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異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
ほのぼの番外編
62/131

草津千軒江戸構え ―前編―

 

 

 

「おい、これから出掛ける。お前にとっては、長旅になるからな……十分に支度しろ」




 ある日突然、晋作が言い出した。


 晋作はいつも唐突に物事を言う。


 あの日の傷も、生活には何とか支障が無いという程度には回復していたが……遠出となると、話は別だ。


 正直、あまり気が進まない。



「何処に行くのよ?」


「何処に行くのだ?」



 私と玄瑞は、同時に尋ねた。



「喜べ! 上野国だ」


「こ……上野!? 何でまた、そんな田舎に?」



 私は思わず目を丸くさせる。


 上野と言えば、現代の群馬県。


 距離で言うならば、東京からは100キロ程だろうか。



「何故、上野なのだ?」



 玄瑞は、不思議そうに尋ねた。



「湯治さな」


「湯治?」


「江戸のモンに聞いたところによると、草津の湯は番付で、大関に位置する人気っぷりだそうだ。そんな湯に漬けときゃあ、コイツの傷も早く治るだろうよ」


「そうか……何だかんだと言ってはいても、お前も大層な仲間想いなのだな。感心、感心」


「……そんなんじゃねぇさ。そりゃあ、お前の考え過ぎだ」



 玄瑞の言葉に、晋作は照れ臭そうに顔を背けた。



「でも、草津って……相当遠いよ!? 草津は上野の外れだもの」


「それだけ不便な場所にありながらも、多くの人が訪れる。という事は、だ……草津の湯は万病に効くというのも、あながち嘘ではあるまいよ」


「そうかもね。草津よいとこ薬の温泉(いでゆ)って言うもんね」


「な……何だ、そりゃあ?」



 晋作は、不思議そうな顔をする。



「上毛カルタよ。群馬県民の常識ね」


「はぁ!? 余計に意味が分からねぇ……」


「簡単に言うと……上野の名産物や有名な人を、紹介してるのよ。子供ながらに、遊びながら郷土の事を知るの。それに草津温泉は、私の時代でも有名だよ」


「お前、随分と詳しいな。ほとんど訳の分からねぇ知識だが……」



 得意気な表情を浮かべる私を見た晋作は、口角を上げた。








 どれ程歩いたのだろう?


 百数十キロの道のりは、やはり辛い。


 傷の痛みより、足の方が痛むようだ。


 舗装されていない道というのは、長距離になればなる程足腰にくる。


 この時代の人には、本当に感心してしまう。


 どれだけ歩いても音を上げる事なく、その歩みをただひたすら進めるのだから。




「大丈夫か? 少し休んでも良いのだぞ」


「……大丈夫」


「無理をするな。お前は、私や晋作とは違うのだ。疲れたなら、疲れたと言ってくれて良い」


「私だって……そんなに柔じゃない……わよ」


「相変わらず、強情だな」



 息を切らせながら二人に食らい付いていく私に、玄瑞は苦笑いを浮かべる。


 二人が私の歩調に合わせてくれている事など明白だ。


 その上、休憩したいなど……言えやしない。


 きっと、くだらない意地だろう。



「おい……止まれ」


「はぁ!? 何言ってんのよ」


「良いから、止まれと言っている」



 怖い顔をしている晋作にビクっと肩を震わせると、私はそれ以上口答えする事無く、それに従った。



「そこに座れや」



 晋作は、近くにあった切り株を指差す。


 休憩のつもり……なのだろうか?


 私は仕方なく、そこに腰を下ろした。



「ちょ……ちょっと! 何してるの!?」


「ぎゃあぎゃあ、うるせぇ女だなぁ。良いから少し黙っていろ」


「だ……黙ってろって言われても……」



 晋作に足を掴まれたまま、私は黙り込む。



「お前……いつからだ?」


「っ……分からない。足が痛いなとは思っていたけど……結構、酷そうだね」


「結構、酷そうだね……じゃねぇよ!」


「そりゃあ少しは痛むけどさ、まだ大丈夫だってば」


「お前、それで本当に医術を学んでいるのか?」


「ええ。学んで居ますとも」



 私の返事に、晋作は大きな溜め息をついた。



「足の傷は、そのままにしておくと毒に侵される」


「毒?」


「毒は傷口から入り、やがては人を狂わす。そうなって、元に戻った者を私は知らない。皆、ただ死ぬのみだ」


「何それ!? 怖すぎるんですけど!」


「ならば、少しおとなしくしていろ。すぐに済む」



 玄瑞は晋作から瓢箪を受け取ると、私の足の傷を洗い流すようにかけた。


 足を酒で消毒されながら、私はふと考える。


 玄瑞の言った毒とは何なのだろうか?


 人を狂わす、治る事の無い病。


 考えただけで身震いする。



「ねぇ。さっきの話だけど……何て言う病?」


「何だ、恐ろしくなったのか?」


「うん……だって、今のでもし罹患していたら……」


「ツグイや牙関……傷風とも言う。痙病様……つまり、身体を痙攣させながら弓形になり、死んでいく。実際に見た事があるが、あれは忘れられるものではない」


「そんなに酷い病なんだ……」



 その言葉に、必死に頭を巡らせる。


 とはいえ、ツグイなんて聞いた事も無い。


 牙関に傷風……


 しばらくして、不意に思い出す。



「牙関緊急! 牙関っていう病は知らないけど、牙関緊急なら知ってる」


「牙関……緊急?」



 確か、咬筋という筋肉の強直で口が開かなくなる症状だったような……


 歯を食いしばる様にしたまま、口が開けられなくなる感じの。


 あれは何だっけ?


 玄瑞は、傷から毒が入るって言っていた。


 牙関緊急と……そうだ、後弓反張。


 後弓反張とは、玄瑞の言う通りの症状だ。


 胴体を弓なりに反らせる背筋痙攣。


 そう言われてみると教科書に、絵が載っていた気もする。



「答えは、破傷風ね? 牙関緊急と後弓反張。それに、傷口から入る菌だもん」


「破傷風……そういえば、そんな呼び名もあったな」


「えっ? あるの?」


「以前読んだ水戸の医学書には、そう書かれていたな。確か……三喜直指篇と言ったか」


「なんか……凄いね」


「何がだ?」



 玄瑞は不思議そうな顔をしている。


 何が凄いって……


 医術を会得し医者として生計を立てているだけでなく、国学や漢学などを学び、洋書を読み……政論を唱えている。


 現代で例えるならば、医師が議員になる様な感じだろうか?


 晋作は……この時代でも現代に例えても、何ら変わりはない、資産家の息子とでも言ったところだろうか?



 何にせよ……



 彼らが現代人ならば、すぐにでも嫁ぎたくなる程の好物件なだけに、時代の異なりが何とも口惜しい。



「奇妙な面ぁして見てんじゃねぇよ!」



「晋作の言う通り、顔が……緩んでいるぞ? 一体、何を考えていたのだ?」



 晋作と玄瑞は、不思議そうに尋ねる。



「何だろうねぇ……二人がこんな時代に居るのが、勿体無いって事かな?」


「勿体無い……ねぇ。良くは分からねぇが、手当てが済んだのならば行くぞ? 今日はあの宿に泊まりゃあ良い。お前は宿まで、玄瑞に背負ってもらえ」


「こんな時も、玄瑞任せ!? そこは格好良く、俺が背負ってやる……でしょうが?」


「何故、俺がお前を背負わねばならねぇんだ? 体格差を考えても、玄瑞の方が適任さな」



 晋作は、そう言って背を向け歩き出す。



「そうですね! ちっさい晋作より、おっきい玄瑞の方が適任だもんね!」


「今……何と言った?」



 クルリと振り返った晋作は、眉間にシワを寄せている。


 そのまま私の前まで戻って来ると、私をヒョイっと担ぎ上げた。


 それは、抱きかかえるとか背負うとか……そんな優しい物ではなく、まさに荷を肩に担ぐ様な感じで色気の欠片も無い。



「ごめん! ごめんって……謝るから下ろしてよ!」


「お前ごとき……俺でも持てる」


「持つとか持たないとかじゃないの! 荷物じゃないんだから……この担ぎ方は安定感が無いよ」


「暴れんじゃねぇよ。本当に落とすぞ?」



 私は玄瑞に、無言の助けを求める。


 その様子に気付いた玄瑞は、黙って私に手を伸ばした。



「余計な事を……してくれるなよ?」



「晋作……やはり、気配で気付いてしまったか。美奈、これは己の言動が仇となった事……致し方あるまい」



「そ……そんなぁ」



 草津まで、距離にしてあと半分。



 私達の旅路も、まだまだこれからだ。









 






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