表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異説・桜前線此処にあり  作者: 祀木楓
第3章 長崎での日々
23/131

西洋式病院

 



 久坂サンと合流したその日の晩に、私たちは長州藩邸へと赴いた。


 渡航準備が整うまでの間は、この藩邸に留まるそうだ。


 長崎に着いてからしばらく経つが、上海に向けて出立する兆しは全く無い。


 高杉サンはというと、毎日飽きもせずに遊郭などで遊びまわっているし……


 五代サンは毎日尋ねてきては、久坂サンと小さな争いを繰り広げているし……


 そんなくだらない毎日に辟易していた私。


 出るのは深い溜息ばかり……





「浮かない顔をしてどうした?」


 久坂サンは心配そうに尋ねる。


「私たち、いつまで此処に居るんだろうね。清国に向かう予定も定まらず、高杉サンは遊んでばかりだし……久坂サンは毎日、五代サンと争っているし」


「それは、あの男が懲りずに毎日訪ねてきては、お前に馴れ馴れしくするから悪いのだ! 高杉は……まぁ、そういう奴だから仕方がない。……とはいえ、確かに何の目的もなく日々過ごすのは飽きてしまうな」


 私の表情を見て、久坂サンは呟く。


「ならば、何処か出掛けるか?」


「……何処に?」


「そうだな……お前が興味を持ちそうな所は何処だろうな?」



 久坂サンはしばらく考える。



「養生所……そうだ! 小島郷の養生所はどうだ? 昨年できたばかりだそうだが、そこには医学伝習所も移転したと聞く」


「伝習所ってなぁに?」


「医術を学ぶ塾の様なものだ。養生所の評判は詳しくは分からないが……聞くところによると、かなり近代的な物だそうだ」


「行く!! 行ってみたい!!」


 その言葉に、私は思わず久坂サンに飛びついた。


「やっと……笑ったな。お前が行きたいと言うのならば、行くしかあるまいな。今からでも遅くはない! 早速、向かおう」


「ありがとう! すぐに支度をするから待っていて?」


「わかった、わかった。ゆっくり支度を整えて来ると良い」





 藩邸を出てかなりの道のりを歩いた。


 小島養生所とは、日本で最初の西洋式の病院だと看護概論の講義で習った。


 教科書に写真は無かったが、西洋風な造りなのだろうと期待に胸を躍らせる。





 養生所……





 これが近代的な病院?


 その木造二階建ての古めかしい佇まいに、私は思わず立ち尽くす。


 それは想像とはかけ離れており、思いっ切り期待していた分、その落胆も甚だしかった。



 まぁ、当然といえば当然……か。



 きっと、コンクリートなど無いのだろうし……



「久坂サン! これのどこが近代的なの? 見たところ普通の建築物じゃない」


 私は久坂サンに説明を求める。


「私に聞くな! 最近出来た施設の事など分かるはずもないだろう?」


 久坂サンはバツが悪そうに言った。



「あらあら、あなた達……此処に何か用でもあるのかしら?」



 気付けば、三十代程の美しい女性が目の前に立っていた。



「これは失礼しました。私は長州の医者、久坂玄瑞と申します。こちらは私の弟子の美奈です。私共は、清国渡航の為に長崎に寄ったのですが……支度が整うまで日数が掛かる故、その間に是非ともこちらを拝見させて頂きたく参りました」



 久坂サンは深々と頭を下げる。


 私も久坂サンと同様に頭を下げた。



「あら……こんなに年若い娘さんが医術を学んでいるなんて、嬉しいわ。私はイネと申します」


「イネ、さん? あの! もしかして、お父様はシーボルトさん……ではありませんか?」



 無礼を承知でつい、私は尋ねてしまった。



「貴女、父をご存知なの? まぁ……驚いた……」



 シーボルトの娘、楠本イネ。


 何を隠そう、この方は……日本で最初の女医サンなのだ。


 まさか……こんなところで、そんな偉人に会えるとは!


 思わず目が輝く。



「見学かしら? とはいえ、参考になるものが有るかは分からないけれど……可愛いお嬢さんの為ですもの、案内しましょうね。さぁさ、こちらへどうぞ」


「ありがとうございます!」



 私と久坂サンは同時に頭を下げた。




 中に入ると外観との違いに、驚嘆した。


 古めかしい佇まいの外観からは全く予想もできない様な世界が、そこには広がっていたからだ。


「あれ? イネさん、お帰りになったのではなかったですか?」


 一人の男性がすれ違い様に、イネさんに尋ねる。


「帰ろうかと思ったんだけどね、面白い拾い物をしてしまったのよ」


「面白い拾い物?」


 男性はイネさんの後ろに居た私たちを一瞥した。


「このお嬢さんはね、医術を学んでいるそうよ。ね? 面白いでしょう?」


「ほう? イネさんの様な女性が居るとは、正直驚きですね。彼女は医学所に入りに来たのですか?」


「いえ、今日は見学だけよ。きっと興味を持って頂けると思うのだけれどね」


「そうですか……あ、僕はこの辺りで失礼します。これから良順先生に書簡を届けた後、ポンぺ先生のところにも行かなければなりませんから」


 そう言うと、男性は足早に去って行った。




 良順……それって、松本良順?


 新選組の医師をしていた、あの松本良順!?


 というか……ポンぺって、この時まだ日本に居たの!?


 ポンぺが今居るって事は、後任役のボードウィンはまだ居ないのね?


 頭の中で、歴史的背景を必死に整理する。




「ポンぺって、ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールトですよね? 良順って、松本良順ですよね? 凄い、本当に凄いですよ!」



 教科書に載っている様な偉人と、大好きな新選組に関与した医師。


 そんな非現実的な体験に、つい興奮してしまう。



「あら、お嬢さんは物知りなのね。偉いわ」


 イネさんは穏やかな笑顔で、優しく言う。


「病院を見学させて頂いた後、ポンぺさんに会わせて頂けますか?」


「そうねぇ……うん! 彼もきっと貴女に興味を持つと思うわ。後で行ってみましょうね」


 私をじっと見ると、イネさんはそう答えた。


「さて、まずは館内を案内しましょうね」


 私たちは、イネさんに説明を受けながら病院内を付いて回る。


「ここは病室よ。この養生所にはね120程の病床があるのよ。素晴らしいでしょう?」


「120も!? 確か、ここでは食事もあるんですよね? それに……患者の身分を問わないとも聞きました」


「そうよ。ここでは侍も町民も関係ないわ。医学の前では人は皆平等なのよ。それにしても……貴女、よく勉強しているわね。感心するわ」


「ありがとうございます。私、ポンぺさんの言葉が印象的だったんです。だから此処の事も、記憶に残っていたんです」


 私は目を輝かせながら言った。




 医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。


 ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。


 もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい。




 これがその有名な言葉。


 私が目指すものは看護師だが、医師というこのフレーズを看護師に置き換えても、その意味を成すと思う。


 そういった事から、私の中では特別印象に残ったのだ。




「貴女は不思議な娘さんね。ここまでよく知っているのは何故でしょうね?」


「あっ…………」




 あまりに興奮しすぎた私は、ついつい話しすぎてしまっていたのだ。



 学校で勉強した私にとっては知っていて当然の事……



 しかし、この時代の一般人であれば知らなくて当然の事……




「その表情は……何か事情がありそうね? でも、まぁ良いわ。色々な事情があるのは私も同じこと。医学を学びたい気持ちさえ本当ならば、女の事情などさしたる問題ではないわ」



 イネさんの事情……それは何を指すのだろうか?


 ハーフである事?


 それとも、お子さんのこと?


 複雑そうな表情を浮かべるイネさんに、それ以上深く聞くことはできなかった。



「さて、と。案内もこんなところかしらね? 何か聞きたいことはある?」


「あの! ここには多くの患者が居ます。そして多くの医者や学生が居ます。ここには……看護婦は居ないのですか?」


「看護……婦?」



 イネさんは首をかしげる。



「患者の療養上の世話とか、医者の診療の補助などを行う人のことです!」


「そうねぇ……医術に関しては全て医者が行っているわ。たいていの患者には、家の者や女中などの付添婦が居て、その方々が身の回りの世話を行っているわね」


「そう……ですか」



 おおかた予想はしていたが、もしかしたら……という淡い期待を抱いていた私は、ガックリと肩を落とした。



「さぁさ、そろそろ先生のところへ行ってみましょうか! 私など比較にはならない程、先生は遥かに膨大な知見をお持ちだから、貴女もきっと得るものがあるはずよ」




 そう言うと、イネさん率いる私たちは、ポンぺさんの居る部屋へと向かった。





 




 







 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ