パイ投げと帰り道
「楽しかったでっす! 帰ったらご飯作るねイックン」
「あぁ、海の家に行く暇もなく延々と遊んでいたからな」
「夜は私もお手伝いしますからね樹さん」
「ホッホッホ、若いですなぁ」
この上なく海を体験した後、着替えた俺達は森重さんの車に向かっている。予想は外れて晴彦さんと葉香さんはこれなかったようだ。まぁ、まだ滞在するしまだ海に来ることはあるだろうけど。
そして……後ろから凄いオーラの錬がまだついてくる。
「おい、ちょっといいか樹」
「……お前もさっさと帰れよ。大変だったろ?」
それなりに日葵に集中していたとはいえ、女性の視線にさらされており、それなりに心のHP消費しているはずだろうが。実際、顔色は優れていない様子だが肩に手を回して日葵から引き離される。
「あぁ、絶望感が凄くて倒れそうだよ。お前、もしかして卜部と一つ屋根の下なのか?」
「……そうだけど、言っとくけど日葵の両親もいるし、変なことはしないぞ」
整った顔の男がガンを付けてくるとそれなに迫力があるな。というか目が血走って怖いぞ。
「九州で最高のホテルの一つのスイートを用意してやるから、こっちに泊れ。いや、連れて行く」
「断固、断る」
肩を砕かんばかりに握って来るんだけど、痛い、痛い。
「お前、卜部の手料理を普段から食べてんのかよっ!」
「彼氏だからな。いいから、さっさと帰れよっ!」
「お前を連れて行くまで離れるか、それか俺も招待しろよっ!」
「ダメに決まってんだろ。ほら、迎えが来てんじゃん」
駐車場が見えてきた。森重さんのハイエースと露骨な高級車が見えている。
「いいや、絶対連れて行くね。デカいモニターでゲームもできるぞ」
「なんのアピールだよ……」
コイツ、日葵から俺を引き離すというよりも遊びたいだけなんじゃないか?
日葵を見ると、ニコニコと前を向いて今晩の献立を咲月ちゃんと話し合っている。
森重さんに頼るのも違うしなぁ。錬は興奮冷めやらぬといった様子だ、どうするかな?
『ぁ……ぁ…ぃ』
「うん、今なんかの声がしたか?」
「俺も聞こえたぜ」
「遠くから聞こえたけど、叫び声みたいだったです」
「怖い。早く車へ行こうお姉ちゃん」
唐突に聞こえた謎の奇声に身構えていると、声がだんだん近づいてくる。
駐車場のその先から、ウー〇イー〇見たいな宅配のリュックを背負い、ロードバイクに乗った……。
「オノレ、日下部 樹ぃいいいいいい。我が娘の水着姿を堪能しおってぇえええええ」
「晴彦さんっ! チッ、変なタイミングで来たな」
「お父さん?」
「えっ、卜部の親父か? あ、挨拶とか必要かな」
車まではまだ距離がある、逃げ込む前には追い付かれる。
……だとすれば、取れる手段は一つ。
「とりあえず、俺狙いだろうから躱して走るぞ。錬は俺の近くには立つなよ」
あえてあたりやすい場所に移動して体をほぐす。森重さんは、靴はサンダルだけど健脚そうだし明らかにただ物じゃないから心配ないだろう。
「もう、お父さんにも困ったもんだよ」
「アハハ、樹さんだから安心だけどね」
「お、おい樹。これはどういう――」
「来るぞ」
困惑する錬を置いて、晴彦さんが接近してきた。
「喰らえっ、激辛ワサビパイをなぁあああああああああ!」
無駄に器用に、無駄に洗練された、無駄な動きで背中のリュックからパイを取り出して構えてきた。
普段カメコで運動は全然してない、という割にはそれなりに動けるんだよなあの人。
そもそも、車でもちょっとかかる距離を普通に自転車で来ているし。
「よっと!」
もはや様式美ともいえるパイ投げを上体を捻って回避。流石に自転車で移動しながらなので、やや狙いはそれたようだ。これなら、大きく回避する必要は――。
「ヘバァ!!」
俺を庇おうとしたのか、なぜか当たる瞬間に後ろに移動していた錬にパイが直撃した。
しかも、顔面である。
「「「……」」」
一同が沈黙するが、一番早くに動いたのはクールシスター(と俺が心で呼んでいる)咲月ちゃんだった。
晴彦さんが止まり切れず、盛大に砂浜に突撃していたので今がチャンスという判断だろう。
それなりに高さのある段差があったが、まぁ、あの人なら大丈夫か。
「えと、早く車に行きましょう。ほら、お姉ちゃん」
「わわ、サッキー、引っ張ったら危ないよっ。イックンどうしよ!?」
「あー、晴彦さんと錬は大丈夫だ。先に行ってろ」
「大丈夫じゃねぇ! 目が、目がぁあああああ」
目を押さえてム〇カみたいになっている錬にミネラルウォーターのボトルとタオルを渡して、ハイヤーの運転手に声を掛けて、俺も車へ走りだす。
スマン錬、お前のことは正面から受け取めると決めたが、日葵との食事の時間は渡すわけにいかん。
心の中で合掌して、さっさと車に乗り込む。
「森重さん。出してください」
「まったく。晴彦様は……行きますぞ」
こうして、ようやく俺達は帰路についたのだった。
帰り道の車内。疲れたのか日葵はすぐに眠ってしまい、肩にもたれてくる。
口を開けて間抜け顔。その手は俺を握っていた。
「むにゃ……イックン…」
「フフ、お姉ちゃんは寝ても覚めても樹さんを想っていますね」
「からわかないでくれよ咲月ちゃん」
「からかっていませんよ。感動しているんです。前なら、私がいたら手を放していたのに……。今はそのままなんですね」
咲月ちゃんが日葵の頬を突いている。確かに、少し前までなら咲月ちゃんの前で手をつなぐことなんて恥ずかしくてできなかったかもな。
「ダメかな?」
「いいえ、離さないでください。樹さんと一緒にいるお姉ちゃんが、一番可愛いですから」
そう言ってほほ笑む中学三年生と涎を垂らす高校二年生……。
どっちが姉なんだか、ため息をつきながら日葵の手を握り直したのだった。
ブックマークと評価ありがとうございます。
感想も嬉しいです。
ハイファンタジーでも連載しています。よかった読んでいただけたら……(文字数100万字から目を逸らしつつ)嬉しいですっ!下記にリンクあります。
『奴隷に鍛えられる異世界』
https://book1.adouzi.eu.org/n9344ea/




