五月、晴天の初夏の心地よい日差しの下、無事に田植え機を使った初の本格的な田植えを終えました。
想定と違ったのは、父と武衛様、そして義元公立会の下での田植えだった事です。
まさかこんな事になるとは…。
もしかすると加藤殿は知っていたのかも知れませんが、私が知らないことを知らなかったのかも…。
閑話休題、父の手招きに応じて陣幕の三人の下に向かいます。
三人の所にいくと父が私を紹介します。
「我が娘の吉にござる」
父に紹介されると二人に挨拶をし深々とお辞儀します。
「弾正忠が娘の吉に御座います。この度は御尊顔を拝し恐悦至極に存じます」
武衛様が笑います。
「はっはっはっ、堅苦しい挨拶は要らぬぞ。
我が館での会見以来であるな。
息災そうで何より」
武衛様とは先の会見以来なのですが、文でのやり取りはしているのです。
この方は色々な事に造詣が深くなかなかやり取りが面白いのです。
立場が立場なので直接話すのは憚られるのが残念ですね…。
「初に目に掛かる、今川治部大輔でござる。
此度の会見楽しみにしてござった」
そう言われると、微笑まれます。
義元公は平成の御代で言うならば俳優の及川某さんに似てますね。
知的で何処と無く貴族的な雰囲気を漂わせつつ柴田権六殿の様に大柄で、武家らしく引き締まった体つきの人です。
いつの間にか置かれていた床几に座るように父が指し示すので、そちらに座りました。
まず、父が今回の田植えについて評価します。
「カラクリで田植えをするなどと、初めて報告を受けた時はどの様なものか想像も出来なんだが、いざ実物を見てみるとたしかにカラクリではあるが、これまで吉が作らせた農具と同じく、これもまた農具であるな」
「はい。使うものが工夫して用いて初めて役に立つ道具にございます」
父はそれを聞くと笑みを浮かべ頷きます。
「村の者共は新しき農具をよくここまで使いこなした。
賞賛に値しよう」
「私もまさかここまで使いこなすとは、想像もしませんでした」
「うむ。これで村人らも大いに助かろう」
そう言うと武衛様に言葉を求めるように父が視線を向けます。
武衛様は頷くと扇子をパッと開けます。
そこには『天晴』と見事な文字が書かれてありました。
「吉よ、よくやった。
この農具が普及すれば、農民らは更に多くの田を扱うことが出来よう。
田植え機が完成したのであれば、稲刈り機もまた考えておるのであろう?
田植え機だけでは片手落ち故な」
そう言うと扇子で口元を隠して笑います。
ちらりと父に視線を向けると、父は楽しげに口元に笑みを浮かべています。
この二人はどの程度の話をしているのでしょう。
ちなみに、唐国には既にこの時代稲刈り機的なものがあります。
田植え機に比べると構造が簡単ですからね。
「はい。稲刈り機の方も既に準備を進めておりますので、秋の稲刈りには…」
「うむ、楽しみにしておるぞ」
という事は、また秋にもこういうのがあるということでしょうか…。
「はい。ご期待に沿うよう励みます」
ふと、武衛様の後ろに控えている近習達が気になりました。
その中で一人だけ、せっせと帳面に書物をしている人が目についたのです。
その人物は私の視線に気がついたのか、顔をあげると私の顔をみてニッと笑いました。
ええ、太田殿です。そういう役の人ですから、居て不思議はないのですが。
今日の会見はどんな風に記録に残るのか気になりますね。
太田殿が将来書くだろう歴史書のタイトルは、『義統公記』なのかはたまた『信秀公記』なのかはわかりませんが…。
「治部大輔殿」
二人の話をジッと聞き入っていた義元公に父が声をかけます。
義元公は笑みを浮かべると口を開きます。
「正直、我が家中では領土を増やすことなく石高を倍増させるなど、絵空事ではないかと言う意見も多く、予自身も絵空事では無いだろうが大げさに話して居るのではと思っておった。
然るに、それでは先の戦での兵の数の理由がつかぬ。
後で聞けば先の戦では無理をして兵をかき集めたわけではないと。
それ故、この目で見に参ったのだ」
「ご自分でご覧になり、如何でしたか?」
義元公は頷きます。
「真であった。
元々この尾張は平野が広く、耕作に適した豊かな地。
しかし、民の数には限りがあり同じく持てる田畑にも限りがある。
故に道理であれば石高はいくら豊かであろうと自ずと民の数でその上限が見える。
然るにこの尾張は我が駿河と比べても村の持つ田畑が広い。
我が駿河もまた豊かな国故、他国と比べても民らの暮らし向きも良く農具もそれなりのものを使って居るのだ」
つまり、当代の豊かな国の農民である駿河の村人の持ち得る田畑を優に凌駕していると。内政に特に気を配り、民百姓に慕われると聞く義元公の治める駿河よりも住民あたりの貫高が多いということ。
元々豊かな尾張が更に豊かになっていると義元公が自らの目で確認し認めたと、そういう事になります。
「戦をするのが馬鹿らしくなりましたか?」
私の言葉を聞き、義元公が驚いた表情を浮かべます。
そして、暫し遠い目をすると大きく頷きました。
「掛かる火の粉を払う労は惜しまぬが、領地を拡げるために民の命をすり減らして戦をするは馬鹿らしく思えてきた。
とはいえ、この話は尾張の様に田畑を耕す土地に恵まれた豊かな国でのみ通用する話であろう」
私は駿河という盛んな商業や金山など国としては豊かでも耕作地という面では恵まれては居ない国を治める義元公なればこの話は出るだろうと予想していました。
義元公は私の表情を見ながら言葉を続けます。
「我が駿河は尾張に比べ耕作地に恵まれているとは言えぬ。
尾張よりこれらの新しい農具や農法を得たとしても、尾張の様に農作に適した未開拓地が豊富にあるわけではないのだ。
それ故、遠江は我らには必要な国であったのだ。
無論、戦に負け和議を結び同盟を結んだ以上は、遠江を戻せとは言わぬが…。
そなたは内向きの政に通じておると聞いておる。
弾正忠家の姫であればいずれ何処かへ輿入れするだろうが、嫁ぎ先がもし駿河であれば…。
任せるゆえ存分にせよと言えば、どの様に国を富ませてみせる。
語ってみてはくれぬか。
無論、仮の話であるぞ」
何とも恐ろしい仮定の話をします…。
今川には四歳年下の龍王丸が居ますからね、家柄はともかく年齢的に釣り合わないと言うわけではないので可能性がゼロかと言われればゼロではないでしょう。
私はふと父に視線を向けると真剣な表情で話を聞いています。
そして、武衛様はといえば楽しげな表情でこちらを見ています。
義元公は私を真剣な眼差しで見据えます。
続く
今川の本拠地の駿河は耕作地と言う意味では武田の甲斐にすら石高は劣ります。
それは平和な世である江戸時代を経ても他の地域と比べて大きく伸びることはありませんでした。
それには大きな問題の克服が必要だったからです。
そのかわり、駿河は有力な湊が二つもあり、金山まであったため国としては豊かでした。




