狙われた天然少女
空港からハイエースに乗って、一時間ほど、あっという間に周囲の景色に緑が混じる。窓を開けると潮の香りと草の匂い。
「……海が近いのか」
「へぇ、凄いねイックン。まだ山道なのに海が近いことがわかるんだ」
「匂いでわかるだろ?」
「ん~? わかんないでっす」
クンクンと鼻を動かすが日葵。犬みたいだな。
「樹君は鼻が効くようですね。得難い資質です」
軽快にハンドルを操りながら、森重さんが褒めてくれる。
「適当に言ってるだけですよ」
「いえいえ、大したものです。ホラ、見えますよ」
その言葉とほぼ同時に、木々が途切れ景色が一変した。
一面の青色、夏の海が窓一杯に広がる。
「おっ、すげー!」
「わー! 海だー!」
「動くと危ないよお姉ちゃん」
「フム、光量の調整が大事だな。こっちのレンズを使うか」
「晴彦さんは、私と一緒に手紙と電話の対応ですよ」
「そ、そんなっ!」
「海に行きたいのであれば、用事をすませてくださいね。私も水着を着たいので、頑張りましょう」
「ぐぬぬ」
おっさんのぐぬぬとかやめて欲しい。しかし、この海は本当に綺麗だな。
「海だー、海だー、海だよイックン。貝殻取りする? 砂のお城作る?」
「車内で動くなっ。危ないだろ日葵。全部するからいいんだよっ」
「やったー」
「あらあら」
「ハッハッハ、海よりも青いですな。枯れた爺には羨ましい限りです」
なんて会話を続けながら。日葵の爺ちゃんが所有するという別邸に着いたのだが……。
デンと構えられた門に、来るものを拒む高い塀。古風なように見えて自動で開く門。
その中は我が家よりかなり大きい卜部邸よりも一回り大きな日本家屋がそこにあった。
「でかいなぁ。ほんとに金持ちなんですね」
なんだかため息が出る。普段、駄菓子屋で何買うか悩んでいる日葵とはまるでイメージが違う。
「お金持ちなのは私の父よ。私達は普通の一般家庭。本当はもっと手ごろな別荘もあるんだけどね」
「なんせ、大黒柱が僕だからねぇ」
のほほんとしている晴彦さんは流石に慣れているのか、驚いてはいない様子。この人、意外と大物なのかもな。
「ご勘弁くだされお嬢様。会長が来る以上、最低限これくらいの広さが無ければ警備に困りますからな」
別世界の会話が繰り広げられていてよくわかんない。車が止まり、荷物を持って屋敷に入る。
外見は昔ながらの日本家屋だが、中はバリアフリーもしっかりしており和風な雰囲気を保ちつつ住みやすいように改装されているようだ。どことなく卜部邸と似た印象なのは、やはり日葵のお爺ちゃんの趣味だろうか?
「樹君の部屋は二階ですな。部屋の鍵を渡しますので、どうぞ自由に使ってくだされ」
「旅館とかホテルでもないのに、鍵とかあるんすね」
「最低限の備えです。もちろん、開けておくこともできますぞ」
森重さんが意味ありげに眉を動かすが、別に日葵を誘うことなんてない……いつもみたく勝手にドアを開けるようと日葵がするかもしれんが。
「荷物を置いたら、冒険しようよイックン。今日はもう午後だし、明日の為にどうやって遊ぶか考えよう」
「おいおい、家のこととか大丈夫か? 何かの催しとかにでるんだろ? 一週間先の話とは言え、車内でも葉香さんが色々言ってたし」
「いいわよ樹君。面倒は大人の仕事よ。お父さんが勝手に考えたことだもの……晴彦さんはいてくださいね」
カメラを持って、逃げようとした晴彦さんがビクリと震える。
「ほわっ、気配を消したはずなのにっ!」
「ごめんお姉ちゃん、樹さん。私はちょっと休憩します。疲れたので……」
線の細い咲月ちゃんは少し顔色が悪い。移動で疲れてしまったようだ。
「わかった。じゃあ、いくか日葵」
「うんっ」
「日焼け止めクリームは塗っておくのよ。あと携帯を忘れないようにね」
「日葵様を頼みましたぞ、樹君」
日葵が慣れた手つきでクリームを体に塗って、二人で外へ出た。
※※※※※
屋敷に残った葉香は咲月を部屋で休ませ、一階に戻ると、森重が顎鬚をさすりながら晴彦とモニターの前に座っている。
リビングでエアコンのリモコン……に偽装された別の機材のリモコンを操作しており、壁に埋め込まれたモニターにはいくつものカメラからのライブ映像が映されていた。
「おっと、早速二人を付けている車がありますな」
「これ、僕もされていたんだよなぁ」
「お父さんが話した以上、この旅行ではそういう輩もいるでしょうね。懐かしいわね晴彦さん」
「頼むから止めてくれないか葉香さん。僕だっていっぱいいっぱいだったんだ」
「日葵お嬢様を狙って、いくつもの企業の御曹司達がこの街に来ております。さぁ、樹君はお嬢様を守り通すことができますかな? まぁ、催しまでの余興ですが……無論、誘拐など犯罪は未然に防ぎますが」
ニヤニヤと笑う元会長秘書。その様子を見て夫婦は顔を見合わせた。
「まっ、大丈夫でしょ。彼は曲がりなりにも、僕とパイ投げをした男だよ?」
「……少なくとも晴彦さんよりは頼りになるでしょうね。ホラ、催しに向けて準備をしないと、お父様に怒られるわよ。私も海で泳ぎたいし」
「仕方ない。葉香さんの水着姿と可愛い娘達……それと、にっくき娘の彼氏の為に頑張ろうか」
「ハッハッハ、晴彦様も成長されましたな」
「やめてくださいよ森重さん。かなわないなぁ。それで挨拶の手紙は何通来ているんだい葉香さん?」
「130通ほどね。返信が必要なのはその内の半分でいいわ」
「ちょっとお腹が痛くなってきたので、トイレに……」
「ダ、メ」
にっこりとほほ笑む愛しい妻の笑顔に、晴彦は盛大なため息をついたのだった。
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