閑話十九 柴田権六 高天神城籠城戦 前篇
柴田権六視点の閑話になります。
今回は城攻めです。
天文十七年三月 柴田権六
俺は遠江の浜辺に向かう船に揺られながら、備後様に密かに呼ばれた折のことを思い出した。
遠江の地図を挟み、俺と備後様が向かい合って座っておったな。
「権六よ、此度の遠江の戦はこれ迄にない大軍同士の戦である」
「はっ」
「故に、我らの主戦場に敵の大軍が現れぬよう、敵を分けねばならぬ。
わかりやすく言えば、敵のそれなりの兵力を長時間貼り付け、主戦場に来れぬようにする」
「はっ。して、どのようになされますか?」
備後様はニヤリとされると、俺に問うた。
「権六なれば、どうすればそれが出来ると考えるか申してみよ」
俺はその策を聞かれるとは思わなんだが、おそらく備後様は既に策をお持ちなのだろう。
俺がその役目に相応しいか試しておられるのだ…。
単純に考えれば別働隊でどこかを攻めればいい。
しかし、城攻めでは一時的には敵を陽動出来るであろうが、敵が来れば挟み撃ちの危険がある。
それでは長時間貼り付けることなど叶わぬ。
いずれにせよ、野戦では長時間貼り付けるなど無理だ。
長時間貼り付けるとなると、砦や城、できれば攻めるに難しい城であろうか。
しかし、此度は今川が攻める戦、敵が主戦場に集中すれば天竜川より西に居る味方がその様な山城に籠もっておっても意味があるまい。
なれば、敵の後方ということになるが、敵の後方なれば当然それは敵方の城。まずその堅牢な城を攻めるところから始めねばなるまい。しかも、敵地の奥まで察知されずに行かねばならぬ…。
それも、敵が主戦場に攻める直前くらいでなければ、意味がない。
…、俺が考えそうな有体の考え方では行かぬということか。
備後様ならば、どの様に考えられるであろうか…。
先の遠江の戦はどうであったか…。
…『調略』…。
先の戦は井伊家の調略が鍵であった。
そうよ、調略なれば或いは。
今川の後方の城で今川にふたごころ抱いておる国人に調略を掛け、味方とすれば…。
無論、むざむざ見殺しになるようなところでは駄目だ。
俺は遠江の地図を舐めるように見ていく。
そして、地図の真ん中に走る天竜川を河口から上流まで眺めていくと、如何にもそれに良さそうな城があった。
…『二俣城』…
確か、先の遠江攻めで備後様が良き武士がおったと褒めておった男の城か。
その者なれば敵方ではあるが一命を救ってもらった恩があるはず…。或いは…。
そこなれば、天竜川の直ぐ側であり、俺が与力に入ることも出来るであろう。
場所から言っても山城で平城ということはあるまい。
「されば…」
俺は二俣城を指差す。
「この城を調略にて味方とし、ここに兵を入れれば相当期間敵を貼り付けること叶いましょう」
それを聞き、備後様が頷かれる。
「二俣城か。
その城なれば、或いは可能であろうな」
「では」
俺は備後様に認めてもらえた嬉しさに思わず身を乗り出す。
「だが、二俣城は駄目だ。
その城には別の役目がある」
俺はそれを聞き少々落胆する。
つまり、既に調略済みで備後様が別の策に使うのであろう。
その上で、尚敵を貼り付ける必要があると。
備後様はそんな俺を見るとニヤリとされ、話を続けられる。
「しかし、着目点は良かった。
敵方にある城であれば長期間貼り付けられると踏んだのであろう。
その見立ては正しい。
だが、敵方領内に、敵の本隊が主戦場に入る時を狙い、城を確保し籠城するなど無理筋であろう」
備後様には全てお見通しか…。
俺は降参し平伏する。
「ははっ」
「頭をあげよ。
権六の立場ではそう考えるであろう。
寧ろ、ここまでよく思い至った」
「はっ」
備後様は、一度立つと人が居ないことを確認され、また席につかれる。
そして、そばに来るように手招きすると、声を潜めて語りだす。
「ここから話すことは秘中の秘である。
吉田城より我らが出陣した翌日、出陣の支度を整え、湊にて水軍衆と落ち合うのだ。
そこで船に乗り、水軍衆の先導で浜岡沖へ向かえ。
その後、夜陰に乗じ浜岡の浜より上陸し、そのまま敵に遭遇せぬよう北上し高天神城を奪取するのだ。
万が一、敵と遭遇した場合は戦わず直ちに撤収せよ。
儂の見立てでは、今川は此度の戦、総力を挙げておる故、後方はがら空きであろう。
高天神城の小笠原氏清殿も義元殿に従い出陣しておるはずだ。
故に、城もほとんど兵はおるまい。
此度の城攻めには千の兵を預ける、更には城への潜入を得意とする甲賀の者達もつける。
敵が気づかぬ内に、甲賀の者らを城に忍ばせ城門を開けさせ、極力無血開城し、小笠原殿らの家族や家臣らは退去させるのだ。
彼らが今川に城がとられた事を注進してくれようからな。
城は無理攻めする必要はない。城攻めに時間がかかるようなら直ちに撤収せよ。
後方が攻められたという事実だけでも敵の兵力を割くことが出来る故な」
俺は備後様の話を固唾をのんで聞いておったが、まさか海からとは…。
俺ではまず思い至るまいな…。
「心得ましてございまする」
「今川方はそこが奪取されたとわかれば、すぐさましかるべき兵を差し向けよう。
権六、頼んだぞ」
城攻めでの大将は初めての事。
それを任せてくれた備後様の期待に応えねばな。
「大将、そろそろですぜ」
日も暮れた頃、船の棟梁が声をかけてくる。
「おう。では頼む」
水軍衆が先導して浜へ上陸すると辺りを確認し、灯りで上陸する場所を示す。
「よし、では参るぞ」
船から水軍衆の小早や降ろした小舟に乗り移ると、灯りを目指して続々と漕ぎ出した。
月明かりの中、一斉に浜辺を目指す船の群れは中々壮観である。
何度も船が往復を繰り返し、やがて浜辺で軍勢が揃った。
「水軍衆の皆、海の旅の馳走感謝致す。
備後様よりの命は、日が明けるまでここで待機し、それまで我等が戻らねばここは撤収し、今川方の水軍が出てくれば対応を頼むとのことでござる」
「承った。
ご武運お祈り致す」
「では、水軍衆の皆もご武運を祈り申す」
我等は途中、この辺りに商人として入り込んでおった、甲賀の者と落ち合うと、その者の案内で一路高天神城を目指す。
その者の話ではやはり城主小笠原氏清殿は軍勢を率いて出陣し不在との事。
月明かりを頼りに、旗印も差さず我等は途中小休止を挟みながら、特に今川勢と遭遇することもなく、高天神城のある山の中腹まで入り込むことに成功した。
やはり、備後様の見立ての通り、後方はほぼがら空きの様子だ。
手筈通り、甲賀の者が先に潜入し、不寝番の番兵を拘束すると城門が開く。
軍勢が続々と城門を抜け中に入り、更に奥に向かっている甲賀の者の後に続く。
そして、戦闘らしい戦闘も無く、我等は小笠原殿の家族の住まう屋敷にたどり着いた。
これだけの規模の山城ながら、守備の兵は数十名の番兵しか居らず、寝込みを襲ったこともあり、ほとんど抵抗らしい抵抗も受けること無く、皆降伏させながらここまで来たのだ。
しかし、この城を進みながら思ったが、正攻法で落とすとなればどれ程の犠牲が必要なのやら…。
我等は屋敷を前にして旗印を整え、大音声で降伏を呼びかける。
「お休みの所失礼致す。
既に城は我等、斯波武衛家が制圧した。
手付かずはこの屋敷のみである。
武衛様の命により、手向かわず降伏されるならば全員の命を保証致す。
この上は、大人しく降伏なされよ」
自分で呼びかけておきながら、滑稽な言上であるな。
そのくらい、此度の城攻めは城攻めとは思えぬほど滑稽であったわ。
暫しすると、留守居役らしい武士が出てきた。
眠そうな顔をして、何の冗談だと言うような顔をしておったが、完全武装の千人を超える兵に囲まれておることを確認すると、血相を変えて屋敷に戻っていった。
そして、更に暫らくすると、居住まいを整えた恐らく小笠原殿の妻らしき女性が先ほどの武士や侍女らを伴い出てくる。
「何の悪ふざけかと思うたら、まことであったか…。
手向かいせねば命を保証するとのことじゃが、条件はなんじゃ」
「城よりの退去が条件でござる。
主の命により、家財には手出しせぬ故、置いておかれても差し支えない。
戦の勝ち負けに関わらず、戦の後に取りに戻られたらお返ししよう。
武器以外の、当面必要なものを持って退去されよ。
それが我等の条件でござる」
「我が夫の許可なくして、城からの退去など出来ぬ。
断れば我等はどうなるのじゃ」
「されば、残られる方には牢に入っていただく。
退去する者は自由に立ち去られよ。
これから、この城は今川に攻められる故、我等と一蓮托生でござる」
それを聞き、うんざりしたような表情を浮かべると小笠原殿の妻が武士と暫し相談する。
「相わかった。
我等は退去致すことにする。
味方の城攻めに巻き込まれてはかなわぬのじゃ」
「されば、降伏の上、退去という事に致す。
明け方までに準備し、退去されよ」
「直ちに退去する支度じゃ」
そして、小笠原家中の者は約束通り明け方に城より退去した。
こうして、高天神城の無血開城に成功したのであるが、問題はこれより後。
我等は、日が昇れば兵らを交代で休ませながら、一刻も早く城攻めに備え、城の水や兵糧、武器の備蓄、更には弱い所、強い所など城の各所を調べ兵を配置せねばならぬのだ。
夜が明け、高天神城の全貌が朝焼けによって照らし出されると、俺はこれからこの城を攻めるだろう今川勢に思わず同情の念を禁じ得なかった。
それと同時に、高揚感が湧いてきたのだ。
この城なれば、一万の今川勢すら貼り付けることが叶うやも知れぬ。
何しろ、此度の軍勢には十名とはいえ鉄砲衆を付けていただいたのだ。
腕がなるとはこの事よ。
難攻不落の高天神城。
攻防戦はこれから始まります。




