改葬
一夜明けた今日。
ついに、松陰先生の改葬の日を迎える。
とはいえ、そこに玄瑞の姿は無い。
昨日、晋作が屋敷を出た後……私は玄瑞と少し話し、玄瑞も参列すると言っていた。
しかし、夜間になって何処かの藩の使者が訪ねて来た事で、事態は変わってしまう。
昼間から大切な会合が入っってしまい、結局のところ……玄瑞の参列は叶わぬものとなってしまったのだ。
「お前、馬には乗った事はあるか?」
「馬? 乗った事なんて無いよ。私の時代では、馬なんて一般人が乗れるようなモノじゃないし……言ってみれば、お金持ちがたしなむモノって感じかな?」
「そうか……ならば仕方ねぇな。乗せてやるから、付いて来い」
藩邸を出立する間際の事だった。
晋作は突然そう尋ねると、屋敷の裏手に回る。
その後を追うようにして付いていくと、そこには伊藤サンと一頭の馬が居た。
いつだったか……競馬か何かのテレビで見た私の時代の馬達と比べてしまうと、この馬は何だか小さいようだ。
しかし、余程手入れが行き届いているのか……ツヤのある毛並みが陽の光で輝いているかのように見え、その背に触れたくなる衝動に駆られる。
「うわぁ! 馬だ……初めて間近で見たかも。ねぇ、この馬に乗っても良いの!?」
「何を馬鹿な事を言ってやがる。お前が一人で乗れる筈があるまいよ。良いか? 馬に乗るってぇのはなぁ、こうするん……だっ」
晋作は軽やかに馬へ跨がると、私へと手を伸ばした。
「こっちに来い。コイツに乗りたきゃ、乗せてやる。まずは、そこに足をかけて……そうだ。そしたら、俺に掴まって……っと。おい、伊藤! 少し支えてやってくれや」
私は、晋作に指示されるがままに身体を動かす。
伊藤サンの手伝いのお蔭もあってか、私は無事に馬に乗る事ができた。
「すっごい! ねぇ、ねぇ……ほら、こんなにも視界が高いよ!?」
「っ……おい、暴れんじゃねぇよ。お前は、おとなしくしてらんねぇのかよ。良いか? 馬が歩き出したら、絶対に動くなよ?」
「ごめん、ごめん。分かってるよ……じゃあ、気を取り直して……出発しますか!」
「なぁに勝手に指揮を執ってやがんだよ……まぁ、良い。さっさと出掛けねぇと、今日中に戻れなくなっちまうからな……」
私達は、ゆっくりと馬を歩かせ、藩邸を後にした。
途中で、武人や山尾サンらと合流する。
馬に乗る私達を先頭にして、伊藤サンらが後ろに連なる形となっており、それは何だか小さな大名行列のようだ。
「ねぇ……松陰先生って、どんな人だった?」
先生の棺を門下生達が掘り起こしているのを眺めながら、私は晋作にそっと尋ねた。
「どんな人……か、中々難しい問いだな。まぁ、先生を一文字で表すならば……狂、さな。先生ほどに、この字が合うものは他には居るまいよ」
「恩師に狂の字を付けるなんて……アンタもしかして、先生のこと嫌いだったの? 玄瑞と比較されていた事を、実は恨んでいたとか?」
「馬鹿! そんな訳ねぇだろうが……狂の字はなぁ、最高の褒め言葉なんだよ!」
「褒め言葉?」
私は首をかしげる。
「狂愚という言葉は聞いたことがあるか?」
「あるよ。えっと、確か……ものの道理が分からない、愚かな人の事だよね?」
「違ぇな……いや、お前の言う意味合いは間違っちゃいねぇのかもしれねぇ。それがお前の時代での使い方なんだろうからな。だがな……俺らの捉え方とは、ちぃとばかし違う」
「どういう事?」
「先生は、己を狂愚であるとした。これがお前の言う意味合いだとしたら、可笑しな話だろう? 先生の言う狂愚とは……常識に囚われず、己の信念を貫くために、積極的に行動するという事だ。実際に、先生は常に何事にも逃げず怯まず……狂愚そのもの。本当に……そんな人だった」
ここで私は、不意に気付く。
松陰先生の話をしている時の晋作は、本当に穏やかで優しい顔をしている。
それ程までに、先生の存在は門下生達に絶大な影響を与えていたのだろうと……
「村塾はなぁ、藩校などと比較にならねぇ程、面白ぇ所だったのさ。一方的に教えられるんじゃねぇ……何てぇか、先生と共に学ぶという感覚さな。塾内に留まらず、時には山や川に行く事もあった。俺ぁ村塾に通う事を禁止されていたからな、よく家の者の目を盗んでは抜け出して、先生のもとへと通ったモンだ。村塾での日々は……当時、俺が面白ぇと感じられる唯一のものだった」
「そっか……晋作は、本当に先生を慕っていたんだね。でもさ……その口ぶりだと、今は……面白く無いみたいに聞こえる」
晋作は私の言葉に一瞬目を見開くと、私の頭に手を置き、口角を上げた。
「心配すんな……今もそれなりに面白ぇさ。先生は居なくなっちまったが……今は、お前が居るからなぁ。まったく、何の因果かねぇ? 散々刺激を与えてくれた先生が居なくなって、しばらくは退屈な日々が続いていたが……その後にゃ、ひょっこりとお前が現れたわけだ」
「わ……私!?」
「クク……お前の様な変な女は、何処をどう探したとて、この時代には居やしねぇ。言ってみれば、お前も……狂、さな。まぁ……周りを顧みねぇ猪女にゃ似合いだろ」
「っ……相変わらず、失礼な奴!」
私は晋作から顔を背けると、頬を思いきり膨らませた。
そうこうしている内に、棺の掘り起こしは完了する。
晋作と私は再び馬に乗り、先生の棺を後方の者が携え、長州山へと歩みを進めた。
しばらくすると、上野山下の三枚橋に差し掛かる。
ここで私は、ある逸話を思い出した。
この三枚橋はその名の通り、左右と中央の三つの橋が架かっている。
しかしながら、中央の橋は将軍が寛永寺へ参詣する際に使う橋である為、将軍以外は通る事が出来ない。
つまり……庶民も含め将軍以外の者は、左右の橋を渡らなければならないという慣わしなのだ。
そんな訳で、この橋には番人が存在していた。
ここで私が思い出した逸話とは……何か。
中央の橋を通ろうとした晋作は、当然の様に番人に止められてしまう。
しかし、晋作は番人にひるむ事は無く、逆に番人を叱咤し堂々と橋の中央を渡ってしまった……という話だった。
「あ……れ? どうして、そっちに行くの?」
私の予想と反する晋作の行動に、思わず振り返り尋ねた。
中央の橋へと向かうかと思いきや、晋作は左側の橋へと向かったからだ。
「お前は知らねぇだろうが……真ん中の橋は、徳川の野郎しか通る事ができねぇのさ。例え、武士であろうと幕府の重役であろうと、左右の橋を通る慣習なんだよ。勿論、俺らもな」
「そんなのは知ってるよ! そうじゃなくて……どうして強行突破しないのかって聞いてるの。晋作は番人と言い合って……」
「ほぅ……お前がそんな風に過激な思想を持ち合わせているたぁ驚きさなぁ」
「っ……晋作に言われたくないし! そもそも、私の思いつきじゃないもん。本でそう読んだんだもん」
「お前が何が言いてぇかは、よく分からねぇが……今日は先生の改葬の儀だ。そんな厳かな日に、わざわざ騒ぎを起こす必要はあるまいよ」
「そう……だよね」
私は小さく返事をすると、前へと向き直した。
晋作の一般的なイメージと言ったら、やはり豪傑な英雄だろう。
私もずっと、そんな風な人なのだろうと思っていた。
しかし、この一年ちょっとを共にしてきた私の中では、そんな一般的なイメージから少しずつ変わってきている。
確かにイメージ通りの側面も持っているが、何だか繊細な人のようにも感じられる。
何も考えていない様に見えて実は、人一倍考えを巡らせている。
今回の事もそうだ。
心の底から慕っていた恩師の改葬が、ようやく叶ったというのは……晋作にとって本当に嬉しい事なのだろう。
そんな日にわざわざ騒ぎを起こす必要がないと言った晋作は、ただ己の感情のままに動くだけの人ではないのだと思う。
「おい……何か用か? ニヤニヤしながら見てんじゃねぇよ……気味悪ぃったらありゃしねぇ!」
「あっ! 考え事をしていたら……つい……」
考えに夢中になるあまり、いつの間にやら私は後ろを振り返り、晋作を眺めていたようだ。
「何を考えてやがった?」
「えっと……何だろ……あぁ、そうそう。松陰先生は、どうして先生になったのかなぁって……」
「何だ、そんな事か。先生の生家である杉家は、萩の下級武士だった。だが、幼少の時分に養子に出された親戚の吉田家が、明倫館の兵学師範を代々務める家柄だった……ただ、それだけだ」
「ふぅん……明倫館って藩校だよね。そんなに凄い所の先生だったのに、どうしてまた松下村塾だなんて小さな学校の先生になっちゃったの?」
「学……校? なんだそりゃ。まぁ良い……先生は密航の罪で、初めは江戸の伝馬町の牢に入れられていた。しかし後に、萩の野山獄へ戻されたわけだ。野山獄で先生は講義をしていたそうで、その講義が評判となって、牢から出された。そこで……」
「ちょっと待って、野山獄っていうのは牢屋なんだよね? という事は、牢屋で人を教えていたってこと? この時代では、そんな事ができるんだ……監獄のクセに、何だか自由ね」
「まぁ……野山獄は、士分の為のものだからかねぇ? で、先生は……牢から出てからは実家の杉家にて、家族を相手に講義をしていたそうだが、その内に自然と門下生が増えてきてなぁ……そこで、松下村塾を開いたというわけだ」
その後も長州山に着くまでの間、晋作から松陰先生の色々な話を聞かせてもらった。
晋作の話を聞けば聞くほど、私は松陰先生にもう一度逢いたくなる。
しかしあの一件以来、先生が私の夢に現れることは一度として無かった。
どうしたら、会えるのだろうか……
長州山に着いてから改葬の儀が終わる頃には、辺りはすっかり茜色になっていた。
早朝から出掛けた為か、何だか眠い。
しかしそんな私とは逆に、晋作たちは祝杯をあげようなどと言っている。
流石は長州男児とでも言うべきか……
それは達成感から来るものなのか、単に彼らがタフだからなのか……皆が皆、清々しいほどの笑顔を浮かべていた。
まぁ良いや……軽くご飯を食べたら、部屋でもとってもらって寝ちゃおう。
どうせみんなは朝方まで、大宴会状態なんだろうしね。
私は、そんな事を思いつつ大きな欠伸をする。
その瞬間、不意に晋作と目が合ってしまった。
晋作は眉間にシワを寄せ、不機嫌そうな表情に変わる。
まずい……こんな時に、欠伸なんてしたから……怒ったのかな!?
いや……決してつまらないとか、そういう訳じゃないんですよ。
ただ、朝が早かったからか……少し眠くて……
私は、心の中で必死に弁解する。
晋作は武人らのもとを離れ、ゆっくりと私の方に近付いてくる。
「ご……ごめん! いや、さっきのは別につまらないとかそういうんじゃなくって……ただ、今朝は早かったから……」
「……お前も疲れただろう?」
「っ……え!? 今、何と?」
「だから! 一日中、あちこちを馬でフラフラしたんだ……お前も疲れただろうと尋ねたんだ。お前にしちゃあ、早起きだったからな。欠伸がでるのも仕方あるまいよ」
「怒って……ないの?」
「何に怒る? 俺には、怒る理由なぞねぇさ」
私は、晋作の意外な言葉に拍子抜けしてしまう。
てっきり、こんな時に欠伸をするなんて良い身分だなぁとか何だとか……って、怒られるものだとばかり思っていた。
というか……晋作が……
変!?
何が変って?
とにかく、全てが変なの!
そもそも、いつもなら頬でもつねられそうなモノなのに……そんな扱いどころか、私にこんな風に優しい言葉を掛けるなんて……やっぱり、おかしい。
「何を企んでいるのよ!?」
「はぁ? お前は……何を言っている?」
「絶対、嘘! だいたい、昨日から変なのよ。絶対に何か、良からぬ事を企んでいるんでしょう?」
「企み……だと? 意味の分からねぇ事を耳元で、ぎゃあぎゃあ言うんじゃねぇよ!」
言い合う私と晋作に気付いた武人らは、心配そうに歩み寄る。
「お前ら……また喧嘩しているのか? 今度は一体何が原因だ?」
「知らねぇよ……コイツが勝手に、訳の分からねぇ事を言いだしたのさ」
「だって、晋作が……変なんだもん!」
私と晋作の言い分が、武人たちに伝わるわけもなく……みんなは、また喧嘩が始まったとでも言いた気な表情を浮かべ、溜息をついている。
「……面倒臭ぇ」
晋作はそう一言だけ呟くと、私を抱え馬に乗せる。
自分もその後ろに飛び乗ると、その場で唖然としている武人らに声を掛けた。
「悪ぃが、祝杯はお前らで好きにあげてくれ……」
「それは構わぬが……高杉、お前は何処に行くのだ? 藩屋敷に戻るのか?」
「さぁ……な」
「お、おい! 高杉っ!」
大声で呼び止める武人の声も聞かず、晋作は馬を走らせる。
「ちょっと! 突然なんなのよ!? 屋敷に戻るならそう言えば良いじゃない。あんな言い方したら、武人だって心配するでしょうが」
「お前は、少し黙ってろ。馬上で喋っていると、舌を噛み切るぞ?」
「っ……分かったわよ」
そう言われてしまっては、何も言い返せない。
私は、晋作の顔をチラリと見ると、すぐに前に向き直した。
江戸の地理は全く分からない。
しかし、何故だろう?
何となく、藩邸の方角とは逆を行っている気がする。
晋作は一体、何処に向かっているのだろうか……




