二人の王子は天然少女にやられる
「謝罪しなさいよっ!」
そう叫ぶ女子の声は、心を切り裂くようだ。普段女子から好意しか向けられていない錬は、大きな体躯を恐怖で震わせた。本来ならば、自分が男として前に出なければならない。ただ女性が怖いこの自分の足は竦んでしまって、動けない。日葵が不正をしてないことは、明白だ。そもそも、事務仕事が苦手な自分が見ても明瞭で整理された資料があり、なによりも、わずかな時間でも彼女と一緒に行動すればそんなことをする人間ではないことは確信が持てる。しかし、声が出ない。
「卜部……」
なんとか出たのは名前だけ、混乱する錬がすがるように横の少女を見た。
声が届いたのか、卜部は一瞬赤井を見て、ニパッと笑った。そして前に向き直る。
「七難八苦でっす!……どうしてそう思ったのか、しっかりと話しましょう! 大丈夫、私はちゃんと答えまっす!」
そう言った日葵の声は、あまりに力強く、胸を張り立つその姿には説得力があった。
凛と前を見るその横顔は、日を向く向日葵のように人を惹きつける。息をのんでそれを見つめる自分の動悸はバスケの試合中よりも早く、赤井 錬は生まれて初めて、女子に見惚れたのだった。
錬が日葵に見とれている中、会議は進んでいく。一人の女子生徒が、ひるまない日葵に圧倒されるも、同じことを繰り返し叫ぶ。
「う……だ、だから噂で、貴女が不正をしたって言われているのよ。赤井さんや青柳さんに迷惑をかけてるんじゃないっ!」
「私は不正をしていません。全ての予算は規則に乗っ取って振り分けて、学校にも確認をしてもらっていまっす。その上で、疑問点があれば解消する為のこの会議です。本来は部費の説明後に質疑応答があったのですが、先に疑問を解決した方が、良さそうですね。青柳君、会議の進行を変えてもいいですか?」
「あ、あぁ」
日葵が狼狽するとばかり思っていた玲次は、予想外の展開にそう返すだけ。彼は忘れていたのだ、卜部 日葵という女子は彼にとって、理解を越えていく存在であったということを。
「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと待ってください。……んっしょ、一応用意しておいてよかったよ。ほいっ」
日葵が部屋の隅から取り出しのは、小さな台。その上に立って日葵が手を挙げた。
少し高い、といっても、元が低身長なのでそれほど高くはないが、その位置から教室を見渡し、片手を大きく上げる。
「はい、疑問がある人は挙手でお願いしまっす! その際は所属する部活動も言ってくれればお答えしやすいです」
台を準備する時間ですっかり、間を外された文化部の女子は毒気が抜かれたように椅子に座る。
「漫画研究部だ、前期で支給される活動費が減ってんだよ。噂では部費を減らして、他の部活に回したとか言われてるんだ」
「ご質問ありがとうございます。お答えしまっす。結論から言うと、漫画研究部は部費は減っていません。えと、確か……資料の34ページを見てください。申請があった活動費の内、不要である部室使用費を削り、消耗品代に充てています。消耗品代は事前にどの程度必要か予測が難しいとアンケートにあったので、事前の申請では無く、使った後に領収書と一緒に申請すれば、ここに書いてある範囲内で活動費として処理されます。なので、使える部費は無駄な申請をしていた去年より増えています。あと、資料代は例年通り自己負担です。しっかり漫画を描いてくださいでっす」
スクリーンを差そうとするも、さし棒が届かなくて台の上でプルプル震えているが、その説明はゆっくりと分かりやすい。
「……本当だ。活動費の欄しか見てなかったな。俺からは以上だ。……悪かった」
漫画研究部の男子が頭を下げると、日葵はスクリーンを差し棒で指し(届いていない)、精一杯伸ばして説明を進めていく。
「文化部の中で、消耗品が多い部活は同じような処理をしている所があるので、確認してくださいです。各部活の申請の関しては、訂正箇所を個別に配布しているので読んでください。無駄な申請を直したので、ほぼ全て部活で自由に使える活動費は例年より多くなっているはずです。学校側には青柳君が交渉してくれました」
パラパラと資料がめくられ読まれていく、もともと、部活の代表で部費の運用に関してある程度理解している生徒が多いので、理解が進めば今年の学生会の仕事に隙が無いことがわかってくる。
始めは騒いでいた生徒たちも、初めは不正を正そうと資料を必死で読み込んでいくが、わかりやすく整理されたデータと、読みやすい構成に黙るしかない。元々進学校で地頭が良い生徒が多いため、ここで下手に指摘すれば反撃されるのが、目に見えてしまったのだ。
一旦場が落ち着きを取り戻せば、後は日葵の独壇場だった。
質疑応答を繰り返しながら、資料の読み方を確認することで、疑問を解消していく。
その中で、不当に搾取されたと勘違いしていた声はすぐに消えた。さらには質疑の時間で会議が滞らないように、資料を進めて元の進行に戻すことすらしている。その姿を赤井はぼーっとした呆けた様子で見つめている。
一方そんな日葵を、誰よりも深刻な面持ちで見ていたのは玲次だった。
彼が感じていたのは羞恥、自分が颯爽と助けるつもりだった。それがどうだ、日葵は地力で誤解を解きつつある。果たして、自分が彼女の立場だったとき、同じことができただろうか?
どうしてもそのように考えずにはいられなかった。自分の方が優れているはず、それが、貶めようとした相手に気遣いまでされている。腹の奥がジクジクと膿むようだ。
ならばせめて、卜部を糾弾した女生徒を攻撃することで、この気持ちをどうにかしよう。
質疑応答が落ち着き、当初の騒ぎの印象が薄れたタイミングで、玲次は手を挙げた。
「少しいいか?」
本来進行側である玲次の提案に、台の上で首を傾げながら日葵は頷く。
「はい、青柳君。どうぞでっす」
「会議の進行は、卜部が質疑応答の途中で説明を進めてくれたので、それほどは遅れていない。が、なぜそのような見当違いが起きたのかは学生会としてハッキリさせておきたい。最初に名乗りもせずに発言した女生徒は……特進科の君だな。どうして、卜部が不正をしているなどどいうことがおきた?」
玲次としては、卜部からの心象を少しでも良くするという、当初の目的を達成する為の茶番だった。 呼びかけられた女生徒は、身を縮める。彼女も自分が噂に踊らされていたことは自覚しているのは明らかなようだ。
玲次は自分の評判を下げないように気を付けながら、この騒動の責任を彼女に取らせて自分の株を上げてしまうことで、この溜飲を少しでも下げようとした。
玲次の冷ややかな問いかけと共に、注目が女生徒に注がれる。
女生徒としてみれば玲次や錬の為を想ってしたことが、その相手に糾弾されるという最悪の状況、その肩は震えており、深く俯いている。
「青柳君っ!」
その空気を破ったのは、日葵だった。女生徒へと傾いた注意が日葵に戻る。
「この会議は、部費と活動費の確認でっす。学生会への不信に関しては別途、場を設けるべきです。間違いであることがわかったのであれば、会議の進行上は問題無いです」
玲次に向けられたのは普段笑顔が多い日葵の鋭い表情。被害を受けた本人にそう言われてしまえば、玲次も強く言うわけにはいかない。
「……君が槍玉に上げられていたんだぞ?」
「その誤解は解けたと思いまっす。であれば、その件で何も言うことはないですよ。さって、他に質問はありませんか?」
この話は終わったとばかりに、正面を向かれる。
机の下で、眩暈がせんばかりに玲次は拳を握った。場の空気が弛緩し、質疑応答は終了する。
会議はつつがなく進行し、最後に鉄面皮を維持した玲次と、なぜかそっぽを向いている錬が終了を宣言した。幾人かの生徒は自分の間違いと、庇われた事実に意気消沈していたが、日葵の気遣いに感謝している者もおり、去り際に日葵に謝罪する生徒もいたようだ。
その様子を見ながら、玲次は複雑そうに眼鏡をかけ直し、錬は直視できないと横眼でチラチラと見ていた。
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