小倉の夜
外に出たところで行く宛てなんてない。
見知らぬ土地と自分が知らない史実。
不安は募るばかりだ。
外を少し歩くと小さな神社が見えた。
鳥居をくぐると、その境内に腰を下ろした。
「新選組のことなら色々と知ってるんだけどな……こっち側のことは詳しく無いから……なんだか怖い、な」
夜空に浮かぶ月を見上げて呟いた。
晋作が奇兵隊を作ることは知っていた。
でも……結成されたばかりの奇兵隊が実際に何をしていたかなんて、私は知らない。
奇兵隊の逸話で有名なのは、晋作が率いる奇兵隊が少数の部隊で挙兵して藩論をひっくり返すことくらいだ。
それはもう少し先の話。
奇兵隊は、晋作を中心に色々な人が活躍する正義のヒーローのような部隊だと勝手に思っていた。
長州が関連することで知っていることといえば、それこそ学校で習う程度のざっくりとした史実の知識くらいだ。
だからこそ先が見えず不安になるのだろう。
私は暗い境内で一人膝を抱えた。
しばらく経った時、遠くから人の足音が聞こえてきた。
いつ何があっても良いようにと、私は立ち上がる。
誰かに斬りかかられてもすぐにでも抜刀できるようにと、そっと刀に手をかけた。
人影が一つ……一人ならば、それがもし野党の類であったとしても戦える。
「お前……こんな時間に剣の稽古でもするつもりか?」
「晋……作?」
見慣れた姿にホッと胸を撫で下ろし、抜きかけていた刀を戻した。
「そんなに殺気立ってりゃあ、その気を相手に気取られる。刀ぁ抜く時は気を落ち着けて、相手に殺気を気取られねぇようにするもんさ」
「別に……稽古をするためにここに居るわけじゃないもん。足音が聞こえて……野党か何かだと思ったから……」
「とりあえず座れ」
晋作に促されるまま、先程座っていた場所に戻った。
「どうして見世を出た? 何が気にいらねぇ?」
「別に気に入らないことは何もないよ。なんとなくモヤモヤして……それで、夜風に当たろうかと思っただけ」
「あまり俺に手間ぁ掛けさせんな」
「……だったら、放っておけば良いのに。別に追いかけて来てくれなんて頼んでないし」
「お前は馬鹿か! こんな夜更けに女一人、野党にでも襲われたらどうする! 前に野党に出くわした時のこと、忘れたわけではあるまいよ」
「私だって少しは剣を扱えるし、あの時よりも強くなってるはず。別に、自分の身くらいは守れるもの」
その言葉に晋作の表情が一瞬にして変わった。
「そうか、それ程に言うのならば……やってみろ」
晋作は立ち上がると、静かに刀を抜いた。
「刀を抜け。お前のその言葉、俺が試してやる」
晋作のその真剣な表情に、私も立ち上がり刀を抜いた。
私が構えたのを確認すると、晋作は私へと斬り込んだ。
晋作の刀を何度か受け、一度間合いを取った。
その後も立て続けに晋作は斬り込み、私は防戦一方だった。
「どうした? お前の力量はそんなものか? 剣術を習ったとはいえ所詮は芋剣法……俺らの前には太刀打ちもできまいよ」
「まだ負けたわけじゃ……ない」
軽く身を引くと、今度は私から攻め込んだ。
総司から習った渾身の突きだ。
「良い身のこなしだ……だが……遅ぇな」
晋作は私の剣をいとも簡単にかわすと、私の肩を軽く押した。
その反動でバランスを崩した私は膝をつく。
「なんだ……もう終いか。つまらねぇなぁ」
晋作は小さく呟くと、私に背を向けた。
「戦闘中に敵に背を向けるなんて……馬鹿ね」
私は静かに立ち上がると殺気を気取られないよう心を落ち着け、晋作の背に向けて斬り込んだ。
「今のは悪くはねぇな」
瞬時に振り返った晋作は、私の剣を受け止めた。
その力強さに私の刀が手から落ちる。
晋作は私の首元に切先を当てた。
「これで終ぇだ」
私は負けた悔しさで唇を噛み晋作を睨んだ。
晋作はニヤリと笑うと刀をおさめ、私の手を引いた。
そのまま私を優しく抱きしめる。
先程まで斬られそうなほど殺気だっていたのに……晋作のその真逆の行動に何も言えずに私はただただ立ち尽くした。
「あまり心配をかけるな。お前を失うことは……俺らにとって……いや、俺にとって怖ぇんだ。先生を失った時のあの思いは……もう、したくねぇ」
「……ごめん、なさい」
晋作の声は震えているようだった。
松蔭先生の死を思い出しているのだろうか。
私はその震えを止めようと、晋作の背中をそっと撫でた。
「お前は確かに強くなった。だが、免状を持つ者にとっちゃあ、お前のその力量は子ども同然だ。刀を抜くということは、どちらかが死ぬということ。それが女だろうが、相手は待っちゃくれねぇ。俺ぁ、お前にそんな危ねぇことはさせたかねぇのさ」
「それでも……私は、みんなの足手まといにはなりたくない。みんなから大切に守られるだけなのは嫌なの。もしもの時は私はみんなの……晋作や義助の盾になりたいの」
「足手まといだなんて思っちゃいねぇさ。お前に盾になられて死なれても俺らは嬉しくねぇよ。お前は俺がそんなに弱ぇと思ってるのか?」
「そんなことはない……けど」
晋作の想いは分かる。
でも……私の想いもある。
上手く説明しようにも、そこに続く言葉が見つからなかった。
生暖かい夜風に汗がにじむ。
「帰ぇるぞ」
晋作は私の手を取ると、もと来た方向へと歩き出した。
繋がれたその手を振り解くこともできず、私も共に歩き出した。
部屋に着くと、そこには九一や稔麿の姿は無かった。
「ねぇ……九一たちは?」
「奴らなら帰した。お前が居なくなったんだ、宴どころではねぇさ」
「……ごめんなさい」
「呑みなおす。お前も付き合え」
晋作はお酒を注いだ盃を私に差し出した。
差し出された盃にそっと口付ける。
「ねぇ……晋作はどうしてそんなに強いの?」
「強ぇと思ったか? 一応、力は抑えちゃいたんだがな」
「えーっ!? あれで本気じゃないの!?」
「女に本気で斬り込む馬鹿がおるまいよ」
晋作はフッと笑った。
「手加減されてアレかぁ……私ももっと強くならなきゃ」
「お前は俺の言ったことをもう忘れたのか? お前が強くある必要はあるまいよ。お前は常に俺達のそばに居りゃあ良い。お前には常に誰かしらが共に居るだろう? 一人で出歩こうなんざ思わねぇことだ」
「いつも二人くらいは付き添ってくれているけど……もしかして私のことを心配してくれているの?」
「何を今更、馬鹿げたことを言っている。お前のように衝動的に動くヤツに心配しねぇわけがあるまいよ。常に俺や義助が共に居られるわけじゃねぇ。だからこそ武人や狂介などを付けているのさ」
「そう……なんだ。ありがと」
「双璧の姫君に先立たれちゃあ、俺らも寝覚めが悪ぃわな」
「もう! その呼び方やめてよね。九一みたいに初めて会った人にまで言われて恥ずかしいったらないのよ」
「文句なら名付けた俊輔に言いやがれ。俺ぁ存外気に入っちゃあいるがねぇ」
楽しそうに笑う晋作に頬を膨らませた。
「まぁ、そう怒るな。お前は双璧の宝ってことさな。勇ましいのは結構だが一人で突っ走るな。俺らを少しは頼れ。お前は何でも一人で抱え込みすぎだ」
「……分かった。努力はする」
晋作や義助が私を大切な仲間だと思ってくれていることは分かった。
人に頼ることは苦手だけど……頭の片隅には入れておこうと思った。
「そうそう、晋作の強さについて知りたいんだけど。やっぱり、たくさん稽古したの?」
「俺ら士分は、ゆくゆくは刀を下げて歩かなければならねぇ。人には向き不向きもあるが、士分の者はそれなりに剣術を身につける必要があるからな。子どもの頃より俺らは剣術を学んでいる」
「それで何年も修行しているから強いのかぁ。晋作の流派は?」
「柳生新陰流さな。免状もある。その後は江戸に渡り、練兵館でも習った」
「練兵館といえば、神道無念流ね」
「ほぅ……詳しいな。練兵館を知っているならば、その力量は分かるだろう? だからこそ、お前が俺に勝てる訳があるまいよ。相手の強さも分からずに突っ込むなぞ、みすみす死にに行くようなものさ。相手の力量を見極められる目を養わねば……お前、すぐに死ぬぞ」
「力量を見極める……か。殺気を殺すと言っていたのといい、晋作は凄いね。やっぱりね……一人で稽古をしたり、時々誰かに稽古をつけてもらったりするだけじゃ限界を感じていたのよね。私、明日から晋作から習いたい!」
「どうしてそうなる? 俺ぁ面倒ごとは嫌ぇだ。だが……他でもねぇ、お前の頼みだ。仕方ねぇな。明日より暇を見つけて稽古をつけてやろう。お前の田舎剣法の癖も直してやらねばなるまいよ」
「試衛館の、天然理心流の打ち込み方はそのままで良いの! 足りないところを習いたい。お願いします! 晋作先生」
「仕方ねぇな……俺らほどとまでは行かずとも、少しはマシに戦える程度にはしてやる。だが……約束しろ。一人で勝手に出歩かねぇこと、それと勝てねぇ相手に刀を抜かねぇこと。分かったな」
私は静かに頷いた。
「そういえばさ、義助は強いの? 晋作とどっちが強い? 強い晋作にも勝てない人はいるの?」
「お前は質問ばかりさな。あの馬鹿は俺らとは身分が違ぇが、それなりに剣も扱えるとは思うが……剣術よりも学問、というのが義助どもだ。俺にも勝てねぇヤツは居るさ。桂さんなどは本当に強ぇ。免状も持っているしな」
「桂さんが!? あんなに穏やかそうな人なのに……それは意外。普段の感じからして、剣術とかできなそうだもん」
「真の強者はそういうモンさ。普段は殺気一つ見せず、己を弱者と見せかけている者ほど強ぇのさ。自分の感情を上手く操れねぇ奴ぁ、強くはなれまいよ」
「……そっか」
あの晋作が認めるほど、桂さんは強い。
桂さんといえばいつも笑顔で物腰が柔らかくて……私の知っている歴史でも、逃げの小五郎と呼ばれるほど戦わない臆病な人という印象だった。
本当に強い人は、弱者と見られていても何とも思わないような、芯の心の強さがあるのだろうか。
「明日も朝から慌ただしくなる。お前もそろそろ休め」
晋作の言葉に、二人だけの酒宴はお開きとなった。




